第6話 偽りの姉
冷たい川の水が容赦なく2人を飲み込もうとしていた。激流に逆らいながら、アリシアは必死にレオを掴んでいる。冷たい水が肌を刺し、息をする度に口に水が入った。気管にまで流れ込み、息がつまる感覚に耐えながら川岸を目指す。
「守れて良かっただと、このバカっ!お前が死んだら意味がないだろ!」
意識を失い、血を流しながら顔が白くなっていくレオ。アリシアの声が震え、焦燥感が全身を支配した。目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになる。家族の愛を知らずに育ったアリシアにとって、レオは初めて心を許した存在だ。彼を失うことはもう彼女には耐えられない。
「レオッ!レオッ!こんな所で死ぬなんて許さないからな!二人で、オルテリアに行くってレオも言ったじゃないか!」
必死に手を伸ばし、川辺から垂れ下がる蔦に指先が触れる。何度も何度も失敗しながら、蔦の一つを掴んだ。アリシアはレオの体を抱え蔦を頼りに岸へと這い上がる。ずぶ濡れの体は鉛のように重く、肩で荒々しく息をしながら彼を草の上に横たえた。
「レオ!目を開けてくれ!レオっ!」
彼の脈に触れ、呼吸を確認する。微かに息はあるものの、顔色が悪く。出血も続いていた。
追手が差し向けられる可能性も考え、周りを見渡し、隠れ場所を探す。岩の隙間にある小さな洞窟を見つけた瞬間、希望が灯った。
「あそこなら……」
レオを抱え上げ、洞窟の奥へと急ぐ。アリシアは比較的汚れてない所に自分のマントを広げ、その上にレオをそっと寝かせる。
「ここなら隠れられる……」
レオの鎧を脱がせ、傷口を布で縛って止血をする。僅かに鞄に残った回復薬を取り出し、口に含ませた。すると徐々に出血が収まり始める。
「レオ、頑張れ!私がついてるからな!」
応急処置を終えたものの、レオの体は冷えきり、震えが止まらない。額には汗が浮かび、呼吸も荒い。
「このままじゃ死んでしまう……」
日も落ち、辺りは暗闇に包まれる。焚き火を起こす時間も無く、乾いた薪を集めることも出来ない。アリシアは唇をかみ、決意を固めた。
「温めないと……」
自分の鎧を脱ぎ、彼の濡れた服を剥がす。躊躇いながらも自らの体を彼に密着させて抱き締めた。冷たい肌が彼女の体温を奪い、心臓が激しく鼓動する。
アリシアの脳裏にはレオの笑顔が浮かんでいた。彼が向けてくれる優しく純粋な目。その目を失いたくない一心だった。
「レオ、頼むから……、私を一人にしないでくれ」
彼女の声は震え、涙が頬を伝う。彼にとって自分はただ家族に似ているだけの存在かもしれない。でも彼女にとっては、もう何よりも守りたい存在だった。
洞窟の外で風が唸り、闇が二人を包み込む。レオの体が少しずつ温かさを取り戻すのを感じながらアリシアは静かに目を閉じた。
――――――
夜が明け、洞窟に薄い朝日が差し込む。レオは重いまぶたをゆっくりとを開けた。体が重く、視界が定まらない。
冷たい岩の感触と湿った空気に、ようやく此処が洞窟だと理解する。だが何故こんな所にいるのか、記憶が霞んでいた。
「ここは……?」
体を動かそうとすると左肩に激痛が走る。他にも身体中が痛み満身創痍の状態だ。混乱する中、側にいる金髪の女性が視界に映る。懐かしく優しげな顔がこちらを見ている。見覚えのある顔、見間違える訳がない顔、もう二度と見ることが出来ないはずの顔。
「お姉ちゃん……?」
喉が震え、大好きな人を呼ぶ。死んだはずの姉、アリアが目の前にいる。これが夢なのか現実なのか、区別が出来ない。直近の記憶を思い出そうにも、何も思い出せない。この再会が夢なら覚めないで欲しい。
「レオ、目が覚めたのか。良かった……」
アリシアはレオが無事に目覚めて安心する。元気そうな彼をみて、心の重みが無くなり、微笑みかけた。
(昨日と同じ様にお姉ちゃん呼びした事をからかってみるかな)
順調に回復しているレオの様子を見て悪戯心が出る。自分の事をお姉ちゃん呼びして、その後、恥ずかしがるレオは毎回可愛らしい。
「お姉ちゃん!会いたかった!会いたかった!」
レオは痛みも忘れ、涙を浮かべながら大好きな姉に抱き付く。アリシアは彼の様子に違和感を感じるが、それを優しく受け止める。
「レオ……?」
(何かおかしい。今までの『お姉ちゃん』とは違う、怪我で混乱してるのだろうか……)
彼の怪我は深く、まだ体を動かすべきではなかった。
「まだ安静にしてろ。私を庇って撃たれた傷は深いんだからな」
アリシアはレオの回復力に驚愕しながらも、背中を支えながら再び寝かせようとする。
「俺、お姉ちゃんを庇って撃たれたの?」
「レオ……、もしかして覚えてないのか?」
彼の言葉に、アリシアの声が硬くなる。レオは首をかしげ、混乱した表情を見せた。
「うん、思い出せないけど……、それより、お姉ちゃんが生きてて良かった!また会えて、すごく嬉しいよ!」
その瞬間、アリシアは全てを理解した。自分と出会った記憶を失い、アリシアを姉のアリアだと認識していることを……
純粋な喜びに満ちた瞳が、彼女の胸を締め付ける。
「レオ、落ち着け、私は……」
姉ではないと真実を告げようとしたが、言葉が喉につまる。彼の喜びはあまりにも純粋で、あまりにも眩しかった。
(重傷で直近の記憶を失った彼に、この真実を伝えることは本当に正しい事なのか?せめて回復するまでは……)
アリシアはレオの頭を撫でる。その手は不器用ながら愛情に満ちていた。決意を込めて彼に微笑みかける。
「そうだね、レオ。お姉ちゃんも会えて嬉しいよ」
偽の姉を演じる罪悪感が胸に刺さる。だがそれ以上に彼の記憶にもう自分、アリシアが消えてしまったことが辛かった。
「お姉ちゃん、ずっと寂しかった!生きててくれて、良かった……」
レオは涙を流しながら彼女の胸に顔を埋め、再会を喜ぶ。孤独だった少年が涙が流しながら喜んでる姿を見ると、アリシアの胸の痛みも和らいだ。
「お姉ちゃんもだよ、レオ。」
彼女はそんなレオの背中を優しく叩き、姉として振る舞い続ける。
「もういなくならないでね、お姉ちゃん……」
「あぁ……お姉ちゃんはいなくならないよ。だから安心して眠って……」
レオの声は弱々しく、やがて静かな寝息に変わっていく。アリシアは彼を抱き締めたまま静かに思った。彼を守るためなら偽りの姉でもいい、それで彼を救えるのなら……
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