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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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第134話 気の流れ

【第134話 気の流れ】


 寛永寺建立の決定から一週間。

 江戸の北では、早くも大勢の人々が動き始めていた。


 測量師が地面に縄を張り、

 大工が杭を打ち、

 役人が地図を広げて指示を飛ばす。


 荒れ地は、

 ゆっくりと“都の心”へと姿を変えつつあった。


 だが──

 その動きの中に、

 私はひとつの違和感を覚えていた。


---


「天海様、こちらが本堂予定地でございます」


 測量師が地図を差し出した。


「ここが最も広く、

 地盤も比較的安定しております」


 私は地図を見ず、

 足元の土を踏んだ。


 柔らかい。

 湿り気が強い。

 だが、それだけではない。


 ──気が、流れていない。


「……ここではない」


 測量師が驚いた。


「で、ではどこに……?」


「北へ三町。

 丘の麓だ」


「しかし、あそこは……

 地形が複雑で……」


「複雑だからこそ、

 “気”が集まる」


 私は静かに言った。


「都の心は、

 “気の流れ”の中心に置かねばならぬ」


---


 その時、背後から声がした。


「天海」


 振り向くと、

 家光様が立っていた。


 まだ若いが、

 その目には確かな光が宿っていた。


「工事の様子を見に来た。

 ……どうだ」


「順調ではありますが、

 まだ“場所”が定まっておりません」


「場所……?」


「はい。

 寺は建てればよいというものではありません。

 “魂が宿る場所”に建てねばならぬのです」


 家光様は息を呑んだ。


「魂が……宿る場所」


---


 私は家光様を北の丘へ案内した。


 湿地を抜け、

 草を踏みしめ、

 丘の麓に立つ。


 そこは、

 風が集まり、

 光が差し込み、

 静けさが満ちていた。


「……ここだ」


 家光様が呟いた。


「ここは……

 何かが違う」


「はい。

 ここは“気の交わる場所”です」


 私は続けた。


「都の心は、

 こういう場所に置かねばならぬ」


---


 家光様はしばらく黙り、

 やがて静かに言った。


「天海……

 お前は、

 どうして“気”がわかるのだ」


 胸が揺れた。


 光秀としての記憶が、

 ふっと疼いた。


 ──比叡山。

 ──坂本。

 ──山の気を読む術。


 私は目を閉じた。


「……長く山におりましたので」


 家光様は頷いた。


「そうか。

 祖父上も“山の気”を読む者を重んじていた」


 その言葉に、

 胸の奥が静かに痛んだ。


 家康殿は、

 光秀の影を知っていたのかもしれない。


---


「天海」


「はい」


「私は……

 祖父上のようにはなれぬ。

 だが、

 祖父上が信じた者を信じたい」


 家光様は私を見た。


「お前を信じる」


 その言葉は、

 家康殿の“託す”に続く

 新しい“信頼”だった。


「ありがとうございます」


---


 その時、

 役人が駆け込んできた。


「天海様!

 北の丘の地盤が弱いとの報告が……!」


 家光様が不安げに私を見る。


「天海……

 本当にここでよいのか」


 私は地面に膝をつき、

 土を掬った。


 柔らかい。

 だが──

 生きている。


「家光様。

 地盤は弱い。

 しかし──

 “魂の場所”はここです」


「魂の場所……」


「はい。

 地盤は人が固められます。

 だが“気”は人では作れません」


 家光様はゆっくりと頷いた。


「……わかった。

 ここに建てよう」


---


 私は深く頭を下げた。


「承知しました。

 ここに──

 江戸の心を置きます」


---


 その夜、

 私はひとり丘に戻った。


 風が吹き、

 草が揺れ、

 空はどこまでも高かった。


「……光秀。

 お前は山を焼いた」


 胸の奥で呟いた。


「だが天海として、

 山を育てる」


 その言葉は、

 光秀としての罪と、

 天海としての使命を

 静かに結びつけた。


 北の空に、

 新しい光が静かに滲んでいた。


 それはまるで、

 江戸の魂が芽吹く

 “最初の息吹”のようだった。


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