第9話 聖秦村
獣道を進む2人の足音だけが森の静けさを破っていた。アリシアはレオの手をしっかりと握り、周囲を警戒しながらオルテリアを目指している。
川に流されてから、現在地がはっきりしない。人里を見つけないといけないが、エンブレイズの兵士に見つかることも避けないといけない。
「お姉ちゃん、疲れてない?」
レオは姉の余裕の無い表情を見て、心配そうに尋ねる。その心配の一因が己の怪我であることが申し訳なかった。アリシアは微笑み、彼の頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ。レオはどう?それに……肩は痛くない?」
「全然!もっと歩けるよ!」
アリシアは川で見た光景を思い出す。レオの出血はかなりの量だった。体力の半分も回復をしてないだろう。彼は強かっているが、時折ふらつきそうになっている。
先程のおんぶや抱っこは冗談めかして言ったが、本気だった。レオが限界を迎えたら迷わずそうするつもりだ。
(レオの傷は深い……そろそろ薬の効果も切れてしまう……早く薬を手に入れないと……)
アリシアはレオの左肩を見つめ、心配を抑えきれない。レオがふと好奇心で満ちた顔でアリシアを見る。
「あっ!そうだ!お姉ちゃんはオルテリア王国ではどんな立場なの?」
その質問にアリシアは一瞬息を呑む。姫騎士であることをごまかす時はボロが出ないようにしないといけない。
「まぁ、そこそこ偉い騎士になったよ。レオは出世したい?」
「やっぱりお姉ちゃんはすごいんだね!出世よりも俺はお姉ちゃんと一緒の部隊にいたいよ!」
「ふふ、お姉ちゃんもレオと一緒にいたいよ」
レオの目が輝く。その反応にアリシアは安心しながら微笑んだ。どうしても罪悪感が疼いてしまうが、彼の笑顔を見ると痛みは消える。
日が暮れそうな頃、レオは遠くに煙が立ち上ってるのを見つける。おそらく人里だろう。調理の煙に違いない。
「お姉ちゃん、多分あれ村とかじゃないかな?煙が見えるよ」
アリシアも目を細め、遠くを確認する。
「本当だね、レオ。よく気がついたね」
アリシアはほっと息を吐くが、まだ安心は出来ない。エンブレイズの勢力圏内なら兵が駐屯している可能性がある。怪しまれたら一貫の終わりだ。
(だが、レオの状態を考えると、これ以上の野宿は避けたい。それに薬も手に入れないと……躊躇ってはいられない)
彼女はレオの手を握りしめ、緊張を隠しながら言う。
「レオ、慎重にいこうか、目立つ行動はしちゃダメだからね」
「うん!お姉ちゃん!」
村に近づくと、入口に古びた石碑が立っていた。『聖秦村』と書かれており、聖教のシンボルマークが刻まれている。どうやらエンブレイズとオルテリアの境に点在している聖教の領地らしい。中立地帯で比較的安全だろう。
「聖教領だ……、良かった……」
アリシアは少し肩の力を抜き、レオの手を引いて、村へ入っていった。村人たちは穏やかで、村の中央にある教会の鐘が心地よく響いていた。古くからの彫像があるらしく、礼拝に来る者が多いらしい。宿屋も何軒か有りそうだった。
「お姉ちゃん、どこに向かう?」
「そうだね。まずは宿だね。レオも疲れたでしょ?」
近場で見つけた宿屋の扉を開けると、老婦人が出迎える。木の温もりが感じられる小さな宿だ。
「部屋は空いてるか?弟と2人で泊まりたいんだ」
「旅の方かね?あいにく空いてるのは一人部屋しかなくてね。ベッドが一つだけしかないよ」
「その部屋で構わない。料金は2人分払うから、泊めてくれないか?」
「はいよ。204号室だ」
アリシアは銀貨を渡し、鍵を受け取ると2人で部屋に向かう。
「レオ、薬を買ってくるから大人しく待っててね。すぐに戻るから」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん。ごめんね、迷惑かけて……」
「いや、その傷は……私を庇ってくれた傷だよ。助かったの私だから迷惑じゃないよ。ありがとう、レオ」
アリシアはレオを座らせると部屋を出て薬屋に向かう。宿の者に場所を聞き、足早に駆けて行った。
暫くするとアリシアは薬と布を持って戻ってきた。彼女は桶のお湯に布を入れ、レオの体を拭こうとする。
「ただいま、レオ。新しい薬を塗るね。痛くない?」
「うん、大丈夫だよ」
慎重に傷口付近を消毒しながらアリシアは布でレオの体を拭いていく。薬を塗り、包帯を巻き直す。
「これで良し、あとはこれを飲んで」
「うん」
飲み薬も飲ませると、彼をベットに寝かせる。
「じゃあレオは先に寝て、お姉ちゃんはまだやることがあるから」
「お姉ちゃんも寝ないとダメだよ?」
「大丈夫、あとでお姉ちゃんも寝るから」
レオはアリシアを心配しているが、薬の作用もあって、眠りに落ちていった。彼の寝顔に微笑むと、彼女はそっと明日用の物資を買いに行った。川に流された際に地図も紛失している。一通りの物を揃えると部屋に戻り、レオの側に座り、自らの身体も濡れた布で拭き始めた。
(中立地帯とは言え、追手が来ているかもしれない)
その小さい割に栄えている村だが、両国の人間に解放されいるからである。故に追手が来ていてもおかしくはない。
(今夜も寝ずの番をした方が良いな……)
目の前には穏やかな顔をして寝ているレオが映っていた。アリシアは時折、彼を撫でながら静かに眺めていた。