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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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111/156

第111話 冬の陣

 大坂の空が、

 ついに火を噴いた。


 冬の冷たい空気を裂くように、

 鉄砲の音が響き、

 城下には怒号が飛び交い、

 浪人たちの血の匂いが立ち込める。


 大坂冬の陣──

 開戦。


 だが私は、

 江戸にいた。


 江戸城の一室で、

 大坂から届く急報を静かに読み続けていた。


「……始まったか」


 普請奉行が震える声で言った。


「天海様……

 戦が……

 ついに……!」


「まだ“戦”ではない。

 これは“始まり”だ」


 私は文を畳んだ。


 大坂の戦は、

 まだ形を持っていない。


 ただ、

 血と怒りがぶつかり合っているだけだ。


 その時、

 家康殿が入ってきた。


「天海。

 大坂はどうだ」


「火が上がりました。

 浪人たちが城外で暴れ、

 徳川方と衝突しております」


「うむ。

 予想通りだ」


 家康殿は椅子に腰を下ろし、

 静かに言った。


「天海。

 わしは戦場へは行かぬ」


「承知しております」


「わしが行けば、

 戦は“わしと豊臣の戦”になる。

 だが今は違う。

 これは“時代と豊臣の戦”だ」


 私は深く頷いた。


「……家康殿。

 では私は?」


「お前も行かぬ」


 家康殿は迷いなく言った。


「天海。

 お前は“戦”を見る者ではない。

 “時代”を見る者だ」


 私は静かに息を吸った。


「……承知しました」


---


 その時、

 使者が駆け込んできた。


「家康公!

 大坂より急報!

 浪人勢、

 城外にて徳川方の陣を突破しようとしております!」


 家康殿は微動だにしなかった。


「……天海。

 戦は、

 始まったな」


「はい。

 ですが、

 まだ“決まって”おりません」


「うむ。

 戦は始まった瞬間に、

 すでに半分は決まっておる」


 家康殿は窓の外の江戸を見下ろした。


「天海。

 大坂の戦は、

 大坂だけの戦ではない。

 江戸の未来を決める戦だ」


「……江戸の未来」


「そうだ。

 大坂が滅びれば、

 江戸は揺るぎない都となる。

 だが大坂が生き残れば、

 江戸は“二つの中心”を抱えることになる」


 私は息を呑んだ。


「……二つの中心は、

 時代を割ります」


「そうだ。

 だから豊臣は滅びねばならぬ」


 家康殿の声は静かだったが、

 その奥に鋼の意志があった。


---


 私は文を開き、

 大坂の状況を読み上げた。


「“城外の堀、埋められず”

 “浪人勢、城内に不満”

 “秀頼様、戦を望まず”

 “淀殿、激昂”」


 家康殿は目を閉じた。


「……揃ったな」


「何が、でしょうか」


「“滅びの条件”だ」


 私は静かに言った。


「……家康殿。

 豊臣は、

 まだ滅びておりません」


「滅びてはおらぬ。

 だが“滅びの形”に入った」


 家康殿は続けた。


「天海。

 戦は勝ち負けではない。

 “形”だ。

 どのように始まり、

 どのように終わるか。

 それが時代を決める」


「……戦の形」


「そうだ。

 豊臣がどう滅びるかで、

 徳川の時代の長さが決まる」


 私は深く頭を下げた。


「その形、

 必ず見極めます」


---


 その時、

 また使者が駆け込んできた。


「家康公!

 大坂城、

 砲撃を受けております!」


 家康殿は静かに言った。


「……始まったな」


 私は窓の外を見た。


 江戸の空は静かだった。

 だがその静寂の奥で、

 確かに“時代”が動いていた。


「……戦は大坂で起きている。

 だが、

 時代は江戸で動いている」


 私は僧衣の袖を握りしめた。


「大坂冬の陣──

 これは、

 豊臣の滅びの“第一の形”」


 江戸の光は強く、

 大坂の影は深く。


 そして──

 時代は、

 静かに決着へ向かっていた。


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