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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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131/156

第131話 揺れる治世

 家康殿が旅立ってから十日。

 江戸の空は、どこか落ち着かない色をしていた。


 晴れているのに、重い。

 風が吹いているのに、ざわつく。


 江戸は──

 “新しい時代の重さ”を受け止めきれずにいた。


---


 その朝、

 私は秀忠様の御前に呼ばれた。


「天海。

 江戸の様子はどうだ」


「揺れております。

 家康殿という柱を失い、

 人々の心が不安定になっております」


 秀忠様は深く息を吐いた。


「……父上は偉大だった。

 あまりにもな」


 その言葉には、

 将軍でありながら“息子”としての弱さが滲んでいた。


「天海。

 わしは……

 父上のようにはなれぬ」


「秀忠様。

 家康殿のようになる必要はございません」


「だが……

 父上の影は大きい」


 秀忠様は続けた。


「そして……

 家光も揺れている」


---


 家光様。

 家康殿の死後、

 彼は急速に“揺らぎ”を見せていた。


 強くなろうとする。

 だが、強くなりきれない。


 その揺らぎは、

 かつての光秀の揺らぎに似ていた。


---


「天海」


 秀忠様が静かに言った。


「家光を……

 支えてやってくれ」


「承知しました」


「家光は……

 弱い。

 だが、弱い者は強くなる。

 父上もそう言っていた」


 秀忠様は目を閉じた。


「わしは……

 家光に“時代”を渡したい。

 だが……

 まだ渡せぬ」


 その言葉は、

 父としての葛藤だった。


---


 その日の午後、

 私は家光様の部屋を訪れた。


 家光様は、

 机に向かっていた。


 だが筆は進んでいなかった。


「天海……」


「どうされましたか」


「私は……

 祖父上がいなくなってから、

 何をしても“正しい”気がしない」


 家光様は拳を握りしめた。


「祖父上ならどうしたか。

 父上ならどうするか。

 そればかり考えてしまう」


 その言葉は、

 かつての光秀の声に重なった。


 ──信長ならどうしたか。

 ──自分はどうすべきか。


 その迷いが、

 光秀を破滅へ導いた。


---


「家光様。

 あなたは、

 家康殿にも秀忠様にもなれません」


 家光様は驚いた。


「だがそれでよいのです。

 あなたは“家光”なのですから」


「……家光として?」


「はい。

 あなたには、

 あなたにしかない光があります」


 家光様は俯いた。


「私は……

 弱い」


「弱さを知る者が、

 強くなります」


 その言葉に、

 家光様の肩がわずかに震えた。


---


「天海……

 私は……

 江戸を守れるだろうか」


「守れます。

 ただし──

 ひとりでは守れません」


「……?」


「江戸には“心”が必要です。

 そしてその心は、

 北に置かれます」


 家光様は息を呑んだ。


「寛永寺……

 祖父上を祀る寺か」


「はい。

 江戸の魂を支える柱となります」


 家光様はゆっくりと頷いた。


「天海……

 私は……

 あなたを頼りにしてもよいか」


「もちろんです」


 その瞬間、

 家光様の目に小さな光が宿った。


---


 その夜、

 私は江戸城の天守から

 江戸の町を見下ろした。


 灯りが揺れていた。

 人々の心が揺れているように見えた。


「……江戸よ。

 お前はまだ幼い」


 私は静かに呟いた。


「だが、

 必ず大きくなる」


 家康殿が託した泰平。

 秀忠様の揺らぎ。

 家光様の弱さと光。


 そのすべてを抱えて、

 江戸は新しい時代へ進む。


「そして私は……

 お前の“心”を作る」


 江戸の空に、

 新しい時代の光が

 静かに滲み始めていた。


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