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竜飼いとはぐれ飛竜(6)

【7】決着


振動が伝わる度、呼吸をする度、事ある毎にウルリクの胸は痛みを訴えてくる。おまけに脱臼でもしたのか、右肩が上がらなかった。左腕は動かせるが、力むと胸に痛みが伝わるので、結局の所そちらもあまり力が入らない。

随分昔、飛竜に乗る練習をし始めた頃、背の上から転げ落ちた時などはこうした怪我をした事もあったが、今はその状態で全力で走る飛竜の背に揺られているものだから、疲労と痛みで意識が飛びそうだ。

ナナミカが背後から支えてくれなければ、とっくにジェガンの背から命綱なしで放り出されていただろう。本当は一度立ち止まって手当てをしたいが、いつ“はぐれ“に追い付かれるか分からないこの状況では、それもままならない。


幸いだったのは、ウルリクが指示をしなくても、ジェガンが集落への最短の道筋を辿って行く事だ。飛竜の縄張り意識の為せるものか、帰巣本能のようなものが働いているのか、これにはウルリクも驚いた。出来ればもっと落ち着いた状況で知りたかったが。


「………よし、帰ったらレポートにまとめて蓄竜師協会に提出しよう」

「よく分からないけどフラグみたいな事言わないで?」


半ば朦朧としていた所為で、考えた事が口に出てしまったらしい。そんなに大きな声ではなかったはずだが、ナナミカは律儀に反応してくる。

フラグ?と、まだ自由に動かせる首を捻る。隊商が集落を訪れる度、王都で流行っているという読み物の購入に小遣いを注ぎ込むナナミカは、自分も知らない単語を口にする事がままあるのだった。


知らないなりに、何やら呆れられているような気がするのは遺憾だが、軽口を叩き合う事で多少は痛みも紛れる。意識を手放してしまった方が楽なのかもしれないが、さすがにそうなればナナミカへ心身共に負担を掛けてしまうだろう。まして気絶している間に“はぐれ“が追い付きでもすれば、そのまま二度と目が覚める事はないかもしれないのだ。さすがにそれは御免被りたかった。



それからしばらくの間、ウルリクは痛みと途切れそうになる意識を誤魔化しながら、ジェガンの背に揺られ続けた。時間まで気に掛ける余裕がなく、どれだけ走っているのかも次第に分からなくなっていたが、気付けば集落に直接続く大きな道へと入っているし、陽は完全に傾いて、谷の奥側の空を紅く染め上げている。

慣れない長時間の走行にジェガンの疲労も相当だろうが、ここまで来れば集落は目と鼻の先だった。

あと少しだ。あと少しで帰れる。


———だと言うのに。


ぎぎぃぎゃぁぁあああああ!!!


憤怒を孕んだ飛竜の咆哮が谷間に響き渡り、茜色の空の中、絶望の象徴たる黒い影が躍る。

麻酔から醒めた後、匂いを辿って真っ直ぐに飛んで来たのだろう。翼には命綱が絡まったままで、両翼の動きが僅かにバラついた、まるで空中で藻掻くような飛び方だ。だがそれが一層、自分達を絶対に逃さないという意志を体現しているようで、ウルリクはその身を震わせた。


*


「ジェガンお願い、もうちょっと、もうちょっとだから頑張って…!」


疲労困憊で地を駆ける飛竜と、全速ではないとは言えど空を翔ける飛竜。どちらに分があるかはナナミカの目にも明白だった。

ウルリクが、ジェガンが、文字通り命掛けで作り出した距離が、あっという間に短くなっていく。唯一自由に動ける彼女は、それを絶望的な気持ちで眺めるしか出来なかった。集落はもうすぐそこであったが、それでも相対速度を考えると、とても間に合う距離ではないのが分かった。

懸命に走るジェガンの背の上で、ウルリクはしがみついて痛みを堪えるのに精一杯で、最早動く事もままならないようだった。


この状況下で、ナナミカの願いなど無茶にも程があるのは分かっていたが、だとしても言わずにはいられなかった。既に限界に近いだろうに、ジェガンはくぉおう、と一鳴きして応えると、最後の力を振り絞るよう駆けてくれる。


それでも。


上空から、羽撃きの音と共に降ってきた強い風が頬を叩いた。振り仰いだ視線が、いよいよ真後ろまで迫ってきた“はぐれ“の視線と交わる。

飛竜の瞳孔は、蜥蜴などを代表とする爬虫類のそれに近い。ともすれば無感情とも言われるその瞳の中に、ナナミカははっきりとした感情の色を見て取った。それは死の恐怖が見せた錯覚なのかもしれないが、

(怒ってる———…ううん、憎んでる?)

何故かその時、確かにそう思った。だが、抱いたその感覚を理解する時間などはなかった。


最早いつでも飛び掛かれる距離となったのだろう。“はぐれ“が最初に目にした時と同じように、両脚の爪を突き出し、翼を大きく広げて滑空の構えを取る。迫り来る最期がはっきりと形になったのが分かった。


狙われるのが二度目で良かった、と思った。最初の時みたいに、体が竦んで動けないなんて事がないから。

無駄かもしれないけど。せめて。


それでも身体は凍えたように震えていたが、無理矢理に動かして、ウルリクを隠すように背中から覆い被さる。そうしてナナミカは目をぎゅっと瞑った。


*


ウルリクは朦朧とした意識の中、鞍から落ちないよう支えてくれていたナナミカの腕にぎゅっと力が入り、背中を覆ったその体温を感じた。何事かと振り向いた頭上に、“はぐれ“が今にも飛び掛からんとしている姿が目に入り、彼女が何をしようとしているのかを理解する。

「やめろ、」と言ったつもりだが、出たのは掠れた吐息だけだ。ナナミカの下から抜け出そうとするも、力の入らない左腕ではそれすらままならない。

そうして絶望的な気持ちで、その一部始終を目にした。



びゅう、と風を切る音がした。


そう思った次の瞬間には、今にも飛び掛からんとしていた“はぐれ“の、その右眼に、寸分違わず太い矢尻が突き立っていた。


ぎゃおおおおう、という耳を劈くような悲鳴が響き、生暖かい液体が一滴、ウルリクの頬に落ちた。唐突に視界の片方を失った“はぐれ“が、おそらく反射的な動きなのであろう、頭を仰け反らせ、まるで脚を縺れさせたかのように空中で姿勢を崩して墜落する。


何が起こったのかと思う間もなく、びゅう、びゅう、と風切り音が続け様に通り過ぎて行く。

その度に、地に墜ちた“はぐれ“の翼の根元に、ジェガンの付けた首元の傷跡に、無事だった左眼に。次々と矢が吸い込まれるように突き立ち、飛竜の悲鳴と共に赤い華が咲く。

呆然とした意識の中で、なんだか悲しそうな声だな、と思った。


やがて声が途切れる。あんなにも恐ろしかった飛竜の巨体がぐらりと揺らぎ、頭から崩れるように地に伏す。重たい音と共に土煙が舞い上がり、鮮血に塗れたその姿を隠した。

そこまで見て取った所で、ウルリクもまた意識を手放した。


*


瞑った眼の暗闇の中で、飛竜の吠え声が響く。何かが身体の上にぼたぼたと落ちてきて、ナナミカは身を竦ませ、より一層ウルリクを抱える手に力を込めた。

飛竜の声が続く。覚悟していた衝撃も痛みも中々襲って来ない。むしろ気付かない内にもう自分は死んでいて、目を開けたらお花畑にいるのではないか、とまで考え始めた辺りで、ナナミカは怖怖と瞼を開けた。


花畑ではなかった。

自分は変わらずジェガンの背の上で、ウルリクに覆い被さった状態でいる。いや、変化はあった。何故か“はぐれ“が地面の上で寝ていて、動く様子もない。むしろ全身血塗れで、ピクリとも動かないのはあちらの方だった。


「………二人共、無事か」

不意にすぐ脇で男性の大人の低い声がしたので、ナナミカの心臓は跳び上がった。いつの間にか足を止めていたジェガンに横付けするように、馬上でやたらと大きな弓を構えた、やはり大柄な男性の姿があった。

「…ザムンタさん?」

60歳を越えてなお活動する集落でも指折りのベテラン猟師だったが、至る所に引き攣れたような古傷を拵え、いつも険しい顔をした彼は、集落の若い子供らにとって尊敬と言うより、畏怖が先立つ対象であった。そんな彼が、

「どうしてここに?」

「谷に何かが入り込んだのは知っていた」

そこまで言って、飛竜が息絶えた事を確信したのだろう。構えを解いたザムンタが目線をナナミカに向けた。

「アスミナが、坊主が谷に行って戻らないと言うのでな、様子を見に来た」

息子が帰らない事を心配したアスミナが、ザムンタに相談したのだ。そうでなければ、今ここで血溜まりに沈んでいたのは自分達だったであろう。


「…坊主の状態は」

「そうだ、兄さん!」

はっとして、身体を離しウルリクの状態を確かめる。いつの間にか気を失っていたが、胸はちゃんと上下している。

「兄さん、飛竜の尻尾が当たって。胸の辺り」呆然自失から立ち直ったばかりで、辿々しい説明になってしまったが、ザムンタはふむ、と頷きウルリクの様子を手早く確認した。手慣れたその様子に、普段彼がこういった状況にも対応しているのがよく分かる。


「肋骨をやられてるかもしれんな。血は吐いてないから内蔵は傷付いてないとは思うが」

「…兄さん、大丈夫なんですか?」


ナナミカの不安気な表情に気付いたのだろう。ザムンタは厳しい顔つきのまま、一つ頷いた。

「とりあえず命に別状はないだろう。お前さんも竜も、よく頑張った。…もう大丈夫だ」

ぶっきらぼうで、優しく、と言うには程遠い声色であったが、その言葉でようやくナナミカの張り詰めていた緊張の糸が切れた。肩から力が抜けると同時に、意識の外に行っていた疲労感がどっと押し寄せて来て、鞍の背もたれにズルズルと崩れ落ちた。

「落ちるなよ」

ザムンタ短く言い背を軽く叩いたのを合図に、ジェガンがあまり揺れないように静かな足取りで家路へと進み出す。


その背の上でウルリクの鼓動を感じて、ナナミカは少し泣いた。

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