こちらから先にぶっ潰しましょう
アリティー王国王宮では今夜、夜会が開催されていた。
豪華絢爛な夜会の空気にほんの少しだけ疲れたモンテクッコリ伯爵令嬢アレッシアは、王宮の庭園で休憩していた。
心地の良い夜風が、アレッシアのウェーブがかったダークブロンドの髪をそっと撫でる。
その時、不意に少し離れた茂みの奥から声が聞こえた。
(あら……?)
それはアレッシアにとって聞き覚えのある声だった。
「キアラ、このネックレスを君にあげる」
「まあ、ジュリオ様ったら、嬉しいですわ。でも、婚約者を放置しておいて良いのですか?」
「良いさ。俺はあんな奴よりもキアラの方を愛してる。いっそのことあいつに婚約破棄を突き付けてキアラと結婚したい」
「ジュリオ様、嬉しいですわ」
甘くだらしのない声だ。
おまけに二人は口付けまで交わしていた。
(まあ、ジュリオ様)
アレッシアは影から気付かれないように二人の様子を見ていた。
実はジュリオと呼ばれた令息は、アレッシアの婚約者なのだ。
アレッシアとトレッリ伯爵令息ジュリオは、領地経営に失敗して負債を抱えたトレッリ伯爵家をアレッシアの生家モンテクッコリ伯爵家が支援するという条件で婚約が成立しているのである。
しかし、婚約した当初からジュリオはアレッシアを蔑ろにしていた。
しかしアレッシアはモンテクッコリ伯爵家の為に耐えていた。
モンテクッコリ伯爵家はトレッリ伯爵領の名産である柑橘類を使った新規事業を立ち上げ領地の収益の拡大を狙っているのだ。
(でも、ここまでされて私が耐える意味はあるのかしら? どうにかしてジュリオ様と婚約を解消したいわ。よく考えたら、モンテクッコリ伯爵家の新規事業はトレッリ伯爵家と組まなくても良いわけだし)
拳を握り締め、ラピスラズリのような青い目をキッと鋭くしたアレッシアである。
その時、背後から足音が聞こえた。
アレッシアはハッとして振り返る。
そこには思わず息を飲み込んでしまう程の、端正な顔立ちの令息がいた。
彼のアッシュブロンドの髪は、月明かりにより艶やかになっている。
(このお方は……!)
アレッシアはカーテシーで礼を執る。
「楽にしてくれて構わないよ」
頭上から、優しさと凛々しさを兼ね備えた声が降って来た。
「ありがとうございます。モンテクッコリ伯爵長女、アレッシア・レオニダ・ディ・モンテクッコリでございます。ファルネーゼ公爵家のご長男であられるリッカルド様、お声がけいただけて光栄でございます」
アレッシアは姿勢を戻し、そう挨拶をした。
「アレッシア嬢、僕のことを知っていてくれたのだね。嬉しいよ。改めて、ファルネーゼ公爵長男、リッカルド・ロレンツォ・ディ・ファルネーゼだよ」
リッカルドは嬉しそうにペリドットのような緑の目を細めていた。
リッカルドはその見た目から、アリティー王国社交界を賑わせていたのだ。
見た目が良いだけではなく領地経営能力も抜群なので、次世代の期待の星とされている。
当然、アレッシアも彼の存在は知っていたのだ。
自分と同じ十七歳でそこまで社交界を賑わせていることは凄いなと思っていたのである。
「それにしても、あそこにいるのは確かアレッシア嬢の婚約者ではないか?」
リッカルドはジュリオの行いに眉を顰めた。
「ええ。お恥ずかしながら……」
アレッシアはチラリとジュリオを見て呆れながらため息をついた。
「アレッシア嬢は婚約者から随分と酷い扱いを受けているのでは?」
「まあ……そうですわね。どうやらジュリオ様は私に婚約破棄を突き付けたいらしですし。私としても、一方的にやられる前にどうにかしたいところではありますが」
アレッシアはふうっとため息をついた。
「……確かモンテクッコリ伯爵家は、トレッリ伯爵領の柑橘類を使った新規事業を立ち上げようとしているそうだね?」
「よくご存知で」
アレッシアはリッカルドの持っていた情報にラピスラズリの目を丸くした。
「アレッシア嬢は家の新規事業の為にこの婚約を我慢して受け入れていたと」
「……ええ」
アレッシアは苦笑しながら頷いた。
一体リッカルドはどこまで知っているのだろうかとすら思う。
するとリッカルドは意味深な笑みを浮かべる。
「ねえ、アレッシア嬢。ファルネーゼ公爵領の名産品に柑橘類があることは知っているかい?」
「……そういえば、そうでしたわね」
アレッシアはファルネーゼ公爵領についての情報を思い出した。
ファルネーゼ公爵領は広大な領地で、柑橘類の収穫量も多い。
「ならば、モンテクッコリ伯爵家はファルネーゼ公爵家に乗り換えても良いんじゃないかな?」
それは暗に、ジュリオの婚約を解消して新たにリッカルドとの婚約を意味していた。
アレッシアの鼓動は思わず高鳴り、ラピスラズリの目を大きく見開く。
「モンテクッコリ伯爵家としては……非常に光栄ですが、ファルネーゼ公爵家に利はございますの?」
「モンテクッコリ伯爵領は交通の要衝地だ。ファルネーゼ公爵領の名産品とかを王都に運ぶ際、通行料を優遇してくれたら良いさ」
ニコリと笑うリッカルド。
領地経営面のことも考えているようだ。
確かにそれならモンテクッコリ伯爵家とファルネーゼ公爵家双方に利がある。
ジュリオと婚約するよりはずっと良いと考えてしまうアレッシアだ。
リッカルドと婚約するとなると、少しドキドキしてしまうアレッシア。
しかし、アレッシアの一存で決められることではない。
それすらもリッカルドは分かっていたようで、「後のことはアレッシア嬢のお父上、モンテクッコリ伯爵閣下に話を通してみよう」と言うのであった。
「でも、このままだときっとジュリオ以外のトレッリ伯爵家側は納得しないだろう。トレッリ伯爵家はモンテクッコリ伯爵家の支援で何とかやっていけているのだから」
「そうでしたわ」
トレッリ伯爵家側のことを思い出し、アレッシアの表情は沈んだ。
「でも大丈夫だ。モンテクッコリ伯爵家よりも多額の支援をしてくれる家が現れたら向こうもそちらに乗り換えるさ」
「そんな都合の良い家があるのでしょうか?」
「あるさ」
リッカルドはニヤリと黒い笑みを浮かべる。
「僕の従妹、パオラのことは知っているだろうか?」
「パオラ様……ですか……? もしかして、ゴンザーガ侯爵家の?」
何となく名前だけは聞いたことがあるような気がしたアレッシアである。
するとリッカルドは頷く。
「ああ。今年成人したパオラは性格がとにかく苛烈でね。気に入らない者達を何人も社交界から追放している困った性格だ。僕の妹もパオラによく突っかかられて困り果てているんだ。パオラの目を妹からそらす為にも、ジュリオは使えそうなんだ。ジュリオの顔は、パオラの好みど真ん中だからね」
相変わらず黒い笑みのリッカルドである。
「まあ、そうでしたの……」
大変そうだなと、アレッシアの表情は引きつった。
「ゴンザーガ侯爵家はかなりの資産家だ。おまけにパオラを溺愛しているから、パオラがジュリオとの婚約を望むのなら叶えるだろうね。トレッリ伯爵家に多額の支援もするだろう。まあ、ジュリオはパオラの束縛とかに一生困るだろうけれど」
どこか楽しそうに笑っているリッカルドだ。
彼の意外な一面に、アレッシアも思わずクスッと笑ってしまう。
「リッカルド様にも意外と黒い面がありますのね」
「まあね。でも、どうだろう? 良い案だと思わないかい? アレッシア嬢の溜飲も下がるだろう?」
「ええ。私、やられる前にこちらからぶっ潰したいと考えておりましたので」
アレッシアはふふっと笑った。
「ですがリッカルド様、どうして私にそこまでしてくれますの? ほとんど初対面ですのに」
アレッシアは素直に疑問をぶつけてみた。
「初対面か……」
リッカルドはフッと笑う。
「アレッシア嬢、僕達、幼い頃に会っているんだよ。覚えていないかな? 僕らがまだ五歳だった時のこと。僕が意地の悪い奴らにいじめられていたのを君が助けてくれたんだよ」
リッカルドはペリドットの目を真っ直ぐアレッシアに向けていた。
アレッシアはゆっくりと五歳の時の記憶を思い出す。
(確かに……そんなことがあった気がするわ……!)
体が小さく、他の意地の悪い令息達に突き飛ばされたり蹴られたりしていたリッカルド。
アレッシアはリッカルドの前に庇い立ち、意地の悪い令息達をキッと睨みつけた。
『貴方達! 集団で寄って集って体の小さい子をいじめる卑怯なことはおやめなさい! 紳士としてどうかしているわ!』
兄と一緒に剣術を習っていたアレッシアは近くにあった木の枝で意地の悪い令息達を撃退したのである。
「リッカルド様は、あの時の子だったのですね……!?」
男性の中でも長身になったリッカルド。あの時いじめられていたのが嘘のようである。
「ああ。僕はあの時からアレッシア嬢に惚れたんだよ。そして、アレッシア嬢にピンチが迫ったら、絶対に僕が助けようと思ったんだ」
リッカルドは真剣な表情だ。
「ジュリオと婚約解消して、僕の妻になってくれないか?」
アレッシアの答えは決まっている。
「はい、喜んで」
アレッシアは表情を綻ばせて頷いた。
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その後、モンテクッコリ伯爵家、ファルネーゼ公爵家、トレッリ伯爵家、ゴンザーガ侯爵家の四家で話し合いがあり、アレッシアとリッカルド、そしてジュリオとパオラの婚約が新たに決まったのである。
その際、ジュリオだけは不在だった。
婚約の話と聞いて、アレッシアと顔を合わせたくなかったようだ。
その後の夜会でアレッシアがリッカルドと仲睦まじい様子だったのを見かけたジュリオは、アレッシアに「不貞だ!」と詰め寄ったがリッカルドが撃退してくれてことなきを得た。
その際、パオラがジュリオの新たな婚約者であることを名乗り出て、「私だけを見ないと許さないわよ」とジュリオに詰め寄ったようだ。
ジュリオの浮気相手キアラもパオラの手により家ごと潰されて社交界を追放となった。
ジュリオは現在パオラからの束縛に激しく苦しんでいるようだ。
「アレッシア嬢、全てが上手くいったね」
「ええ。やられる前にこちらからぶっ潰すことが出来て良かったですわ」
アレッシアはリッカルドの隣で幸せと安寧を感じるのであった。
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