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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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135/156

第135話 着工

 寛永寺建立の決定から十日。

 江戸の北では、ついに“最初の一手”が打たれようとしていた。


 湿地を埋めるための土が運ばれ、

 杭が並べられ、

 大工たちが声を張り上げる。


 荒れ地は、

 ゆっくりと“都の心”へと姿を変え始めていた。


---


「天海様、こちらが本堂の基礎工事でございます」


 役人が地図を広げた。


「地盤は弱いですが、

 杭を深く打てば安定します」


「よい。

 寺は“形”ではなく“気”で建てるもの。

 形は後から整えばよい」


 役人は首を傾げたが、

 私の言葉に逆らう者はいなかった。


 家康殿の遺志。

 家光様の信頼。

 そして、江戸の未来。


 その三つが、

 私の背中を押していた。


---


 その時、背後から声がした。


「天海」


 振り向くと、

 家光様が立っていた。


 以前よりも、

 少しだけ背が伸びたように見えた。


「工事の様子を見に来た。

 ……本当に、ここでよいのだな」


「はい。

 ここが江戸の“心”となります」


 家光様は丘の上から

 工事の様子を見下ろした。


「人が……

 こんなにも動いているのだな」


「はい。

 都とは、人が動くことで形を成します。

 そして“心”が生まれるのです」


---


「天海」


「はい」


「私は……

 祖父上のようにはなれぬ。

 だが、

 祖父上が信じた者を信じたい」


 家光様は私を見た。


「お前を信じる」


 その言葉は、

 家康殿の“託す”に続く

 新しい“信頼”だった。


「ありがとうございます」


---


 その時、

 工事現場の方から怒号が聞こえた。


「おい!

 そこは危ない、下がれ!」


「杭が折れたぞ!

 気をつけろ!」


 私はすぐに駆け寄った。


 湿地の地盤が予想以上に弱く、

 杭が沈み込んでいた。


「天海様!

 このままでは……

 工事が遅れます!」


 私は地面に膝をつき、

 土を掬った。


 柔らかい。

 だが──

 生きている。


「……問題ありません」


「しかし……!」


「地盤は弱い。

 だが“気”は強い。

 強い気の上に建つ寺は、

 必ず都を守ります」


 役人たちは戸惑ったが、

 私の言葉に逆らう者はいなかった。


---


 家光様が近づいてきた。


「天海……

 本当に大丈夫なのか」


「大丈夫です。

 地盤は人が固められます。

 しかし“魂の場所”は人では作れません」


 家光様は静かに頷いた。


「……わかった。

 続けよ」


---


 工事が再開され、

 杭が再び打ち込まれた。


 その音は、

 まるで江戸の心臓が

 ゆっくりと鼓動を始めたようだった。


 ドン……

 ドン……

 ドン……


 その響きが、

 胸の奥に染み込んだ。


 ──光秀。

 お前は山を焼いた。


 胸の奥で、

 ふっと影が疼いた。


 ──だが天海として、

 山を育てる。


 私は静かに目を閉じた。


---


「天海」


 家光様が隣に立った。


「私は……

 まだ弱い。

 だが、

 この寺が建つ頃には……

 少しは強くなれるだろうか」


「なれます。

 家光様の光は、

 必ず江戸を照らします」


 家光様は小さく息を吐いた。


「……ならよい。

 私は……

 祖父上の光を継ぎたい」


「継げます。

 そして──

 家光様自身の光も生まれます」


---


 夕暮れが近づくと、

 工事の音が静かになった。


 私は丘の上に立ち、

 北の空を見上げた。


 風が吹き、

 草が揺れ、

 空はどこまでも高かった。


「家康殿……

 江戸は動き始めました。

 そして家光様も……

 光を持ち始めています」


 私は静かに呟いた。


「私は……

 江戸の心を作ります。

 そして、

 家光様の光を育てます」


 北の空に、

 新しい時代の光が

 静かに滲んでいた。


 それはまるで、

 江戸の魂が形を成し始めた

 “最初の灯”のようだった。


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