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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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126/156

第126話 病床の光

 駿府城に着いた時、

 空はどこまでも静かだった。


 その静けさは、

 まるで時代が息を潜めているようだった。


 案内された部屋の襖が開くと、

 家康殿は横たわっていた。


 その姿は、

 かつての“天下人”ではなかった。


 呼吸は浅く、

 肌は薄く、

 しかしその目だけは、

 まだ光を宿していた。


「……天海か」


「はい。

 家康殿」


 家康殿は微笑んだ。

 その笑みは、

 どこか子どものように穏やかだった。


---


「天海。

 わしは……

 もう長くはない」


 その言葉は、

 静かに、しかし確実に胸に落ちた。


「家康殿……」


「よい。

 わしは十分に生きた。

 戦の時代を終わらせ、

 泰平の形を作った」


 家康殿はゆっくりと息を吸った。


「だがな……

 泰平を続けるのは、

 わしではない」


 私は深く頭を下げた。


「承知しております」


---


「天海。

 お前は……

 祈るか」


 私は少し驚いた。


「祈ります。

 人のために。

 都のために。

 そして……

 自分のためにも」


「自分のために、か」


 家康殿は目を細めた。


「お前は……

 長い間、

 自分を赦しておらぬな」


 胸が強く揺れた。


 家康殿は、

 私の“影”を見抜いている。


 光秀としての罪。

 本能寺の炎。

 裏切りの記憶。


 それらが、

 胸の奥で静かに疼いた。


---


「天海。

 罪を背負う者ほど、

 祈りは深くなる」


「……家康殿」


「わしはな、

 お前の祈りが好きだ」


 その言葉は、

 胸の奥に温かく落ちた。


「お前の祈りは、

 誰かを救うためではなく──

 “自分を許すため”の祈りだ」


 私は目を閉じた。


 光秀としての罪。

 天海としての使命。


 その二つが、

 胸の奥で静かに重なった。


---


「天海。

 わしは……

 お前の影を赦した」


 125話の“赦し”が、

 再び胸に響いた。


「だから天海。

 お前も……

 自分を赦せ」


 私は震える声で言った。


「家康殿……

 私は……

 まだ……」


「よい。

 ゆっくりでよい。

 赦しとは、

 急ぐものではない」


 家康殿は目を閉じた。


「天海。

 お前は……

 わしの最後の友だ」


 その言葉は、

 胸を貫いた。


---


 その時、

 襖が静かに開いた。


「祖父上……」


 家光様だった。


 その顔には、

 これまでにない“覚悟”が宿っていた。


「天海。

 祖父上の容体は……」


「……峠を越えました。

 しかし……」


 家光様は小さく頷いた。


「覚悟はできている」


 その言葉は、

 少年ではなく“将軍”の声だった。


---


「祖父上」


 家光様は家康殿の枕元に膝をついた。


「私は……

 あなたのようにはなれません」


 家康殿は目を開けた。


「うむ。

 なれぬ」


 家光様は驚いた。


「だがな、家光。

 お前は“お前の光”を持てばよい」


 家光様の目に涙が浮かんだ。


「祖父上……

 私は……

 弱いのです」


「弱さを知る者が、

 強くなる」


 家康殿は続けた。


「そして家光。

 お前には天海がいる」


 家光様は私を見た。


 その目には、

 確かな信頼が宿っていた。


---


「天海」


「はい」


「家光を……

 頼む」


 その言葉は、

 家康殿の人生の最後の“願い”だった。


「承知しました。

 家光様を……

 必ず導きます」


 家康殿は満足げに目を閉じた。


「天海……

 お前に託す」


---


 その夜、

 私は駿府城の庭でひとり祈った。


 家康殿のために。

 家光様のために。

 そして──

 光秀としての自分のために。


「……家康殿。

 あなたは私を赦した。

 ならば……

 私も、少しだけ自分を赦しましょう」


 夜空に、

 春の光が静かに滲んでいた。


 それはまるで、

 家康殿の最後の光のようだった。


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