表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒衣の孤影  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

116/156

第116話 老いの影

 大坂の炎が消えてから、

 江戸には奇妙な静けさが漂っていた。


 豊臣が滅び、

 戦国の残り火が完全に消えたはずなのに──

 江戸の空気はどこか重かった。


 私は江戸城の一室で、

 朝の光を受けながら文を読んでいた。


「……江戸の人口、急増」


 普請奉行が驚いた声で言った。


「天海様、

 大坂からも京からも、

 人が江戸へ流れ込んでおります。

 まるで……」


「まるで“光に集まる虫”のようだ、か」


「は、はい……」


 私は文を畳んだ。


「江戸は光だ。

 光が強くなれば、

 人は集まる。

 それは必然だ」


 だがその光は、

 まだ“形”だけで、

 “心”を持っていない。


 その時、

 家康殿が入ってきた。


 歩みが、

 いつもよりわずかに遅かった。


「天海。

 江戸はどうだ」


「人が集まり始めております。

 江戸は、

 すでに“都”の形を帯びつつあります」


「うむ……」


 家康殿は椅子に腰を下ろした。

 その動きに、

 ほんの少しだけ“老い”が滲んだ。


 私は気づかぬふりをした。


「天海。

 江戸はこれから大きくなる。

 だが大きくなるだけでは、

 都にはならぬ」


「……心が必要です」


「そうだ」


 家康殿は私を見た。


「天海。

 江戸の心を作れ。

 それが、お前の役目だ」


 その声は、

 かつてのような鋭さではなく、

 深い静けさを帯びていた。


「承知しました」


---


 家康殿は窓の外を見た。


「天海。

 わしは……

 長くはない」


 私は息を呑んだ。


「家康殿……」


「隠すつもりはない。

 大坂の戦で、

 わしはすべてを使い果たした。

 あとは……

 泰平が続くようにするだけだ」


 その言葉は、

 戦国を終わらせた男の“静かな降り際”だった。


「天海。

 わしが死んでも、

 江戸が揺らがぬようにせねばならぬ」


「はい」


「そのためには、

 江戸に“心”を与えねばならぬ。

 寺社を整え、

 地を整え、

 人の心を整える。

 それが、お前の仕事だ」


 私は深く頭を下げた。


「必ずや」


---


 その時、

 使者が駆け込んできた。


「家康公!

 江戸北方の地に、

 新たな寺院建立の要望が出ております!」


 家康殿は目を細めた。


「北か……

 天海。

 どう思う」


「北は“鬼門”です。

 江戸を守るためには、

 北に大きな寺を置くべきです」


「うむ。

 わしもそう思っておった」


 家康殿は静かに言った。


「天海。

 江戸の北に、

 “守り”を置け」


「承知しました」


 その瞬間、

 私は悟った。


 これが──

 後の寛永寺の始まりだ。


---


 家康殿は立ち上がろうとしたが、

 わずかに身体が揺れた。


「家康殿!」


「……大丈夫だ。

 老いだ」


 家康殿は笑った。

 だがその笑みは、

 どこか寂しげだった。


「天海。

 わしは、

 もう“戦の時代”の人間だ。

 だが江戸は違う。

 江戸は“未来の都”だ」


「はい」


「だから天海。

 江戸の未来は、

 お前に託す」


 私は胸の奥が熱くなるのを感じた。


「……必ずや」


---


 家康殿が去った後、

 私はひとり、

 江戸の北の空を見つめた。


 そこにはまだ何もない。

 だが──

 確かに“何かが始まる気配”があった。


「……江戸の心を作る」


 私は静かに呟いた。


 大坂の炎は消えた。

 だが江戸の光は、

 これから強くなる。


 そしてその光は、

 家康殿の命の灯が消えた後も、

 千年先まで続く。


「家康殿……

 あなたの時代は終わりつつある。

 だが、

 泰平の時代はこれからだ」


 江戸の空に、

 新しい風が吹いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ