第104話 宣下
江戸城本丸が完成してから数日。
家康殿は、ついに動いた。
京へ使いを出し、
征夷大将軍の宣下を求めたのだ。
だが──
朝廷は簡単には動かぬ。
私は江戸城の一室で、
京から届いた文を読んでいた。
「……“慎重に検討する”か」
普請奉行が不安げに言った。
「天海様……
これは、断られたということでしょうか」
「違う。
“値をつけている”のだ」
「値……?」
「朝廷は、
権威を売る。
ただし、安売りはしない」
普請奉行は息を呑んだ。
「では、どうすれば……」
「焦らぬことだ。
焦れば、朝廷はさらに値を上げる」
その時、背後から声がした。
「天海。
どう見える」
家康殿だった。
私は文を差し出した。
「家康殿。
朝廷は“慎重に検討する”と」
「うむ。
予想通りだ」
家康殿は文を一瞥し、
静かに笑った。
「天海。
朝廷は、
わしが焦ると思っておる」
「はい。
ですが家康殿は焦らぬ」
「当然だ。
わしはすでに“力”を持っておる。
あとは“形”を整えるだけだ」
家康殿は続けた。
「天海。
朝廷は、
わしが大坂を攻める前なら、
この宣下を拒んだだろう」
「はい。
豊臣がまだ力を持っていた頃なら」
「だが今は違う。
豊臣は影だ。
朝廷は、
影に寄りかかるほど愚かではない」
私は静かに言った。
「……朝廷は、
家康殿の“勝ち”を見ているのですね」
「そうだ。
朝廷は常に“勝つ側”につく。
それが千年の知恵だ」
家康殿は窓の外、
江戸の町を見下ろした。
「天海。
江戸はすでに都として動き始めている。
水が流れ、
光が灯り、
大名が集まる。
朝廷はそれを見ている」
「はい」
「だから、
宣下は必ず下りる。
問題は──
“いつ”だ」
私は文を畳み、
静かに言った。
「家康殿。
朝廷は、
江戸の力を測っております」
「うむ。
そしてわしは、
朝廷の“値”を測っている」
家康殿は微笑んだ。
「天海。
朝廷は金では動かぬ。
だが“名分”には弱い」
「名分……」
「そうだ。
わしが征夷大将軍となることは、
“戦を終わらせる名分”となる」
私は息を呑んだ。
「……泰平のための名分」
「そうだ。
朝廷は泰平を望む。
わしは泰平を作る。
ならば、
朝廷はわしに将軍位を与えるしかない」
その時、
使者が駆け込んできた。
「家康公!
京より急使です!」
家康殿は文を受け取り、
静かに開いた。
私はその表情を見つめた。
家康殿の眉が、
わずかに動いた。
「……天海」
「はい」
「宣下が下りた」
私は深く頭を下げた。
「……ついに」
「うむ。
わしは征夷大将軍となる。
江戸に幕府を開く」
家康殿は文を畳み、
静かに言った。
「天海。
これで“形”が整った。
あとは“中身”だ」
「中身……」
「そうだ。
江戸を都にするのは、
これからだ」
私は江戸の町を見下ろした。
水が流れ、
光が揺れ、
人が動き、
大名が集まる。
その全てが、
今、ひとつの“形”に結びついた。
「……家康殿。
江戸は、
ついに天下の都となります」
「そうだ。
そして天海──
お前がその“心”を作る」
私は深く頷いた。
「承知しました」
家康殿は静かに言った。
「天海。
これは始まりだ。
泰平は、
これから作る」
私はその言葉を胸に刻んだ。
「……ここから、
江戸の時代が始まる」
朝廷の文が、
静かに机の上で光っていた。




