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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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140/156

第140話 上棟の影

 寛永寺の工事が始まって四月。

 ついに──

 本堂の上棟の日が訪れた。


 朝の空気は澄み、

 風は穏やかで、

 まるで天がこの日を祝福しているかのようだった。


 江戸の北には、

 大勢の大工、役人、町人が集まり、

 静かな熱気が満ちていた。


---


「天海様、準備が整いました!」


 棟梁が深く頭を下げた。


「本堂の梁、

 これより上へと上げます!」


 私は頷いた。


「よい。

 江戸の心が、

 今日、空へ向かって立ち上がる」


 棟梁は目を見開いた。


「……心、でございますか」


「はい。

 都とは、

 心が空へ伸びることで初めて“都”となるのです」


---


 その時、背後から声がした。


「天海」


 振り向くと、

 家光様が立っていた。


 その姿は、

 以前よりも確かに“将軍”の影を帯びていた。


「今日が……

 上棟の日なのだな」


「はい。

 江戸の心が、

 形となって空へ向かう日です」


 家光様は本堂の骨格を見上げた。


「……大きいな。

 祖父上を祀るにふさわしい」


「家康殿は、

 江戸の光そのものです。

 その光を北に置くことで、

 江戸は揺らぎません」


 家光様は静かに頷いた。


---


「上げろーーーっ!」


 棟梁の声が響き、

 巨大な梁がゆっくりと空へ向かって持ち上がった。


 大工たちの掛け声が重なり、

 縄が軋み、

 木が鳴り、

 空気が震える。


 その瞬間──

 江戸の“気”が変わった。


 風が一度止まり、

 次の瞬間、

 北から柔らかい風が吹き抜けた。


「……天海。

 今、何かが……」


「はい。

 江戸が“呼吸”を始めました」


---


 梁がゆっくりと所定の位置に収まり、

 棟梁が声を張り上げた。


「上棟、完了ーーーっ!」


 人々の歓声が上がり、

 拍手が広がり、

 江戸の北に大きな喜びの波が走った。


 家光様はその光景を見つめながら、

 静かに呟いた。


「……これが、

 江戸の心か」


「はい。

 今日、江戸はひとつの“魂”を得ました」


---


 だがその瞬間、

 胸の奥に鋭い痛みが走った。


 私は思わず胸に手を当てた。


「天海?

 どうした」


「……いえ。

 少し、風に当たっただけです」


 だが違う。

 これは風ではない。


 ──光秀の影だ。


 影が、

 叫んでいる。


 胸の奥で、

 何かが軋むように疼いていた。


---


「天海」


 家光様が心配そうに覗き込んだ。


「本当に大丈夫なのか」


「……問題ありません。

 ただ、少し疲れが出ただけです」


 私は微笑んだが、

 胸の奥の痛みは消えなかった。


 上棟という“光”の瞬間に、

 なぜ影が疼くのか。


 ──光が強くなれば、

 影もまた濃くなる。


 その理を、

 私は誰よりも知っていた。


---


 上棟式が終わり、

 人々が帰り始めた頃。


 私はひとり、

 本堂の前に立っていた。


 夕陽が梁を照らし、

 影が長く伸びていた。


 その影を見た瞬間、

 胸の奥が強く疼いた。


「……光秀」


 私は呟いた。


「お前は、

 何を守りたかったのだ」


 影は答えない。


 だが、

 影は確かにそこにあった。


---


「天海」


 背後から声がした。


 家光様だった。


「まだ帰らぬのか」


「はい。

 少し、風に当たっておりました」


 家光様は私の横に立ち、

 夕陽に照らされた本堂を見上げた。


「天海。

 私は……

 祖父上のようにはなれぬ。

 だが、

 江戸を守りたい」


「守れます。

 家光様の光は、

 必ず江戸を導きます」


 家光様は小さく頷いた。


「……ならよい。

 私は、

 江戸のために生きたい」


---


 私は北の空を見上げた。


「家康殿……

 江戸は今日、

 ひとつの魂を得ました。

 そして家光様も……

 光を持ち始めています」


 私は静かに呟いた。


「私は……

 江戸の心を作ります。

 そして、

 家光様の光を育てます」


 だが胸の奥では、

 光秀の影が静かに疼いていた。


 ──お前は、

 何を守りたかったのか。


 その問いだけが、

 夕風に溶けていった。


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