第18話 離宮への帰還
王都の宿の一室に、柔らかな朝の光が差し込んでいた。ベッドの上で、アリシアはレオを抱きしめたまま眠っている。昨日までの移動の疲れが2人を深い眠りに誘っていた。
突然、コンコンと控えめなノック音が部屋に響き、アリシアはゆっくりと目を開ける。
「もう朝か……」
アリシアはレオがまだ眠っていることを確認すると、そっと息を潜め、レオを起こさぬよう慎重に腕を抜いた。
彼女は身なりを軽く整えると静かにドアに近づく。
「誰だ?」
外から控えめな声が帰ってきた。
「シルビアとフィオナにございます」
アリシアは表情を引き締め、静かにノブを回す。廊下には2人の女騎士が立っていた。
長い銀髪をポニーテールに束ね、凛とした表情の中隊長シルビアと、赤い髪を肩の高さで切りそろえ、活発な性格の小隊長フィオナ。2人ともアリシアが率いる『雷鷹騎士団』の幹部で忠実な家臣だ。
「殿下!ご無事で何より……」
「殿下がクロスフェル平原で消息不明となったとの報せで……心配でした!……本当に良かったです!」
2人の女騎士は主君の姿を見るなり、膝をついて頭を下げた。シルビアは声を抑えているが、少し体が震えており、フィオナも目を潤ませている。アリシアはそんな様子を見てうれしく思うが、部屋の前で声を上げたくはなかった。
「2人ともありがとう。だが……今は部屋で連れの者が寝ているんだ。外で話そう」
2人は一瞬、目を丸くする。アリシアが誰かと同室で寝ていた。それは王女として異例の事態だ。シルビアがわずかに眉を寄せ、フィオナの口は半開きになっている。
「連れの者……ですか?」
アリシアは困惑している2人を連れ、宿の庭園に向かった。彼女がベンチに腰掛けるとシルビアが口を開く。
「あの殿下、連れの者とは?それに昨夜の命令書通り、離宮の模様替えも進めておりますが、殿下が誰かと同室で過ごすと……一体何が……」
フィオナも頷き、困惑の声をあげる。
「はい、殿下の安全を考えると心配です。身元は確かなのですか?」
アリシアは2人の視線を受け止め、静かに息を吐いた。
「君達も座ってくれ。詳しい説明は後でするか、今はこれだけ教える。私はその『連れ』を……、特別な騎士として扱う、離宮では側近として遇するつもりだ。余計な詮索は禁じるし、彼に私の立場を明かすな」
「しかし殿下、その『連れ』の方は何者なのですか?」
アリシアは言葉に詰まってしまう。自分とレオの関係を上手く言葉に出来ない。彼女達の心配は忠誠心から来るものでありがたいが、レオの事を説明するのはまだ早いだろう。それに、まずは離宮の準備を終わらせないといけない。
「あとで詳しく説明する。今は指示通り頼む……。模様替えの進捗はどう?」
「はっ……、命令通り手配中で、昼ごろには完了する見込みです。本館の東翼を殿下のプライベート空間にし、寝室も変更しております」
「わかった。今から離宮に帰るとしよう。外で待っていて」
「「はっ!」」
2人は一礼し、去っていく。アリシアが部屋に戻ると、レオはまだ穏やかな寝息を立てていた。彼女はそっとベッドサイドに座り、レオの肩を優しく揺らす。
「レオ、起きて。朝だよ」
レオの瞼がゆっくりと開く。ぼんやりとした目でアリシアを見つけると、すぐに笑顔になった。
「ん……おはよう、お姉ちゃん。」
「おはよう、レオ。よく眠れた?」
「うん……、よく眠れたよ。お姉ちゃんがそばにいるから……」
アリシアは彼の髪を撫でながら、穏やかに言う。
「お姉ちゃんもレオのお陰でよく眠れたよ。……レオ、今日はお姉ちゃんの職場で少し準備をしてくるから、先に宿を出るね。昼には戻るから、大人しく待ってて」
レオの心に不安がよぎる。王都は知らない街で1人で待つのは寂しい。だが、姉を困らせる訳にはいかない。強がって頷いた。
「うん……わかった。お姉ちゃん、早く戻ってきてね。俺、ちゃんと待ってるから」
アリシアはレオを抱き締め、彼に頬ずりをする。
「約束ね。すぐに終わらせるから。昼は一緒にご飯を食べようね」
レオは頷き、彼女の背中を見送った。ドアが閉まると、部屋が急に静かになる。彼は窓に近づき、王都の街並みを眺めた。
(お姉ちゃんの職場……どんな所なんだろう。きっと凄いんだろうな。お姉ちゃんの弟として頑張らないと……じゃないと、お姉ちゃんに恥をかかせちゃう……)
不安をかき消すように、レオは姉の隣に立つ為に頑張る決意を固めていた。
アリシアは宿を出て、馬車に乗り込んだ。シルビアとフィオナが護衛として付き従う。アリシアが暮らす離宮は王都内の北部にあり、王都の中でも比較的閑静な地区だった。
馬車が門をくぐると、家臣達が一斉に跪き、歓声が上がった。騎士や兵、女官、使用人など総勢400人以上が、並び、アリシアの帰還を祝っている。アリシアの家臣の内、王都に駐在している者の大半が揃っていた。
「「「殿下!ご帰還おめでとうございます!!」」」
アリシアが馬車から降りると、家臣達の歓声が一段と激しくなる。
「皆の歓迎、有り難く思うよ。心配をかけてすまないな。私はこの通り元気だ」
女官長が涙ぐみながら近づく。
「殿下!無事で何よりです!宴を!」
「いや宴はいい。歓迎ももう充分だ。皆も持ち場に戻ってくれ。私はまず本館に向かう」
家臣達は頷き、散っていった。アリシアは本館へ急ぐ。離宮は広大で、庭園、厩舎、治療所、訓練場、家臣の宿舎なども揃っている。アリシアが住む本館は白い石造りの3階建てで、彼女の私室は2階にある。
本館の階段を上り、寝室に入ると指示通りの模様替えが進んでいた。作業している女官がアリシアを見て慌てて頭を下げる。
「殿下、命令通り進めていますが、本当にこの部屋で良いのですか?」
今まで使っていた寝室は王女らしい豪華なもの。本館で一番広い個室で金糸の装飾が施された天蓋付きの大きなベッドと高級な絨毯が広がっている。だが余りに豪華すぎるとレオに怪しまれるだろう。だから、部屋も今までより小さいものにして、貴族レベルの設備に抑えた。
「これで良い。進めてくれ」
アリシアは自分とレオが姉弟として過ごせるように女官達に細かく指示を出す。2人での生活が2階の東翼だけで完結する為の設備も用意した。
一通りの作業を確認するとアリシアは離宮の治療所に向かった。先の戦での負傷者たちがベッドに横たわっている。
「姫殿下!」
彼女達は一斉に姿勢を正そうとするが、アリシアはそれを静かに制した。
「安静に。皆、生きていて良かった。早く治して、再び共に戦おう」
アリシアは負傷者一人ひとりに声をかけ励ます。彼女達は涙を浮かべ主君との再会を喜んでいた。
治療所を後にし、次に厩舎に向かう。広大な厩舎には100頭を超える馬がいる。
彼女の愛馬、白い毛並みの雌馬『ジュディ』が柵の中で静かに立っていた。あの戦いの最中、矢が刺さり、先に撤退させた馬だ。もう傷跡も無く、元気に鳴いている。
「良かった……お前も無事で」
アリシアは柵に近づき、馬の首を撫でる。ジュディは鼻を鳴らし、主人に寄り添う。変わらぬその仕草に心に安堵が広がった。
「これからも一緒に戦おうな」
昼前に離宮の模様替えが完了するとアリシアは会議室に数人の幹部を集める。これからレオを離宮に連れて来る為にも説明をしなければならない。
「皆、突然の指令に驚いたと思う。端的に言うが、私はエンブレイズで出会った『レオ・グリムソード』を私の騎士にし、彼と本館2階東翼で共に暮らす」
主君の突然の発表に部屋は静まり返る。
「で、殿下!連れの者は男性だったのですか!」
冷静を取り戻したシルビアが代表して口を開いた。
「そうだ。レオは男だ。明日から雷鷹騎士団に入団させる」
「お待ち下さい!雷鷹騎士団は女性中心です!それに殿下が男性と生活するなど!変な噂が立ちます!更に敵国出身ではありませんか!!」
シルビアの声に賛同し、他の者もアリシアを諌めるような発言する。
「そうです!殿下の安全が第一です!敵国の騎士など、スパイの可能性もあります!お考え直しください!」
アリシアも家臣達の反対は想定していた。けど、レオと暮らすには事情を共有している協力者が必要だった。だから、どうしても引き下がれない。
「彼はエンブレイズの騎士だが……、私を救ってくれた。恩人なんだ」
「なら、褒賞を与えるべきです!殿下のお側に侍らせるわけにいきません!」
シルビアは前に進み出て、アリシアを諫言しようとする。だがアリシアは諦めない。レオとの出会いを一部隠しながら、話を続ける。
「私は方角が分からず孤立した時に、彼と出くわしてな。敵なのに、私が彼の亡くなった姉と似ているという理由で味方になってくれた。彼はオルテリアまで私を送ろうとしたが、途中で敵に見つかってな。彼は私を銃弾から庇って重傷を負った時に、記憶を一部失ってしまったんだ」
「…………」
幹部たちは息を呑み、アリシアの言葉を待つ。
「それから、彼は私の事を亡くなった姉と誤認してな。私も彼の姉として振る舞ってる。彼は本当に家族のように私を慕ってくれて……、とても温かいんだ……」
シルビアの目が揺らぐ。
「しかし、殿下……」
アリシアは声を震わせる。
「だから、お前たちの忠義はありがたいが……彼を、私から離さないでくれ……手放したく……ないんだ……」
アリシアの瞳から一筋の涙が流れた。家臣達は言葉を失い静寂に包まれる。シルビアが静かに頭を下げ、声を絞り出した。
「殿下のお気持ち、承知いたしました。私たちが全力で支えます」
アリシアは涙を拭い微笑んだ。
「ありがとう……」
会議は続きレオの扱いを細かく決める。幹部達も主君の望みに従う事に決める。なぜなら、彼女達は主君があの様に感情を出すのを見たのが初めてだったからだ。
(良かった……これでレオと一緒にいられる)
準備を終えると、アリシアは離宮を後にし、宿へと向かう。レオとの生活に一歩近づいた実感を胸に、彼女は彼と共に暮らす決意を固めていた。
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