第一章 開場
第一章 開場
1
「わっ、すご……!」
十二月の末。
十七歳の少女――雲林院葉月は、船から降りると思わずといった風にそう呟いた。
太陽が燦々と照らす砂浜に、海から漂う潮の香り。
少し視線を遠く投げれば、ちょっとしたレジャー施設と、その近くに立つ巨大なホテル。
ここはハワイ州に浮かぶ孤島『ヘバング島』。
とある企業が所有する、孤島型のリゾート地だった。
「確かに、すごいわよね」
葉月の隣に並び立つ二十代後半の女が、少女の言葉を肯定する。
彼女の名前は、銀林百華。
腰まで伸ばした桃色と白色の二色の髪が目立つ、ARSS日本本部長――ARSSでも十二しか席が無い上級のうちの一人だ。
「私、上級の一人として毎年『ARSS創立記念パーティー』に参加してるけど、ここでの参加は私も初めて」
「あ、会場って、毎回違うんでしたっけ」
「そうよ。去年は日本のホテルだったから、私のこの格好もそこそこウケたわ」
百華は笑いながら自分の胸に手を当てる。
その下にあるのは、薄いピンク色の下地に桃の花が散りばめられている着物だった。
「見るたび思うんですけど、百華さんのその着物、めっちゃ可愛いですよね」
「ありがと。葉月ちゃんのドレス姿も可愛いわよ」
そう言われて少女は、視線を下に向ける。
そこには、慣れない肩出しの緑のドレスに包まれた自分の体があった。
「……ありがとうございます」
葉月はニコッと笑って礼を言う。
……実は、当初葉月は、高校の制服で来ようと思っていたのだが、上司である銀林百華に『折角なんだしドレスでも着よう、金は私が出すから!』とやや強引に連れ回されたため、この格好になったのだった。
「……そういえば、去年の円ちゃんもこういうドレスを着たりしてたんですか?」
「ええ。私が無理矢理させたわ。だからか、今年は『仕事だから欠席するけえ』なんて言われちゃったけど……」
『まぁ仕事で忙しいのは本当のことなのは知ってるんだけどね』と百華は笑う。
「とはいえ、今年は日本本部から二人も『ペネトレイター賞』の受賞者が出たのは本部長の私としては鼻が高いことだわ。ありがとう」
百華はトンっと、会場であるホテルに向かって足を踏み出す。
葉月は、彼女の後ろに追随しながら、激しく首を振って、
「いえいえ、私はただ『あの人』の後ろを付いて行っただけですから……」
「謙遜しなくていいわよ。あのU.S.A.本部長だって、『雲林院葉月が居なかったら、こんな短期でのスポット攻略は難しかった』って夜明議会で言っていたし、『彼女』からの報告書にもあなたの貢献具合は書いてあったわ」
「……」
葉月は照れて少し頬を赤くする。
それを見た百華はクスリと笑うと、
「早く、行きましょう。私、葉月ちゃんが皆から褒められるところが見たいわ」
こともなげにそう呟いて、会場に向かう足を、少しだけ早めた。
2
「雲林院葉月さん、この度はおめでとうございます!」
ホテル内の、天を衝くような巨大なホールにて。
葉月は、本日何度目かわからぬ祝辞の言葉を、四十代ぐらいの男性から受け取っていた。
「ありがとうございます」
葉月は丁寧に頭を下げる。
それを見た男性はニコリと愛想笑いを浮かべその場を去っていく。
こんな感じのやり取りがもう十回は超えていた。
「……ねぇ、百華さん。このパーティーって、あんまりアーベントの参加者って居ないんですか?」
葉月は小首を傾げながら、隣に立つ本部長にそう問い掛ける。
先程の男もそうだが、今まで葉月に声をかけてきた人間がすべからくアーベントではなかった。
「ええ。世界中からアーベントがゴッソリ休んだら、緊急対応に支障が出るってことで、基本各本部から本部長含めて数人しか参加できないのよ。んで、我が日本本部は葉月ちゃんと円ちゃんの二人分チケットがもらえたってわけ。……だから、参加者の多くはARSSの支援団体連合『BLUE』の重鎮達のその家族ばかりになってるの」
「へぇ……」
「あぁ、あと例外として、会場の警備を任されてる本部は結構アーベントを連れてくるかな。今年警備を任された本部は確か……」
「パーティー、楽しんでもらえてるかしら」
横からかけられた柔らかい声で、百華の言葉が遮られる。
葉月と百華、二人の視線が声の主に向けられる。
その視線の先には、黒白のコートを羽織る金髪の美女――リリア=ウォーカーが立っていた。
「二人とも久しぶり。……葉月ちゃんとは四ヶ月ぶりぐらいだったわよね」
「あ、リリアさん、お久しぶりです!」
葉月は顔をパッと明るくさせると、勢いよく頭を下げる。
「リリアさんが私のことを良く言ってくれてたって、さっき百華さんから聞きました。ありがとうございます!」
「私は事実を言っただけよ。つまり、それだけあなたが頑張ってくれたってだけの話」
リリアはサラリとそう言うと、瞳を百華に向けて、
「円ちゃんは、結局来られないのかしら」
「えぇ。『仕事の方に専念したい』って言ってたわ」
「彼女らしいわね。……今年は滅多にない、極級昇任式を兼ねた『ペネトレイター賞』授賞式だったのにね」
――ペネトレイター賞。
それは、ARSSの中で『第一線でARSSの業務に精励し、他の規範になる』とされた十人に贈られる賞だ。
この賞は基本的に、下級や中級に贈られ、審査員である上級以上は対象外とされている。
ただし、審査員は前年の上級であるため、本年度中に上級以上に昇格した者も賞の対象となっている。
そして、『上級以上になれるということは、他の誰よりも実績を上げた者』ということであるため、その者はほぼ確実にペネトレイター賞に選ばれる。
故に、ペネトレイター賞授賞式は、ある種の昇任式も兼ねているのだった。
「円ちゃんだって中級に昇格するのだし、参加した方が良いと思ったのだけど、仕事があるんだったら仕方ないわね」
「まぁ、仕事が無くても参加渋ちゃうような子ですけどね。去年、嫌々の参加でしたし」
「確かにそういう子だったわね、彼女」
リリアは小さく笑うと、視線を遠くに向ける。
葉月と百華はその視線を追うと、その先には会場の入り口の扉があった。
その一秒後、扉が開かれる。
直後。
扉の向こうから、『紅い純白』が現れた。
――彼女の肌は、透き通るような白さを誇り。
――彼女の魅惑的な身体は、赤く美麗なフィッシュテールドレスに包まれ。
――彼女の瞳は、紅玉のような真紅の光を放ち。
――彼女の長い髪は、この世の何よりも美しく純白に輝いていた。
彼女の名前は、月原紅音。
五十年かけて、U.S.A.の鵺の巣を消滅させた英雄だった。
「――」
会場に居る全ての人間が、無言で彼女の方に目を向ける。
それほどまでに、彼女の存在感は絶対で、煌びやかで、そして優美だった。
「……」
会場の視線を一手に引き受ける白い美女は、それらの視線を無視して、ある一点に向かって堂々とした足取りで歩く。
その先に居たのは、
「二ヶ月ぶりぐらいだな、葉月。元気だったか?」
「……あ、はい。私は、元気です!!」
葉月はちょっと動揺しながら大きく頷く。
そんな少女のオーバーリアクションに、紅音は小さく笑うと、
「葉月のドレス姿は初めて見たが……可愛いな。よく、似合ってる」
「……あ、ありがとうございます」
葉月は耳まで赤くしながら、恥ずかしさを紛らすようにペコリとお辞儀する。
「……えっと、紅音さんもすごく綺麗です。ちょっと見惚れちゃいました」
「そうか?ありがとう」
紅音は一瞬笑みを強めた直後、真紅の瞳を葉月の隣に立つリリアに向ける。
「リリア、会場の警備はどうだ?」
「今のところ、ほとんど問題無いですね。……一つ無理矢理挙げるとするなら、警備の半数近くをディーポンド財閥から出されているってことぐらいです」
「……確か、ディーポンド財閥は『BLUE』の中でもトップ4に入る支援規模で、このホテルの運営会社だったか。……大方、面子の都合とかで強引にそうさせられたのだろうが……お前だったら何とか説得できたんじゃないのか?」
「『できるかできないか』と聞かれたら、まぁできたんですが、ただ、向こうもかなり強情でして、説得に払うコストとリターンが釣り合わないと思ったため、先方の話を受け入れました」
「……ほう」
紅音は興味深そうに頷く。
そして、何かを尋ねようともう一度口を開きかけた時、
「月原紅音さん、お会いできて光栄です。それはそうと、この度は『スポット攻略』おめでとうございます!」
横から、五十代ぐらいの男性に話しかけられていた。
それは、支援団体連合『BLUE』の重鎮だった。
「……あぁ。ありがとう」
紅音はちょっと嫌な顔になりかけるが、なんとか無表情を取り繕いながら振り返る。
そこには、二十人は優に超す人だかりが集まってきていた。
「……」
白い女は、つい固まる。
その様子を見ながらリリアはクスクスと笑って、
「紅音さん、昔からペネトレイター賞自体は何度も取っているのに一回も創立記念パーティーには参加しないから、ちょっとした伝説的な存在になってるんですよ。その上、ARSSが設立して以来三人目の極級ですからね。一言挨拶して、あわよくば顔を覚えてもらいたいって思われるのも仕方のない話かと」
「…………」
紅音の全身から、ウンザリとしたオーラが滲み出る。
とはいえ、目の前のBLUEの人達だって、下心こそあれど、敵意・悪意があるわけではない。
だから、紅音は無表情で、
「……悪いな、葉月。適当に挨拶してあしらってくる」
「……がんばってください」
結構本気で嫌そうな紅音がなんだかおかしくて、葉月も笑ってしまいそうになるがなんとか堪える。
「……では、またな」
紅音は短くそう言うと、頭に着けられた赤い花飾りを揺らし、挨拶対応に向かった。
3
『葉月ちゃんも、別本部の同期と水入らずで話たいでしょ?』
日本本部長の百華はそう葉月に告げるとどっかに消え、リリアも『警備の仕事があるから』と姿を消した。
「誰か居ないかなぁ」
葉月はそんなことを呟いて、高そうな絨毯の上をのんびりと歩く。
(適当に見つけた子に話しかけよ)
そう思い、キョロキョロと会場を見渡そうとすると、
真後ろから近付いてきていた、童顔な白い女の子とぶつかりそうになった。
「わっ」
「おっとっと」
その子も葉月がいきなり振り返るとは思っていなかったのだろう、白い女の子も驚いたように目を開かせ、互いに一歩下がる。
直後、白い女の子は驚きから楽しそうな笑みに変えて、
「ボクの方から驚かそうと思ったのに、逆に驚かしてくるなんて、キミやるねぇ」
「あっ、ごめんなさい」
葉月は驚かされたにも関わらずつい謝って、その目の前の女の子を見つめる。
(……お人形さんみたいな子だなぁ)
お人形と言っても、西洋のお人形だ。
彼女が纏う雰囲気は貴く、それでいて陽のように明るかった。
(……この子、影胞子を持っているみたいだし、私と同じ感じなのかな)
だったら、仲良くしよう。
折角、出会ったんだし。
そう思って、葉月の方もニコリと笑い、
「私、日本本部の雲林院葉月っていうの。あなたのお名前は?」
「ボク?ボクの名前はね……ブランシュ=ル=フェイ=パルファムっていうんだ」
「名前、めちゃくちゃ格好良いね」
「やっぱりそう思う?ありがとう!」
白い女の子――ブランシュは嬉しそうに笑みを強くする。
「でもねー、キミちょっと不勉強だと思うよ?」
「?なんで?」
葉月はコテリと首を傾げる。
そんな葉月にブランシュは、
「だって、キミ、ARSSのトップ12でもあるボクの顔も名前も知らなかったってことでしょ?そういうの、良くないとボクは思うなー」
ブランシュはニヤニヤと、笑みの種類を意地の悪いものへと変化させる。
そこで、葉月はようやく気付く。
目の前の人物が、ARSSの中でも特異な人物であることに。
「……もしかして、ARSS欧州本部の本部長さんですか?」
「あったりだよ、葉月ちゃん♪」
目の前の、下手すれば中学生ぐらいにしか見えない女の子は機嫌良くそう嘯く。
葉月は目を丸くし、
(欧州本部長さんって上級の序列三位のベテランなのに見た目がかなり若いって聞いてたけど、想像以上でビックリしたぁ)
かなりの驚きだ。
だが、それよりもまず、
「……あ、さっきの、上司にする態度じゃないですよね。ごめんなさい」
「素直で良いねぇ。ボク、素直な子は好きだよ。……で、早速本題だけど」
ブランシュはそう言うと、頭を下げる葉月の顔を下から覗き込む。
そして、小さな少女はニッコリと笑って、
「――なんで、キミ程度がここに居るの?」
純粋に、そんな疑問を口にした。
「なんでって、それは……」
「ボクが答えてあげる。それは、君が『月原紅音の後ろに付いていったから』だよね?そうでしょ?」
「……」
「素直な子は、好きだよ」
葉月の表情を見て何を思ったのか、ブランシュは先の台詞を繰り返す。
「キミの実力は、ここに居るアーベントの誰よりも劣る。……キミの能力は、素晴らしいものなのに」
「……」
「で、どうする?キミはこのまま、『実力が無いくせに、評価だけ貰っている子』で居続けるの?」
少女の劣等感を擦り上げるかのような、純真な白の問い。
問われた葉月は、キョトンとした顔で、
「いいえ、そんなつもりはないですよ?」
淀みなく、サラッとそう答えた。
そして、そのまま、
「だから、私、ちょいちょい頑張ってるんです。リリアさんや円ちゃんからも色々教わってたりして。……勿論、まだまだなのは自分でもわかってるんですけど」
「……」
照れたように笑う葉月とは対照的に、ブランシュの口角が僅かに下がる。
「……キミ、恥ずかしくないの?誰よりも明らかに実力不足なのに、他の子達を差し置いて『他のアーベントの規範になる』って賞を貰って」
「勿論、恥ずかしいですよ。だから、私は、後追いだとしても、周りの人達に誇れるよう、自分で頑張りたいんです」
「……」
ブランシュの口角が更に下がる。
そして――
「ブランシュ、あなた、何やってるの」
横から声が掛けられる。
本会場の警備責任者のリリア=ウォーカーだった。
「あなたのことだからどうせヘッドハンティングなんでしょうけど……私の知ってる子を惑わすのはやめてくれないかしら」
リリアは目にかかった長い金髪を耳にかけて、
「もし、警告に従わないのなら、あなたといえど追い出すことを検討しなきゃいけないのだけれど……どうする?」
「……」
ブランシュは少し考えるようにリリアと葉月の間で視線を行ったり来たりさせると、白い女の子はニヤリと笑い、
「流石リリアちゃん!……って、言いたいところだけど、珍しく半分ハズレだね。リリアちゃんに言われる前から、葉月ちゃんを手元に置くのはやめようと思ってたよ」
タタッと、小走りで葉月の真隣に移動する。
そして、ブランシュは葉月の耳元に唇を近付けると、
「――ボクの世界に、キミは要らない」
笑顔のままボソリとそう囁いて、軽やかな足取りでその場から去って行った。
「……彼女、基本的に気まぐれな性格だから、あまり気にしないようにして頂戴。悪人ではないんだけど、面倒な人ではあるから」
ブランシュの姿が見えなくなると、リリアはそう呟いた。
「?そうなんですか?」
確かに、葉月もブランシュのことを変わっているとは思ったが、面倒ってほどまでは思わなかった。
「……まぁ、葉月ちゃんからしたら疑問に思うかもしれないけど、彼女、手当たり次第に有望株を誘惑して引き抜くから、同じ上級としては大変なのよ。この前だって、本部長がいなくなったロシア本部のアーベント達の実力者を全員自分の本部に持って行こうとするのを阻止するの、本当大変だったんだから……」
『主に頑張ったのは、近隣の中国本部長なんだけどね』と、乾いた笑みを浮かべる。
「……まぁ、それにしても、ブランシュがあんなにあっさり引いたのも驚きだけど、葉月ちゃんのことを僅かでも敵視するのも少し意外だったわ。彼女だったら面白がると思ってたのだけど」
「……そういえば、さっきブランシュさんも言ってたんですが、リリアさんが予想をちょっとでも外すなんてすごく珍しいですね」
――『完璧なる解答』。
それは究極の推理能力とも言える能力で、その持ち主であるリリアが、推測を僅かでも外すところなんて初めて見た。
リリアは肩を竦めて、
「彼女の心は例外。行動だけは何とか予測できるんだけど、心が複雑な人には、心理予測が上手く働かないのよ。……これは、彼女の元部下の『鏖殺卿』もそうだったんだけどね」
そんな風に、葉月が留学先の元上司と雑談してる最中。
「――お、リリア嬢じゃねぇか!息災だったか?」
八十近くの快活なお爺ちゃんが、気さくに話しかけてきた。
リリアはフワリと柔らかい笑みを浮かべて、
「えぇ、私は元気よ。あなたも、元気そうでよかった」
「それだけが取り柄だからな、儂ぁな」
顎髭を撫でながらそのお爺ちゃんは葉月の方に目を向ける。
だから、葉月は、
「私は雲林院葉月というものです。よろしくお願いします!」
「おぉ、アンタが葉月嬢か!」
お爺ちゃんは目を見開く。
直後、お爺ちゃんは自分の胸に手を当てながら、
「儂の名前はクイントン=バーン。ま、引退直前の老いぼれとして、ARSS南アフリカ本部長やってる者よ。以後よろしくな!」
お爺ちゃん――クイントンはそう笑い飛ばす。
そんなクイントンに対し、リリアは苦笑を浮かべて、
「まだあなたは現役でしょう、拳闘卿。実際、この前、南極のスポットに行って十年級を一体倒した話聞いたわよ」
「おぉ、あの解導卿にそう見立ててもらえるのはありがてぇ話だが、もう儂より強い奴が若手に一人居るからな。ま、全盛期の儂に比べたらまだまだだが、折角だしとりあえず紹介するぜ」
そう言うと、クイントンは振り返りながら、
「おい、ルアン坊!良い機会だ、お前も少しぐらい人と仲良――」
しかし、その台詞は途中で止まることになる。
何故なら、クイントンの後ろには誰も居なかったからだ。
「……なぁ、葉月嬢。儂の後ろに、嬢ちゃんと同い年ぐらいのオレンジ髪野郎が居たと思うんだけどよ、ソイツ、いつから居なくなってた?」
「?最初から、クイントンさんの後ろには誰も居ませんでしたよ?」
「……」
クイントンのこめかみに青筋が立つ。
そして、
「どこ行きやがった、あのクソガキ!!!!」
あらん限りの声で、この場に居ない少年を罵倒した。
4
「なんか、ジジィの声が聞こえた気がすんな」
十七歳程度のオレンジ髪の少年――ルアン=ラディーベは一人そう呟く。
「ま、どうでもいいか」
ルアンは、自分の上司のことを頭の片隅に追いやり、思考を切り替える。
なぜなら、小煩い上司なんかより、大事なことがあるからだ。
(……居た)
やっと、見つけた。
だが、見つけるのは簡単だった。
何故なら、あんな高密度な影胞子を持つアーベントなど、他に居るわけないからだ。
(――最新の極級、月原紅音。闘り合う相手として、これ以上のモノはないよなぁ)
普通のアーベントなら有り得ない思考。
だが、彼は普通ではなかった。
(俺は、強くなる)
自分は、強くならなければならない。
何故なら、
(そうじゃなきゃ、生き続けられねぇだろうが)
『強くなければ、生き残れない』。
そんな、まるで獣のような闘争本能が、常にルアン=ラディーベという少年を焚き付けていた。
だから、今から彼が取る行動は。
「……ハッ」
ルアンは小さく笑うと、一瞬で月原紅音の元に飛び掛かれるよう、腰を落とす。
その直後。
後ろから、黒と赤のコートを羽織ったとある青年に肩を組まれた。
足音どころか、気配すら無かった。
「!?」
ルアンは驚きながら、青年の右腕を振り払おうとするが、その青年の右腕の力はかなり強く、びくともしなかった。
「――オイ」
青年の声が、耳元から聞こえる。
それと同時に、ルアンの首が、青年の右手に掴まれた。
「――お前、今何しようしてた?」
首を掴む青年の手に、力が込められる。
ルアンは痛みで顔を歪める。
(――コイツ、強ぇ)
少なくとも、ついこの前倒した二十年級鵺よりは遥かに強い。
根拠など無い。
ただ、本能が、強くそう訴えかけていた。
そんな存在に、自分は今、『命』を握られている。
……。
「……別に」
ルアンは命の危機に瀕しながらも、ニヤリと笑う。
「ただ俺は、月原紅音と手合わせをしようとしてただけだ。殺すつもりは、最初から一切無ぇ」
全部、本当の話だ。
ルアンはただ、修行相手に月原紅音を強引に定めようとしただけで、殺し合いまでするつもりは毛頭無かった。
「……もし、お前が僅かでも殺気を見せてたなら、警告なんてしなかっただろうな」
青年の手の力が少しだけ弱まる。
そして、
「約束しろ。どんな理由であれ、もう二度と危害を加えようとしないと」
「……。……ああ、誓う」
「なら、いい」
ルアンの渋々ながらも本心からの誓いを聞いた青年は、オレンジ髪の少年の首及び肩から腕を離す。
「……」
しかし、折角解放されたというのに、ルアンはその場から逃げようとしない。
むしろ少年は爛々と目を輝かせながら、
「……月原紅音にはもう挑まない。だが、アンタの方にはいずれ挑ませてもらう」
「……何?」
「標的をアンタに変えるつったんだ。今日は完敗したが、いつか強くなって、絶対にリベンジしてやる」
「……」
青年は己の額に手を当てると、呆れたように嘆息を吐く。
「……本気か?」
「本気だ。だから、お前の名前を言え。このルアン=ラディーベ、お前に挑み勝つその日まで、ぜってー忘れねぇ」
「……はぁ」
青年は、もう一度溜め息を吐く。
「先に名乗られたら、名乗り返すしかなないよな」
そして、青年は、
「ジャック=ムーニー。それが、俺の名前だ」
嫌々ながらも、ハッキリとした声でそう答えた。
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銀林百華
ブランシュ=ル=フェイ=パルファム
ルアン=ラディーベ
ジャック=ムーニー