第126話 病床の光
駿府城に着いた時、
空はどこまでも静かだった。
その静けさは、
まるで時代が息を潜めているようだった。
案内された部屋の襖が開くと、
家康殿は横たわっていた。
その姿は、
かつての“天下人”ではなかった。
呼吸は浅く、
肌は薄く、
しかしその目だけは、
まだ光を宿していた。
「……天海か」
「はい。
家康殿」
家康殿は微笑んだ。
その笑みは、
どこか子どものように穏やかだった。
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「天海。
わしは……
もう長くはない」
その言葉は、
静かに、しかし確実に胸に落ちた。
「家康殿……」
「よい。
わしは十分に生きた。
戦の時代を終わらせ、
泰平の形を作った」
家康殿はゆっくりと息を吸った。
「だがな……
泰平を続けるのは、
わしではない」
私は深く頭を下げた。
「承知しております」
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「天海。
お前は……
祈るか」
私は少し驚いた。
「祈ります。
人のために。
都のために。
そして……
自分のためにも」
「自分のために、か」
家康殿は目を細めた。
「お前は……
長い間、
自分を赦しておらぬな」
胸が強く揺れた。
家康殿は、
私の“影”を見抜いている。
光秀としての罪。
本能寺の炎。
裏切りの記憶。
それらが、
胸の奥で静かに疼いた。
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「天海。
罪を背負う者ほど、
祈りは深くなる」
「……家康殿」
「わしはな、
お前の祈りが好きだ」
その言葉は、
胸の奥に温かく落ちた。
「お前の祈りは、
誰かを救うためではなく──
“自分を許すため”の祈りだ」
私は目を閉じた。
光秀としての罪。
天海としての使命。
その二つが、
胸の奥で静かに重なった。
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「天海。
わしは……
お前の影を赦した」
125話の“赦し”が、
再び胸に響いた。
「だから天海。
お前も……
自分を赦せ」
私は震える声で言った。
「家康殿……
私は……
まだ……」
「よい。
ゆっくりでよい。
赦しとは、
急ぐものではない」
家康殿は目を閉じた。
「天海。
お前は……
わしの最後の友だ」
その言葉は、
胸を貫いた。
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その時、
襖が静かに開いた。
「祖父上……」
家光様だった。
その顔には、
これまでにない“覚悟”が宿っていた。
「天海。
祖父上の容体は……」
「……峠を越えました。
しかし……」
家光様は小さく頷いた。
「覚悟はできている」
その言葉は、
少年ではなく“将軍”の声だった。
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「祖父上」
家光様は家康殿の枕元に膝をついた。
「私は……
あなたのようにはなれません」
家康殿は目を開けた。
「うむ。
なれぬ」
家光様は驚いた。
「だがな、家光。
お前は“お前の光”を持てばよい」
家光様の目に涙が浮かんだ。
「祖父上……
私は……
弱いのです」
「弱さを知る者が、
強くなる」
家康殿は続けた。
「そして家光。
お前には天海がいる」
家光様は私を見た。
その目には、
確かな信頼が宿っていた。
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「天海」
「はい」
「家光を……
頼む」
その言葉は、
家康殿の人生の最後の“願い”だった。
「承知しました。
家光様を……
必ず導きます」
家康殿は満足げに目を閉じた。
「天海……
お前に託す」
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その夜、
私は駿府城の庭でひとり祈った。
家康殿のために。
家光様のために。
そして──
光秀としての自分のために。
「……家康殿。
あなたは私を赦した。
ならば……
私も、少しだけ自分を赦しましょう」
夜空に、
春の光が静かに滲んでいた。
それはまるで、
家康殿の最後の光のようだった。




