竜飼いとはぐれ飛竜(1)
【1】幼馴染み
「………?」
自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、ウルリクは寝藁を交換していた手を止めた。それに気付き、先程から彼の作業靴をしきりに甘噛みしていた子竜が、ぎゅ?と視線を上げて顔を覗き込んでくる。
時刻はもうすぐ太陽が真上に差し掛かろうという頃。今日は母親が集落の会合で留守にしている事もあり、朝から仕事を一手に引き受けていた。飛竜達の餌遣り、健康管理、敷地内に放牧し、その間に竜舎の清掃。段取り立てて済ませ、あとは寝藁の交換を済ませたら午前の仕事は一段落という所だ。
首を傾げつつ作業を再開すると、子竜もまた作業靴を甘噛みする仕事を再開する。
「ウールにーいさーん!」
今度はちゃんと声が聞こえた。年若い少女の声だ。ウルリクは今度は手を止めなかった。声の持ち主に心当たりがあったからだ。三叉状の道具を使い、てきぱきと古い藁を台車に載せ、新しい藁を下ろしていく。大方の作業が終わったあたりで作業靴をべとべとにしてご満悦の子竜が顔を入口の方に向け、
「あー!ここにいたー!」
少し怒ったような声が竜舎に響く。
「おはようナナ」
騒々しい来客にもウルリクは慌てず、道具を壁に立て掛けてから声の方へと向き直った。竜舎の出入口、逆光の中では彼の想像通りの人物が仁王立ちしている。
赤みがかった茶色の髪を肩口程で切り揃え、翡翠色の大きな瞳を持った少女だ。名をナナミカと言い、歳はウルリクの一つ下。若い人間の少ない辺境の集落においては、貴重な同年代である。
ナナミカの方も幼い頃からの癖が抜けず、未だにウルリクの事をお兄さん付けで呼んで来る、妹のような存在だった。
「おはよう!いるなら返事してよ!」
「ナナだし、すぐこっちまで来ると思って」
律儀に挨拶を返してから口を尖らせる様子に、ウルリクは悪びれずに返す。実際、そう言える程度には日常的にこの竜舎に顔を出している相手だ。子竜も見知った遊び相手の登場に、尻尾を左右に振りながら走り寄った。
「あら、ベルムもおはよう。今日そうね!」
そんな子竜にナナミカも先程の剣幕から一転、腰を落として目線を合わせると、生えかけの角の付け根をコリコリと掻いてやる。子竜の気持ち良さ気に目を細める様を眺めながら、ウルリクは問いかけた。
「で、どうしたの朝から」
子竜は構ってくれる相手が嬉しいのか、ごるごると喉を鳴らしながらナナミカに首元を擦り付け始めた。
「今日はアスリナさんいないでしょ?だからお昼ご飯の差し入れを持ってきたのと、ちょっと頼みがあって」
アスリナとはウルリクの母親の名前だ。二人の両親同士は元々仲がよく、家族ぐるみで交流が深い。母が会合に出ていて不在という情報も、ナナミカの両親が伝えたのだろう。こんな辺境にはプライバシーなどは薄っぺらな紙一枚程度の厚みしかないのである。
ともあれ、昼飯の差し入れは素直にありがたい。
「そっか、ありがとう。頼みって?」
「谷まで採集を手伝って欲しくて」
全身を撫で回され、腹を差し出し始めた子竜を目の端に入れつつ、ふむ、とウルリクは今日の予定を思い浮かべる。
「昼飯食べて、もう少ししたら竜達を竜舎に戻すから、その後に出ようか。元々僕も少し飛ぶつもりだったし」
「ほんと?助かる!」
採集とは、ナナミカが仕事で使う植物の事だ。彼女の家は集落でも貴重な医者、特に竜を専門とする竜医を営んでいる。幼い頃からそれを見てきたナナミカもまた、見習いとして簡単な手伝いをしていた。今は薬の原料となる植物の効能や生育を勉強をしており、その一環で野生種を採集しては、自分で栽培を試しているそうだ。
とは言え集落の中にはあまり自生していない品種もあるので、そういったものは飛行練習ついでに自生場所まで連れて行き、採集を手伝ってやる事があった。
元々ナナミカは好奇心旺盛な性格で、面倒見の良いウルリクは幼い頃から彼女によく引っ張られてあちこちを連れ回されたものだ。その関係性はお互い成長した今でも変わらず続いているのだった。
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真上で燦々と照り付ける陽射しを避けて、放牧場が見渡せる四阿の下でナナミカの持ってきたお弁当を広げる。今日は陽射しは強いが風が殆ど吹かない。高く、または早く飛ぶには不都合だが、採集に行くにはむしろ都合の良い天気だった。
「ほぉういへばふるふぃはん」
ウルリクは口の中に物を入れたまま喋り始めたナナミカに、無言で咎める視線を飛ばす。バツが悪そうにして少し頬を赤らめたナナミカは、玉子サンドを飲み込んでからあらためて喋り始める。
「そう言えばウル兄さん」
「うん?」
「最近はどうなの?牧場の経営とかそういうの」
うーむ、と遠くで母竜の尻尾に絡みつく子竜をぼんやり眺めながら、思いを巡らせる。幼い頃から家業の手伝いをしているとは言え、お互い15歳と14歳の若輩者である。その二人の食事の席でこんな話題が出るのには、ウルリクの家が抱える問題に起因する。強いて言えば存続の危機だ。
大昔ならいざ知らず、文明化の進んだ今の時代、飛竜の飼育や販売には蓄竜協会と言う国公認の互助組合の認可が要る。認可を得るにはその竜牧場に最低一名以上の、蓄竜師の資格を持った者が必要となるのだが、歴史は古くとも個人経営で細々とやっていたウルリクの牧場には、資格を持つのは父しかいなかったのだ。
当然、5年前の隣国との戦争で父を失った後、牧場は廃業の危機に陥った。それが今でも存続出来ているのは、様々な条件が重なった、綱渡り的なバランスの上にある。
蓄竜についての実務部分は概ね問題なかった。人手や不測の事態への対応を除けば、母とウルリクで回せる範囲だった。
問題となる資格の有無については、父の竜飼いとしてのキャリアが幸いした。長年の経験から協会からの覚えも良く、上層部へのコネも多かったのだ。国からの有形無形の支援を受けられた事も大きい。本来は非戦闘員である父を戦闘に巻き込み、みすみす失わせたという事実は、国と協会の関係に歪みを生じさせる火種となる。その賠償は、手厚いと言って良いものだった。
そんな、協会と国を味方に付けた上で、協会から提示されたのは「他の蓄竜師の定期的な指導を受ける事」「ウルリクが成人である16歳を迎え次第、王都の協会へ赴き正式な蓄竜師の資格を得る事」の二つの条件だ。
実際は全牧場が受ける協会の監査を受ける必要もあったが、これらの条件が守られる限りは、家業は蓄竜師の資格なしに、存続を許されるのであった。
いま、放牧場の中には子竜も含めて、5頭ほどの飛竜の姿がある。その中の一頭、翡翠色の鱗を持った尻尾の短い竜が、全身でゆったりと日を浴びつつも、他の竜達を見守っているのが目に入った。
そんな風景を目に映しながら、ウルリクは言葉を紡ぐ。
「…まあ、順調かな」
廃業せずに済んでいるのは幸いだが、状況は決して安心出来るようなものではない。普段は表に出て来ないが、ウルリクの胸の中にも漠然とした不安感のようなものは常に巣食っている。
「来月には協会の監査があるから、そこで問題がなければ半年後、僕か資格を取って、それで一安心ってところ」
それでも、状況を頭の中で整理して、人に話す事で、少し肩の力が抜ける事がある。そんなウルリクの複雑な内心を知る由もないだろう。この妹分はただただこちらを心配して、お節介を焼こうとしているだけなのだから。お互いに勝手知ったる仲だからこそ、そんな遠慮のない気遣いが嬉しい。
少し、顔に出ていただろうか。ナナミカはそんな感情も包み込むように、はにかむように柔らかく微笑んで、
「ほぉっかー」
「だから口に物を入れたまま喋るのを止めなさい」
気遣いはいらないから慎みは持って欲しい。