第二章 開演
第二章 開演
1
「……ねぇ、セオドア」
ヘバング島のホテル内の巨大ホールにて。
タキシード及びドレス姿の男女が織りなす空間の中で、ジャージでその身を纏わせた金髪の背の低い女アーベント――ナタリー=クロムウェルが、隣に立つプライドが高そうな灰色髪の警備の少年――セオドア=ライトにそう声を掛けた。
「さっきのジャックの動き見た?あり得ないだろ」
「……確かに、手際はかなり良かったな」
セオドアはナタリーの言葉に僅かな同調を示す。
しかし、
「だが、言うほどだったか?同じ警備として、当然仕事だったと思うけど」
『あり得ない』という言葉には首を傾げた。
……確かに、一瞬でオレンジ髪の害意に気付き、次の瞬間には拘束する手際の良さには目を見張るものがあったが、『あり得ない』というほどのものとは思えなかった。
ナタリーは眉間に皺を寄せると、懐疑的なセオドアに向かって、
「なんかの時に言ったが、私は一年前までCIAに居たんだよ。勿論、その時から警備の任務はこなしてたし、テロリストどもを何人も捕縛してきた。その私より早く確保を完了させるなんて、到底まともな奴とは思えない」
「……そういえば、ジャック=ムーニーの奴は記憶喪失って話だったか」
「怪し過ぎるだろ。仮にそれが本当だとしても、アイツの過去は絶対にまともじゃない。一度、調べ上げるべきだ」
「その考え自体は間違ってないと思うが……僕が聞いた話だと、中級のゾフィア=ラッセルが一度同じことを本部長に進言したらしい」
「なるほど、そうだったか。で、結果は?」
「『必要無い』だと。それ以外は特に言われなかったって話だ」
「……何?」
ナタリーの眉間の皺が更に深くなる。
数秒考えるように黙ると、ナタリーは、
「……それはつまり、『リリア=ウォーカー本部長は既にジャックの正体を知っていて、信頼できるものとわかってる』という理解で良いの?」
「僕はそう理解した。ちなみに、ゾフィア=ラッセルも同じ見解だった」
「……なるほど、じゃあ問題は無いんだろうけど……。一応、最低限の警戒はしとこうか」
「……っていうかさ」
セオドアはナタリーの全身――正確には服装を怪訝そうに見つめて、
「お前、なんでジャージなんだ?いくら僕らが警備だと言っても、スーツぐらいの正装はしろよ」
「この方が動きやすいし、何より目立つ服装だからだよ」
ナタリーは会場から目を離さないなまま、投げやり風にそう答える。
「……なんで目立つ必要があるんだ?」
「目立った服装をすると、顔じゃなくて服を記号にして認識されるからよ。……一番わかりやすいとこだと、ピエロの格好をした奴がスーツに着替えたら、ほぼ誰も認識できない。ま、私のはその簡易版だな」
「ふぅん……。ってことは、認識をズラさせる必要性が出てきそうなのか?」
「今のとこは何とも。ただ、準備はしてるというだけの話」
そう言いながら、ナタリーはポケットから携帯端末を取り出す。
誰かから、連絡が来たようだ。
「……本部長から」
ナタリーは携帯端末に表示されたメッセージにザッと目を通す。
……。
「……セオドア悪い、ここを少し離れるわ」
「面倒ごとか?」
「少しだけ。とは言っても、ちょっとした雑用……っていうか、ただのカメラマンよ」
「?」
セオドアはナタリーの台詞を不思議に思い、『どういう意味だ』と問おうとする。
しかし、その時にはもう、ナタリーの姿は影も形もなくなっていた。
2
U.S.A.本部長リリア=ウォーカーは『警備の仕事に戻るわね』と言い、南アフリカ本部長クイントン=バーンは『あのクソガキ、マジでどこに行きやがった……?』と呟きながら、葉月の元から去って行った。
葉月一人『どうしようかな』と思った、その直後、
「よう。貴様が、雲林院葉月で合っているか?」
上空から、逆立った濃い緑髪が目立つ、四十歳は行っているであろう大柄な男性に声をかけられた。
宙に浮くその男は、カーペットの床に重力ではあり得ないほどゆっくり降り立つと、葉月の目の前で腕を組み仁王立ちする。
その男を見て、葉月は目を軽く見開く。
なぜなら、登場の仕方もそうであるが、目の前の筋骨隆々なその男はARSSでもトップクラスの有名人だったからだ。
葉月は一瞬フリーズするが、すぐに、
「あ、はい、私が雲林院葉月です!お初にお目にかかります、項秀龍本部長さん」
「ははっ、肩書きまで言わんくてもいい。なんなら呼び捨てでも気にせんぞ、ワシは」
ARSS中国本部長の『青嵐卿』こと、項秀龍。
上級序列第二位にして、直接戦闘力では上級の中でもトップと言われてる男だった。
その男は快活に笑いながら、葉月の肩をポンポンと叩き、
「雲林院葉月、貴様中々良い仕事をしたそうだな!リリアも銀林百華も、貴様をかなり褒めていたぞ!」
「いえいえ、それほどでも……あれ?」
今の秀龍の台詞に少し違和感を覚え、葉月は軽く首を傾げる。
「百華さんもですか?リリアさんが私を推してくれたのは聞いてましたが……」
「銀林百華も、だ。『ペネトレイター賞』を誰に与えるかの話し合いの際、貴様のスポットでの活躍についてリリアが口にした直後、それを後押しするかのように銀林百華が普段の貴様の働きについて熱弁していたぞ?」
「……そうだったんですか」
嬉しさで頬が緩みそうになる。
『あとで百華さんに礼を言おっと』とそう思う。
そんな葉月の肩を程々の強さでバンバンと叩きながら秀龍は、
「報告書でも読ませてもらったが、スポット攻略における貴様のサポートによる功績は明々白々。ワシのところも負けてはいられんと思ったわ!」
そう言って秀龍はガハハと笑う。
そんな豪快な男に対して葉月は、照れたように笑いながら、
「……褒めてもらえるのは嬉しい……んですが、私はほとんど紅音さんの後ろに付いて行っただけですから」
軽く口にしたその台詞。
しかし、それを聞いた目の前の男は、
(……あれ?)
どこか、笑顔に翳りが差したような――、
「……新しい極級、か。ま、『アレら』はありとあらゆる意味で例外よ。それと比べる意味なぞ無い」
秀龍は笑顔のままフルフルと首を振り、葉月の肩から手を離す。
そして、またニヤリと笑みを強め、
「そういえば、あの生意気な百鬼円はどこにいる?アイツもここに来てるんだろう?」
「あ、円ちゃんは来てないです!外せない仕事があったみたいで」
「なんだ、つまらん。奴も中々頑張ったと聞いたから、挨拶ぐらいしようかと思っていたが……ま、貴様に会えただけで良しとするか」
そう言うと、秀龍は少し腰を落としながら、右手を挙げる。
そして、
「ARSSの本部長の一人として、多大な功績を上げた貴様のことをこれからも期待してる。励めよ、雲林院葉月!」
「……はい!」
葉月はそう元気よく返事をしながら、大柄な男の右手にハイタッチをした。
そんな少女を見た秀龍は満足そうに頷き、
「では、またいつかな!」
そう言って、風のようにその場から立ち去った。
3
「ようやく見つけた、Missウォーカー」
そう声をかけられたリリア=ウォーカーは、携帯端末をしまいながら振り返る。
その先に居たのは、
「オリバー=バートン会長。何か、ご用ですか?」
このホテルの経営元で『ディーポンド財閥』のトップである、六十代ぐらいの男性だった。
「何、ただの挨拶だよ。あと、折角だし、彼とも仲良くしてもらいたいからね」
そう言いながらオリバーは後ろをチラリと見る。
そこには、二メートル近くの大男が立っていた。
「知ってると思うが、彼の名前はザック=コールダー。私のとこ警備担当責任者だ」
「……そうですか」
リリアは愛想笑い一つ浮かべず、チラリと大男を見る。
「……ブリーフィングの際にも言いましたが、警備は我々世界警備機関にお任せください。身内外の者が居たら、それだけリスクが高まります。要は、何かアクシデントが起きないという保証はできません」
「……その言い方は気に食わんな」
リリアのセリフに大男ザックが眉を顰める。
「確かに、お前ら化け物もどきは鵺退治の専門家だ。だが、こと警備に関しては我らが専門家だ。むしろ、お前らのような素人が出しゃばるな」
「こら、ザック。失礼だろ」
「はっ」
オリバーが嗜めると、ザックは頭を僅かに下げる。
それを見たオリバーは満足げに頷くと、リリアの方に視線を戻し、
「ただ、Missウォーカーの態度もいただけませんな。互いに単独での警備を譲らなかったため、折衷案としてそれぞれ全く別の指揮系統で行うことで合意を得たはず。今更ひっくり返すようなこと言われても困りますな」
「そんなつもりはありません。ただ、『何も起きないという保証はできない』ということを伝えておきたかっただけです。……勿論、何が起ころうとも、誰一人傷つけさせるつもりはありませんが」
「……」
ザックは小馬鹿にした目でリリアを見つめるが、金髪の女はそれを無視する。
直後、ザックは鼻で笑うとオリバーの方に視線を戻し、
「……会長。では、私はこれで」
「あぁ。ジョンの警護は任せた」
「はっ」
ザックは至極真面目な顔で頷くと、その場を駆け足で去って行った。
それを見送りながらオリバーは、
「……ジョンは私の孫でね。やっぱり、大事な者は、一番実力のある警備主任に任せたくなるものだ」
リリアは視線を遠くに投げる。
そこには、『ザック、ボール遊びしよ!』とはしゃぐ六歳程度の少年と、『今はダメですよ、ジョンお坊ちゃま!』と諌める大男が居た。
それを見ながらリリアは、少年の祖父に向かって、
「信頼、してるんですね」
「あぁ。ちょっと口が悪いところがあるが、彼はもう十年以上ウチで頑張ってくれているし、ジョンも私も何度助けられたかわからないよ」
「そうですか」
「だから、Missウォーカーも、彼のこと信じてあげてくれないかな」
「……彼のことはよく見て、それから判断します」
そう言うと、リリアは踵を返し、警備の仕事に戻ろうとする。
「……あぁ、そういえば」
リリアは半身だけ振り返って、
「バートン会長、あなた、さっきから私のことを未婚者と呼んでましたが、今はもう既婚者ですよ。……数ヶ月ほど前からですが」
「それは失礼。そして、結婚おめでとうございます。……では、夫もこちらに?」
「ありがとうございます。……いえ、彼は仕事で忙しく来れてません。まぁ、あまり仕事してるところは見られたくないんで、私としては都合が良かったんですが」
「ほう。かの解導卿もそのように恥ずかしがったりするとは、これまた意外。差し支えなければ、その夫との話を聞きたいですが……これ以上は貴女の仕事の邪魔になりますな」
「そうですね。では」
リリアはオリバーの言葉に頷きながら、体を前に向ける。
そうしながら、彼女は、
「また機会があったら、その時に話ましょう」
そんなことを、微笑みをたたえながら囁いた。
4
ARSSには、十二の本部がある。
イギリス本部、中国本部、欧州本部、日本本部、エジプト本部、北アメリカ本部、ロシア本部、南アフリカ本部、オセアニア本部、東南アジア本部、そしてU.S.A.本部。
基本的にこれらの本部はそれぞれ独自の色を持ち、各々好きなようにARSSの活動をしているが、勿論足並みを揃えることもある。
それが上級達の議会『夜明議会』やスポットの攻略だったり、この『ARSS創立記念パーティ』だったりする。
故に、このパーティにはほぼ全ての本部から出席者が出ており、今入り口を通った二人も十二の本部の一つ、南アメリカ本部から来た出席者だった。
「あの、ジュレさん、すみません」
紫髪の十七歳程度の少女が、眼鏡を掛けた中性的な女ボスの顔をチラリと伺う。
南アメリカ本部長が部下の少女の方に視線を向けると、少女は、
「私、色んな人に挨拶して回りたいんですが、いいでしょうか?」
「いいわよ。ただし、人に迷惑はかけないようにね?」
「はい!」
紫髪の少女は明るい笑顔で頷くと、小走りで上司の元から去って行った。
中性的な女は微笑みながらその少女を見つめていると、
「前回の『夜明議会』ぶりですね、ジュレ=リトルアイ」
横から、灰色の女性に話しかけられた。
中性的な女――ジュレはそちらに顔を向ける。
そこに居たのは、
「クロエ。何か、私にご用かしら?」
ジュレと同じ階級の上級――オセアニア本部の本部長、クロエ=ハリスだった。
「用ってほどものではないんですが」
クロエはジュレから視線を外し、もう遠くになってる紫髪の少女の方に向ける。
「折角ですし、貴女のとこの若手……メイデン=ラザフォードとお話したいと思ったのですが、彼女、すばしっこいですね」
「ウチのメイデンちゃんは礼儀正しいけど元気一杯な子でね。もし、見かけたら声かけてもらえるとありがたいわ」
「そうさせてもらいます。……にしても、あなたのところのメイデン=ラザフォードもそうですが、今年は有望な若手が多いですね」
「そういえば、そうね」
ジュレはパッと今年のペネトレイター賞受賞者の面子を浮かべる。
その内の半数近くは、十代の少年少女だった。
「今年は月原紅音が目立ってますが、他も中々。次の世代の子達に、私の顔を売っておきたいなと思ってます」
「……本部長のあなたが『顔を売る』っていうのも変な話だと思うけど、気持ちはわかるわ。でも、そういう話なら――」
ジュレは小さく笑って、どこか遠くを見つめる。
その視線の先には、とある白い女――月原紅音が居た。
「――史上三人目の極級にして最強の終わらせる者、月原紅音に対して行うべきだと私は思うわ。……私は遠慮しておくけど」
「あら、何故遠慮するのですか?」
「彼女、何考えてるかわからないじゃない。それが何となく怖いし、話しかけても無視されそうだわ」
「……まぁ、気持ちはわかりますが、そこまででもないですよ?二年ほど前、強引に挨拶しましたが、あしらわれこそすれ普通に返事はしてくれましたし、何より今は昔より大分雰囲気が柔らかくなってますわ」
「……あなた、月原紅音と話したことあったの?」
ジュレは軽く驚く。
月原紅音は今回のパーティのような公共の場に出たことが今までなく、実際ジュレは今日初めてその姿をこの目で見たぐらいだったからだ。
「ええ。U.S.A.で定期の夜明議会が開かれた時、強引に。結果は完全な空振りでしたけど、話しかける前に色々調べてる内に、面白い噂話を聞きました」
「……どんな?」
「彼女の頭、花型の髪飾りが付いてるの見えるでしょう?」
「ええ」
「あの髪飾り、亡き夫から貰ったものらしく、かなり大事なものらしいのです」
「……彼女の復讐は、夫の復讐だったものね。それで?」
「その髪飾りを、彼女の美貌と色香に当てられた軟派な新人が、拒絶されてもしつこく口説いた挙句『夫のことなんか忘れて、俺と遊ぼう』とか何とか言いながら触れようとしたことがあるみたいで。そしたら、その新人アーベントは月原紅音にぶん投げられて、ぶつかった壁が粉々になったらしいんですよ。その時の月原紅音の怒りようは凄まじく、近くに居た関係の無いアーベントも全員震え上がったという話です」
「…….あぁ、そういえば、その話聞いたことあったわ。『月原紅音の髪飾りには触れるな』というのは、他本部のことなのに当時よく言われてたわね」
「ええ。だから、まぁ普通に話しかける分には、普通に対応してくれると思いますよ。……人の頭の髪飾りに無断で触れようなんていう、非常識な真似をしない限りは」
5
(……)
葉月は一人。
会場の中で、ボーッとしながらテーブルに置かれていたローストビーフを食べていた。
(……暇だなぁ)
つい先程までは、メイデンとかいう同い年ぐらいの紫髪の女の子と話していたのだが、そのメイデンがどこかに行くと、葉月は一人つまらなくなっていた。
(……そういえば、紅音さんと、あんまりお喋りできなかったなぁ)
……別に、これが何年振りとかそんなではない。
なんなら、二ヶ月ぐらい前にも一緒にお茶している。
それでも、あの格好良くて可愛い先輩とお喋りしたいと思ってしまうのだ。
(でも、紅音さんは今日の主役だもんね。だから、忙しくて、私に構う暇なんか――)
「――葉月、さっき振りだな」
真後ろから、声が掛けられる。
それは、今一番聞きたい声だった。
「……紅音さん」
茶髪の少女は、何となく照れながら振り返る。
その先に居た紅音は、なんというか、やはり綺麗だった。
「良いんですか?色んな人からお祝いの言葉受け取ってるんでしょう?」
「……彼らには悪いが、いくら敵意や悪意が無いとはいえ、下心丸見えだと疲労がな。……私はお前やリリアと違って、あまり人とのコミュニケーションは得意な方じゃない」
そう言いながら紅音は苦笑を浮かべる。
そして、
「そんな時、一騎の奴が横から『なんか雲林院が暇そうだったぞ』って教えてくれてな。だから、私は人の山から抜け出して、ついお前のとこまで来てしまった。……迷惑、だったか?」
「全然そんなことないです!」
葉月は全力でブンブンと横に振る。
そんな葉月を見て、紅音は嬉しそうに明るく笑う。
その笑顔を見ながら茶髪の少女は、
(一騎さん、ナイス!)
大好きな先輩の夫に、心の中で礼を言う。
……ぶっちゃけ普段は嫉妬の対象ではある彼だが、こういう気遣いは素直に助かった。
「……あれ、というか、そのジャックさんはどこ行ったんですか?」
「なんか、警備しながら友人と少しお喋りするとか言っていたな。……お、このローストビーフ美味いな」
紅音が、テーブルに置かれていたローストビーフを一切れ摘みながらそんなことを言う。
それを見ながら葉月はニッコリと笑って、
「ですよね!それでさっきから私、バクバク食べちゃってたんです!……あ、そういえば、少し前学校で――」
少女はそのまま、最近自分の身の回りにあった出来事を話し始める。
そんな葉月があまりにも楽しそうで、白い女はつい微笑みながら、茶髪の少女の話を聞き続けた。
6
ベオスコール、という男がいる。
彼はARSS史上二人目の極級であり、香港に根付いていたスポットを消滅させた英雄だ。
だが、その際彼の肉体は、ほとんどの部分を鵺の肉体と入れ替わることになり、今では人型ではあるものの全身金属製の白いスーツに覆われている。
そしてそれは頭部も例外ではなく、彼の頭は宇宙服のようなヘルメットで覆われていた。
そんな特異な経歴と異質な見た目を持つ彼に、挨拶する人こそいれど、朗らかに談笑しようとする者などそうは居ない。
「よ、ベオ。久し振りだな」
この、人懐っこい笑みを浮かべている青年を除いては。
「……」
ベオスコールは、ヘルメットの内側から青と赤の複眼を青年に向ける。
……その青年は、白を基調とした衣装に、所々赤い意匠が散りばめられている黒いコートを羽織っていた。
……その青年の髪は、夜のような漆黒でありながら、所々鮮やかな赤色が差されていた。
初めて見る、その姿。
しかし、その声と呼び方に聞き覚えが、そして何より、その人の良さそうな顔に見覚えがあった。
「……」
ベオスコールは何も言わない。
何も言わず、黙って酒が入ったグラスを青年の方に差し出した。
「……悪い。今、一応警備の仕事中だから」
「そうか」
ベオスコールはグラスをテーブルに置く。
「……それにしても、不思議なことが起こるものだ。今、私の目に幽霊が見えている」
「……今日は祝いの日だし、そういうこともあるんじゃねぇの?ま、ARSS創立と俺は何も関係ないけどさ」
青年はクスクスと笑う。
それを見てベオスコールは、『そういえば、こいつはよく笑う男だった』と五十年も昔のことを思い出す。
そうしながらベオスコールは、ふと何かに思い至ったように、
「……あぁ、なるほど。通りで、月原紅音からあんなに険が取れていたわけだ。彼女にとってこれ以上の良いことは無い」
「あ、そのことにちょっと関係したことなんだけど……紅音に、手紙送ってくれてありがとう。すごく、助かった」
「私は約束を果たしただけだ。礼を言われる筋合いは無い」
「そうかぁ?……まぁ、でも嬉しかったし、言いたいからもう一度言う。手紙、書いてくれてありがとう」
「……どういたしまして」
二度目にしてようやく、ベオスコールは礼を受け取る。
青年は少し笑みを強めながら、
「あ、そういえばベオ、お前手紙の内容を少し変えただろ?」
「あぁ。……実は、手紙の話を受けた時点で、お前が口にした『手紙の内容』をそのまま伝えるつもりは無かった」
「おい」
「だからあの時、私はこう言ったはずだ。『お前の言葉を伝える』と。故に、私はお前が語った真実の言葉の方を手紙に書いた。……実際、それで良かっただろ?」
「良かったか良くないかと聞かれたら、めちゃくちゃ良かったんだけど、実は俺、お前のその気遣いに気付かなくて、紅音に対して『思ってないこととはいえ、他の男を作れとか書いてごめん』みたいなこと言っちゃんだよな……」
「……余計なこと言ったな、お前」
「ああ。完璧に失言だったけど、その後謝罪の意味を込めて久し振りに紅音とデートに出掛けてめちゃくちゃ楽しかったから、結果的に最高だった」
「そうか。良かったな」
唐突に始まった青年の惚気話に、ベオスコールはまるで適当に流してるかのように短く返事をするが、その言葉は彼の本心そのものだった。
そして、それは青年もわかっていた。
だから、
「もう一度言うけど、本当色々ありがとな」
そう言うと、青年はその場から立ち去ろうとする。
その後ろ姿にベオスコールはボソリと、
「……別に、普通に元の名前を名乗っていいと思うんだがな。隠してる理由はわからなくもないが、所詮私の『これ』と大差無いだろう?」
「大差無かったとしても、俺の方が一歩踏み込んじまってる。それに」
青年は半身だけ振り返って、
「お前は英雄だからな。俺なんかとは、受け入れ具合が全く違うだろ」
そんなことを、何故か笑いながら語った。
ヘルメットの下のベオスコールの頬も、何故かつい緩む。
そして、二人は雑に手を振りながら、
「またな、英雄。これからも、がんばれよ」
「またな、愛妻家。もう二度と、妻を悲しませるな」
そんな風に、再会の約束を口にした。
「……さて」
古い友と別れた青年は一人、頭の中身を仕事用に切り替える。
だから、その独り言は、
「仕事を、しようか」
先程友に向けていた声に比べて、少々昏いものだった。
7
南アメリカ本部所属の紫髪が目立つ十七歳のの少女――メイデン=ラザフォードは今ものすごく悩んでいた。
(……どうしよう)
実は、さっきからメイデンは辻斬りみたいに色んな人に声かけまくっていたのだが、ここに来てその足が止まっていた。
なぜなら、
(月原紅音さんに声かけたいのに、雰囲気があり過ぎる)
彼女から感じれる影胞子も相まって、正直怖い。
でも、折角だし、かの復讐姫に挨拶したい。
どうしよう。
「ねぇ、そこの君」
いきなり、真後ろから声をかけられる。
「……なんですか?」
メイデンは首を傾げながら振り返る。
その先に居たのは、スーツ姿の男性。
非アーベントの、ディーポンド財閥に所属する警備員の一人だっだ。
「君、もしかして、月原紅音に声をかけようとしてるの?」
「……はい」
メイデンはションボリとしながら、素直に答える。
「でも、なんか緊張しちゃって……。つい怒らせてしまってはいけないと、それで及び腰になっていたのです」
「そうなんだ」
警備員は笑みを強くする。
そして、
「じゃ、月原紅音と仲良くなるコツを教えてあげようか」
「え、そんなのあるんですか?」
メイデンは警備員の話に食いつく。
だから、警備員はメイデンの耳元に口を寄せ、
「月原紅音と仲良くなるコツ。それはね――」
自分がこれからやろうとしていたことを、目の前の少女に押し付けた。
8
「あの、月原紅音さん!」
紅音と葉月が喋ってる最中、高い少女の声が横から聞こえる。
二人が振り返ると、そこには緊張で震えてる紫髪の少女が居た。
直後、少女は、
「失礼します!」
月原紅音の髪飾りに向かって、いきなり……それこそ殴るかのような勢いで手を伸ばした。
〜〜1分前〜〜
『月原紅音と仲良くなるコツ。それはね、月原紅音の髪飾りに触れることなんだ。それは彼女にとって親愛の意を示した挨拶みたいなもので、彼女と話してる人は皆それをやっている』
『へー。……なんだか、すごく変わってますね』
『僕もそう思うけど、まぁそんぐらい変わってなきゃ極級になれないんじゃないかな』
『言われてみれば、確かに。……では、早速行ってきます!ありがとうございました!』
「――」
紅音は、勢いが良い少女の腕を、軽々しく掴んで止める。
本当に軽々しくで、少女の腕には最低限の力しかかかってない。
なぜなら、目の前の少女は、敵意も悪意も下心も無いことが、目に見えて明らかだったからだ。
故に、紅音は、少女の腕に怪我を負わせないように、力加減に集中力の全てを向けていた。
だから。
殺気を抑えることを、つい忘れてしまっていた。
その殺気――いや、正確には怒気か――に合わせて、月原紅音の身に宿る影胞子が一斉に励起する。
その影胞子量はあまりにも絶大で、その『圧』は怒りの感情を乗せ、パーティ会場の全てを支配した。
「!!」
会場に居る全てのアーベントが、今すぐにでも能力を発動できるよう警戒態勢を取り、月原紅音の方に視線を向ける。
それは下級どころか、上級もそうで。
もう一人の極級ですらそうだった。
それほどまでの、絶大で狂暴なプレッシャー。
だから、その場で動けたのは。
予めこうなるとわかっていた者だけだった。
「――」
それは、先程メイデンに己の役目を押し付けた警備員――ではない。
彼は所詮、ただの下っ端。
本来、月原紅音に粉砕されるかもしれなかった捨て石だ。
だから、この場で動くのは彼の上司、ザック=コルダーだった。
「ジョンお坊ちゃま」
呆気に取られている少年ジョンに優しく声をかける。
そしてそのまま、彼は警備用の自動拳銃を、少年の後頭部に向けた。
直後、ザックは、
「死んでください」
今まで守り続けた対象に向かって、そんなことを囁いて。
『パンッッッッッ!!』という空気が破裂する音が、広いホールの中で響き渡った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ナタリー=クロムウェル
項秀龍
ジュレ=リトルアイ
メイデン=ラザフォード
ベオスコール