表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒衣の孤影  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

121/156

第121話 留守の都

 江戸の空は、

 冬の名残をわずかに残しながらも、

 どこか柔らかい光を帯びていた。


 その光の下で、

 ひとつの大きな動きが始まろうとしていた。


「天海。

 わしは駿府へ戻る」


 家康殿は静かにそう言った。


 その声には、

 かつてのような鋭さはなかった。

 だが、

 揺るぎない意志だけは変わらなかった。


「……駿府へ」


「うむ。

 江戸は秀忠に任せる。

 そして──

 江戸の“心”は、お前に任せる」


 私は深く頭を下げた。


「承知しました」


---


 家康殿が駿府へ移るという報せは、

 江戸城内に静かな波紋を広げた。


 普請奉行が不安げに言った。


「天海様……

 家康公が江戸を離れられるとなると、

 江戸の政はどうなるのでしょうか」


「政は秀忠様が行う。

 だが──

 江戸の“心”は、

 私が整える」


「心……」


「江戸は今、

 形を持ち始めたばかりだ。

 心がなければ、

 形は崩れる」


 普請奉行は息を呑んだ。


「……天海様は、

 江戸の“留守役”なのですね」


「留守ではない。

 “守り”だ」


---


 家康殿が江戸城を出る日、

 私は城門の前に立っていた。


 家康殿は馬に乗り、

 ゆっくりと私の前に来た。


「天海。

 江戸は大きくなる。

 だが大きくなるだけでは、

 都にはならぬ」


「はい」


「都には“心”が必要だ。

 その心を作るのは──

 お前だ」


 私は深く頭を下げた。


「必ずや」


 家康殿は静かに笑った。


「天海。

 わしは戦の時代を終わらせた。

 だが泰平の時代を続けるのは、

 わしではない」


「……江戸です」


「そうだ。

 江戸が泰平を続ける。

 そして江戸を支えるのは──

 お前だ」


 その言葉は、

 家康殿が私に託した“最後の使命”だった。


---


 家康殿が去った後、

 江戸城は不思議な静けさに包まれた。


 普請奉行がぽつりと言った。


「……江戸が、

 少し寂しくなりましたな」


「寂しさは、

 都が成長するための“間”だ」


「間……」


「はい。

 家康殿が去ったことで、

 江戸は自ら歩き始める」


 私は江戸城の天守を見上げた。


「江戸は、

 これから“自分の足”で立つのだ」


---


 その日の午後、

 私は江戸の町へ出た。


 町は活気に満ちていた。

 だがその活気の奥に、

 確かな“揺らぎ”があった。


 家康殿という巨大な柱が抜けたことで、

 江戸はわずかに傾いていた。


「……この揺らぎを整えねばならぬ」


 私は呟いた。


---


 その時、

 町の老人が声をかけてきた。


「お坊さん。

 江戸はこれからどうなるんだい」


 私は老人の目を見た。


「江戸は大きくなる。

 そして強くなる」


「本当に……?」


「はい。

 江戸には“心”が生まれつつあります」


 老人は首を傾げた。


「心……?」


「都は、

 人が集まるだけでは成り立ちません。

 祈りがあり、

 秩序があり、

 未来を信じる力がある。

 それが“心”です」


 老人はゆっくりと頷いた。


「……なら、

 江戸は大丈夫だな」


「大丈夫です。

 江戸は、

 必ず都になります」


---


 その夜、

 私は江戸城に戻り、

 北の空を見つめた。


 そこにはまだ何もない。

 だが──

 確かに“何かが始まる気配”があった。


「家康殿……

 あなたが去った江戸は、

 まだ幼い。

 だが、

 必ず大きくなる」


 私は静かに呟いた。


「そして私は、

 江戸の“心”を作る」


 江戸の夜風が、

 ゆっくりと吹き抜けた。


 家康の時代が終わり、

 天海の時代が静かに始まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ