第151話 日光への道
【第151話 日光への道】
日光への出立の日。
江戸の空は、冬の名残をわずかに含んだ澄んだ青だった。
寛永寺の屋根は朝日を受けて輝き、
風は柔らかく、
町人たちの声もどこか明るかった。
江戸は、
確かに“心”を得た都の顔をしていた。
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「天海。
そろそろ参ろう」
家光様が声をかけた。
その姿は、
以前よりも確かに“将軍”の光を帯びていた。
「はい。
家康殿をお迎えする旅、
いよいよ始まります」
家光様は静かに頷いた。
「祖父上を光として祀る。
そのための道だ」
その言葉には、
迷いがなかった。
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江戸を出てしばらくすると、
風の匂いが変わった。
町の喧騒が遠ざかり、
木々の香りが濃くなり、
空気はどこか清らかだった。
「天海。
江戸とは違うな」
「はい。
山の気が強くなってまいりました」
「山の気……」
「江戸は“人の気”が集まる都。
しかし日光は、
“天の気”が降りる地にございます」
家光様は目を細めた。
「祖父上を祀るにふさわしい場所だな」
「まさに」
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道中、家光様は珍しく多くを語った。
「天海。
私は……
祖父上のようにはなれぬと思っていた」
「家光様」
「だが、
お前と歩くうちに思ったのだ。
祖父上のようになる必要はない。
私は……
私の光を持てばよいのだと」
胸の奥が静かに揺れた。
「家光様。
その光は、
すでにここにございます」
家光様は少し笑った。
「お前はいつもそう言うな」
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昼過ぎ、
一行は小さな宿場町に入った。
人々は家光様の姿を見ると驚き、
やがて深く頭を下げた。
「将軍様だ……」
「ありがたい……」
「江戸は安泰だ……」
その声を聞きながら、
私は胸の底に静かな温度を感じていた。
かつて、
自分の名が恐れられ、
憎まれ、
呪われた時代があった。
だが今、
家光様の光が人々の心を照らしている。
その光の中にいる限り、
私の歩んだ道はもう揺らがない。
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夕刻。
一行は川沿いの宿に泊まった。
私はひとり、
川辺に立った。
水面に映る夕陽が揺れ、
風が頬を撫でた。
胸の底に沈んでいた澱は、
もうほとんど形を失っていた。
長い旅路の果てに残ったものは、
ただ静かな温度だけだった。
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「天海」
家光様が隣に立った。
「今日の道中……
お前は静かだったな」
「はい。
少し、思うところがありました」
「思うところ?」
「ええ。
江戸はもう大丈夫だと、
そう感じておりました」
家光様は目を見開いた。
「天海……
それは……」
「家光様が光を持たれたからです。
江戸は、
あなたの光で満ちていきます」
家光様はしばらく黙り、
やがて静かに言った。
「天海。
私は……
お前がいてくれたから光を持てた」
胸が熱くなった。
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「家光様。
私は……
あなたの光を見届けるために生きております」
「見届ける……」
「はい。
それが、
私の最後の役目にございます」
家光様は息を呑んだ。
「天海……
それは……
別れの言葉か」
「いいえ」
私は微笑んだ。
「始まりの言葉にございます」
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川の音が静かに響き、
夕陽が沈んでいった。
胸の底の澱は、
完全に沈んでいた。
残り火は、
静かに温度を失っていた。
そして私は悟った。
**この旅は、
家光様の光を確かめる旅であり、
私自身の旅路を締めくくる旅でもある。**
日光の山々が、
その先に静かに待っていた。




