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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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143/156

第143話 家光の決意

 夜の祈りから一日。

 私は江戸城の一室で、

 静かに筆を走らせていた。


 だが、筆先は震えていた。


 昨夜の天海の姿が、

 どうしても頭から離れなかった。


 月明かりの中で苦しむ背中。

 押し殺した声。

 胸を押さえ、震える指先。


 あれは──

 ただの疲れではない。


 天海は、

 何かを抱えている。


 そしてそれは、

 私が想像するよりもずっと重い。


---


「若様」


 側近の阿部忠秋が声をかけた。


「政務の手が止まっております」


「……ああ、すまぬ」


 私は筆を置いた。


「忠秋。

 人は……

 どれほどのものを背負えるのだろうな」


 忠秋は驚いた顔をした。


「突然、どうされました」


「天海のことだ」


 忠秋は静かに頷いた。


「天海様は……

 多くを背負っておられますな」


「多く、ではない。

 “重すぎる”のだ」


 私は昨夜の光景を思い出した。


「私は……

 あの人に支えられてばかりだ。

 だが、

 あの人は誰に支えられているのだ」


 忠秋は言葉を失った。


---


「忠秋。

 私は……

 天海を支えたい」


 自分でも驚くほど、

 その言葉は自然に口から出た。


「若様……

 それは……

 将軍家の御覚悟にございますか」


「覚悟だ」


 私ははっきりと言った。


「私は祖父上のようにはなれぬ。

 父上のようにもなれぬ。

 だが──

 天海を支えることならできる」


 忠秋は深く頭を下げた。


「若様……

 そのお心こそ、

 将軍の器にございます」


---


 その日の午後、

 私は寛永寺の工事現場を訪れた。


 天海は、

 いつものように現場の中央に立ち、

 大工たちに指示を出していた。


 だが、

 その背中はどこか細く見えた。


「天海」


 私が声をかけると、

 天海は振り返った。


「家光様。

 ご機嫌麗しゅうございます」


 その笑みは穏やかだったが、

 どこか無理をしているように見えた。


「昨夜のことだが……」


 天海の表情がわずかに揺れた。


「申し訳ございません。

 お見苦しいところを」


「見苦しいなどと思ったことはない」


 私は一歩近づいた。


「天海。

 私は……

 お前が何を抱えているのか、

 まだ知らぬ」


 天海は目を伏せた。


「……申し訳ございません」


「だが、

 お前がひとりで抱える必要はない」


 天海の肩がわずかに震えた。


---


「天海。

 私は……

 お前を支えたい」


 その言葉を口にした瞬間、

 天海の目が大きく見開かれた。


「家光様……

 それは……」


「私は、

 お前に支えられてばかりだ。

 だが、

 それではいかぬ」


 私は続けた。


「江戸を守るためには、

 お前が必要だ。

 そして──

 お前を守る者も必要だ」


 天海は言葉を失っていた。


---


「天海。

 私は……

 祖父上のようにはなれぬ。

 だが、

 お前を支えることならできる」


 天海はゆっくりと目を閉じた。


 その表情は、

 苦しみでも、

 悲しみでもなく──


 “救い”に近かった。


「……家光様。

 そのお言葉……

 身に余ります」


「余らぬ。

 必要なのだ」


 私ははっきりと言った。


「お前が江戸の心を作るなら、

 私はお前の心を支える」


 天海は深く頭を下げた。


「……ありがたく存じます」


---


 その夜、

 私は江戸城の天守から

 江戸の町を見下ろした。


 灯りが揺れ、

 風が吹き、

 江戸は静かに呼吸していた。


「天海……

 私はお前を支える」


 私は静かに呟いた。


「江戸を守るために。

 そして──

 お前を守るために」


 その言葉は、

 私自身の胸に深く刻まれた。


 ──家光の決意。


 それは、

 江戸の未来を変える

 最初の一歩だった。


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