第140話 上棟の影
寛永寺の工事が始まって四月。
ついに──
本堂の上棟の日が訪れた。
朝の空気は澄み、
風は穏やかで、
まるで天がこの日を祝福しているかのようだった。
江戸の北には、
大勢の大工、役人、町人が集まり、
静かな熱気が満ちていた。
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「天海様、準備が整いました!」
棟梁が深く頭を下げた。
「本堂の梁、
これより上へと上げます!」
私は頷いた。
「よい。
江戸の心が、
今日、空へ向かって立ち上がる」
棟梁は目を見開いた。
「……心、でございますか」
「はい。
都とは、
心が空へ伸びることで初めて“都”となるのです」
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その時、背後から声がした。
「天海」
振り向くと、
家光様が立っていた。
その姿は、
以前よりも確かに“将軍”の影を帯びていた。
「今日が……
上棟の日なのだな」
「はい。
江戸の心が、
形となって空へ向かう日です」
家光様は本堂の骨格を見上げた。
「……大きいな。
祖父上を祀るにふさわしい」
「家康殿は、
江戸の光そのものです。
その光を北に置くことで、
江戸は揺らぎません」
家光様は静かに頷いた。
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「上げろーーーっ!」
棟梁の声が響き、
巨大な梁がゆっくりと空へ向かって持ち上がった。
大工たちの掛け声が重なり、
縄が軋み、
木が鳴り、
空気が震える。
その瞬間──
江戸の“気”が変わった。
風が一度止まり、
次の瞬間、
北から柔らかい風が吹き抜けた。
「……天海。
今、何かが……」
「はい。
江戸が“呼吸”を始めました」
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梁がゆっくりと所定の位置に収まり、
棟梁が声を張り上げた。
「上棟、完了ーーーっ!」
人々の歓声が上がり、
拍手が広がり、
江戸の北に大きな喜びの波が走った。
家光様はその光景を見つめながら、
静かに呟いた。
「……これが、
江戸の心か」
「はい。
今日、江戸はひとつの“魂”を得ました」
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だがその瞬間、
胸の奥に鋭い痛みが走った。
私は思わず胸に手を当てた。
「天海?
どうした」
「……いえ。
少し、風に当たっただけです」
だが違う。
これは風ではない。
──光秀の影だ。
影が、
叫んでいる。
胸の奥で、
何かが軋むように疼いていた。
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「天海」
家光様が心配そうに覗き込んだ。
「本当に大丈夫なのか」
「……問題ありません。
ただ、少し疲れが出ただけです」
私は微笑んだが、
胸の奥の痛みは消えなかった。
上棟という“光”の瞬間に、
なぜ影が疼くのか。
──光が強くなれば、
影もまた濃くなる。
その理を、
私は誰よりも知っていた。
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上棟式が終わり、
人々が帰り始めた頃。
私はひとり、
本堂の前に立っていた。
夕陽が梁を照らし、
影が長く伸びていた。
その影を見た瞬間、
胸の奥が強く疼いた。
「……光秀」
私は呟いた。
「お前は、
何を守りたかったのだ」
影は答えない。
だが、
影は確かにそこにあった。
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「天海」
背後から声がした。
家光様だった。
「まだ帰らぬのか」
「はい。
少し、風に当たっておりました」
家光様は私の横に立ち、
夕陽に照らされた本堂を見上げた。
「天海。
私は……
祖父上のようにはなれぬ。
だが、
江戸を守りたい」
「守れます。
家光様の光は、
必ず江戸を導きます」
家光様は小さく頷いた。
「……ならよい。
私は、
江戸のために生きたい」
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私は北の空を見上げた。
「家康殿……
江戸は今日、
ひとつの魂を得ました。
そして家光様も……
光を持ち始めています」
私は静かに呟いた。
「私は……
江戸の心を作ります。
そして、
家光様の光を育てます」
だが胸の奥では、
光秀の影が静かに疼いていた。
──お前は、
何を守りたかったのか。
その問いだけが、
夕風に溶けていった。




