第2話 捕らわれの姫騎士
宿の薄暗い部屋で、姫騎士アリシア・オルテリアは意識を取り戻した。目を開けず、自分の状況を確認する。手首には縄の感触があり、柔らかなベットの上に横たわっている。戦場で酷使した体はあちこちが痛んでいるが、怪我などはしていない。
(あの少年騎士は私を捕虜にしたのか)
まさか囚われの屈辱を受けるとは思わなかった。皮肉の一つでも言ってやろうと思い、目を開けると、彼女が起きたと気づいて嬉しそうにしている少年が側にいた。戦場では兜に隠れ見えなかったが、思ったよりも幼そうな顔立ちだと感じる。そして何故か自分の事を心から気遣う眼差しを向けていた。
「目が覚めたんだ!体は大丈夫?」
レオは立ち上がりほっとしたように笑った。敵の前にも関わらず、無防備な態度のレオにアリシアは眉をひそめるが、すぐに少年を睨み付ける。
「……貴様、確か、レオと呼ばれていたな。私をなぜここに連れて来た。戦場で殺さず、捕らえたのは何故だ?目的を言え!」
アリシアは現状を把握しようとする。だが、目の前の少年から何故か敵意を感じない。彼から向けられる親しげな視線にたじろぐが、動揺が悟られぬよう彼女は敵として冷たく言い放つ。
レオはそのアリシアの態度に悲しげな表情になるが、意を決したように彼女を見つめ口を開く。
「……俺の顔に見覚えは無い?」
「……何?」
アリシアは思いもしない質問に心がざわついた。
「その……貴女が知り合いに似ていて……。数年前にこの国で生活していた事はない?俺と会っていた事はない?」
「いや、初対面のはずだ。君の顔に見覚えは無いし、生まれも育ちもオルテリアだ。他国には戦争以外で出たことは無い」
彼女が冷たく答えるとレオは視線を伏せ、肩を落とした。彼は少しだけ、ほんの少しだけ期待をしていた。もしかしたら彼女は姉のアリアかもしれないと。見た目だけじゃなく、声も、言い回しも何もかもが姉を彷彿させていた。
「そうか……。そうだよな……そんなわけないか……」
予想もしていない彼の態度の変化にアリシアは目を見開いた。自分が彼の問いを否定する度に、彼の悲しみが伝わり調子が狂う。彼女は試すように口を開いた。
「知り合いに似ていたから、殺せなかったのか?」
「そうだ……」
「もし知り合いが敵国の騎士になっても、情をかけないのが戦場の習わしだ。そんな甘い覚悟で貴様は戦っていたのか!」
姫騎士として、目の前の少年を叱りつけた。だが内心ではこの少年が自分へ向ける眼差し、まるで、誰か大切な人を重ねるような瞳が、アリシアの心に突き刺さっていた。
「うるさいっ!!」
アリシアから正論を言われ、騎士としては反論が出来ない。レオは思わず叫び拳を握る。
「俺だって、そんな事はわかってるよ……」
「なら、すべき事をしろ」
アリシアは冷たく言い放つ、この状況で生き永らえるつもりはない。その言葉にレオは軍法を思い出す。敵将を捕らえたら、殺すか、連行し上官に渡すのが定めだ。
「貴女はどちらが良い?」
「私は見世物にはなりたくは無い。覚悟はとっくに出来ている。早くやれ」
上官に差し出せば彼女は辱しめを受け処刑されるだろう。だったら……。
レオは短剣を抜き、アリシアに跨る。何度見ても姉と瓜二つの外見だ。
「やるなら一思いにやってくれ」
アリシアは静かに目を閉じる。レオは短剣を彼女に近づけた。アリシアの首元に触れそうになると、手が震え、息が詰まる。姉だ、姉にしか見えない。戦死した姉とアリシアが脳裏で重なる。
「お姉ちゃん……」
涙がアリシアの頬に落ちた。彼女は目を開き、目の前の少年を見る。
「お姉ちゃん?どういう事だ?私はオルテリアのアリシアだ!貴様の姉では無いぞ!」
アリシアはレオを見つめながら言う。そして彼の目に大きな悲しみが宿っている事を感じた。彼の感情に当てられアリシアの心も締め付けられる。
「はっ……、はっ……」
レオは姉の死を思い出すと呼吸が上手くできなる。心臓がうるさく、大量の汗がにじみ、目の前も歪んで見える。手元から剣が滑り、床に突き刺さった。
「レオ!落ち着け!」
アリシアは叫ぶ。だが手首を縛られたこの状況で出来ることは無い。だが、この少年が苦しむ姿になぜか放っておけない衝動が沸いた。
彼女は歯を食い縛り縛られた両手を上げ、レオの首に引っ掻ける。縄が食い込み手首に痛み走った。それでも力を込め、彼の頭を自分の胸に引き寄せた。
「ほら、私の心音を聞け。ゆっくり合わせろ」
レオはアリシアの倒れ込み、心音に包まれた。姉も昔よく彼を落ち着かせてくれていた。徐々に汗が引き、呼吸が整い、目の前が見えてくる。
アリシアは内心、敵国の騎士に奇妙な親しみを感じていることに自分でも驚きが隠せない。
(そうか……私をあんな親しげな眼差しで見る人物は居なかったな……)
思えば王女であるアリシアにあんな親しげな眼差しを送るものはいない。部下や兵は言わずもがな、家族である王族でさえ、側室の出であるアリシアの事を家族だと思っているかどうかも怪しい。にも関わらず目の前の少年だけは家族のような親しげな目を向ける。
「ありがとう……落ち着いたよ」
「そうか、良かった。では話せ、なぜ私が姉に見えた?」
レオはアリシアの上から降り、懐のペンダント開けながら話し始める。
「貴女は3年前に死んだ俺の姉とそっくりなんだ……」
ペンダントの中の写真をアリシアに見せる。レオとアリアが仲良く肩を組んでいる写真だ。
「こ、これは……」
アリシアは写真を見て驚きを隠せない、写っていた女性は彼女が見ても自分と瓜二つだった。それからレオは時折声を震わせながら話し続ける。見た目だけじゃなく、性格も、声もそっくりだった事。剣捌きも姉と似ていること……
「生きていたら18歳だった」
「……年も同じだな」
「だから、貴女の事を……もしかしたらお姉ちゃんかもしれないと思ったんだ。だから殺せなかった」
アリシアは彼の話に聞き入っていた。少年の抱える悲しみと自分に向ける眼差しの原因を理解した。自然と彼女も彼に対する警戒心が薄れていた。
「それで……どうして、君の姉はどうして亡くなったんだ?」
「姉も騎士だった。退却中に橋で撃たれて戦死したんだ。遺体は流されて見つからなかった」
「そうだったのか……」
「偶然って、恐ろしいよ」
大好きな姉と同じ姿の人間が敵に現れた。これは幸運なのか悲劇なのかレオには分からない。
「あぁ……もう良いや」
レオにはもう、アリシアを殺す事も軍に差し出す事も出来そうになかった。彼女を逃がすか迷い始める。ここはエンブレイズ王国の街だ。疲弊している彼女が1人で見知らぬ町を抜け出しオルテリアまで帰国するのは困難と思えた。
どちらにせよ、もう彼女を捕らえておく気は無くなり、レオはアリシアの拘束を解いた。
「どういうつもりだ?敵将を解放するなんて、騎士としては間違ってるぞ」
アリシアは目の前の少年が自分に対して、動揺した。
「だから言っただろう!貴女は姉と同じとしか思えないんだ!お姉ちゃんは唯一の家族だった!別人でも大好きなお姉ちゃんと同じにか見えない人を俺は……殺せない……」
「それで軍法を犯すのか?」
レオは諦めたように呟く。アリシアが姉では無く、姉がもうこの世にいないという現実を再認識したことで、彼の心は虚ろだった。
「そうだ。報告してないし、軍とも合流してないから既に犯しているから……」
「そうか……」
アリシアは目の前の少年に親近感のような物を感じている。
(この子が苦しんでるのを見るのは辛いな)
彼女自身、このような感情を他者に向けることは初めてだった。
「レオ。君の苦悩は分かった。私を殺さず、差し出す事もしないなら、私が君に他の道を提案しよう」
彼女はレオの目を力強く見つめ、姫騎士として威厳ある声で提案する。彼女は自分でもこの少年に微笑みを向けている事に気づいてはいなかった。
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