第六話
翌日、再び城塞都市へと場所を移した涼介たちは、早速タワードのもとへと向かった。
「おお、ノイノイ殿。もう戻られたのか。早いな」
「移動速度重視の軽装だしね。あと、意外と早くやつらの本拠地を見つけられたのもある」
「とにかく無事で何よりだ。して、早速だが様子を訊かせてもらえるのだろうか?」
「勿論。ここに来たのはそのため」
「それは忝い。では早速訊かせてくれ。さあ、こちらへ」
屋敷の中に招かれ、豪華な扉の内側へと案内される。
そこで暫し待つように言われ、中央に鎮座するソファに腰を預けることにした。
普段、接客に使われているのだろう。隅々には色鮮やかな調度品が見せつけるかのように飾られている。平凡な人生を送ってきた涼介には実に落ち着かない空間だった。
後ろめたいこともないのだから、足をぶらぶらさせるノイノイのように堂々としていれば良いのだが、他人の、しかも大きな屋敷にいるというだけで恐縮してしまう小市民にそれを望むのは無理がある。音楽の一つでも流れていればまだ気を紛らわせただろうが、生憎無駄に広い部屋であるがために室外の生活雑音すら拾えない。
そんな肩が凝る、拷問にも等しい時間を三十分は体感した頃、漸く入り口が開かれる。
ただし、部屋に入ってきたのはタワードだけではなかった。
歳は二十台半ばほどの優男。身なりや纏う気品から身分の高さが窺え、こちらの背筋が自然と伸びてしまう。
「お待たせした。私がこの街を治めるカストール=ラパルダだ。昨日は妹の危ういところを救って戴いたと聞いている。是非とも礼を伝えたく時間をとらせてもらった」
その堂々とした立ち振る舞いはまさしく権力者のそれで、彼の言葉からも涼介の直観は正しかったと証明された。
一方、隣の幼女型異世界人はそんな肩書には囚われず、いつものようにマイペースな応対をするだけだった。
「いや、感謝は不要だよ。昨日もそちらの護衛さんには伝えたけど、私は私の都合で勝手に手を出しただけだから」
「ではこちらも勝手に感謝するとしよう。貴女の思惑はどうであれ、妹が無事だったのは確かだからな。とはいえ、こうして出会えたのも何かの縁。名前を伺ってもよろしいか?」
「……私はノイノイ。ツレはリョースケ」
「では、ノイノイ殿にリョースケ殿。今後、困りごとがあれば当家を頼られよ。友人としていつでも力になろう」
恩人と言えば恐らくノイノイは固辞する。そこまで見越して友人の部分の強調する辺り、カストールはかなり機転がきく人物らしい。
「早速なんだけど」
「遠慮なく、何なりと」
「そちらの護衛さんとした約束の報告をしたい」
「山羊獣人どものことだな? そちらもタワードから聞いている。なんでも危険を顧みず調査に赴いたそうで。私も知りたい。是非とも聞かせてくれ」
ノイノイが脇に立つタワードに目を向ける。報告をカストールに聞かせてもよいかの確認だろう。もとよりそのつもりで連れてきたようで、その意味を察した彼は小さく頷く。
「では、報告を始めるとしよう。昨日、ノーザイン山脈の中腹で大がかりな陣を中心に、幾つもの小さな集団が密集しているを発見した。士気の高さから何時動き出してもおかしくない状態だった。このような戦意、集団行動自体山羊獣人らしくないので、もう少し踏み込んで調査した。その結果、種そのものを大きく変えようとしているのが判明した」
「種そのものを大きく変える?」
ノイノイの言葉にいち早く反応したのはカストールだ。彼は非常に興味深げに身を乗り出す。
「進化、とでも言えば分かり易いかな。最も、彼ら独自の成長ではなく、第三者が無理やり促した人工的な突然変異だけどね」
「他人の手が加えられた進化……。俄かに信じられんな。そんなことが可能なのか?」
「可能だよ。ついでにそれを好き好んで行う奴らも知っている」
「その口ぶりは知り合いなのか?」
「知り合い……。そう呼ぶには忌々しい連中だが、当たらずとも遠からずといったところなのが残念だよ。ただ、相容れない仲とだけは理解して貰いたい」
「そうか、それは失礼した。では本題に戻るが、山羊獣人が勢力を大きくし、好戦的になっているのは種が進化しつつあるのが原因で、それを意図的に仕組んでいる者が背後にいる、と言いたいのだな?」
「理解が早いね」
「ふむ。そうなると一つ疑問が浮かぶのだが、その背後の者は何故、山羊獣人を選んだのだ? 人の形こそ成しているが、野に生息する獣の類と変わらぬ奴ら。支援したとして利益が得られるとはとても思えん」
「生き甲斐、かな」
さらりと告げるノイノイに、カストールは怪訝な表情を隠さない。
「他人を進化させることがか? 見返りも無しに?」
「そう。発展途上の劣等種に新たな力、未知の技術を与えたらどうなるか。その過程と結果が知りたいだけの援助の押し付け。そこに人助けなどという高尚な考えは微塵もないし、そもそも自分たち以外の全てのものは実験道具としか見なしていない」
「何ゆえにそのような結果を求めるのか。その先に何を見ているというのだ」
「そうだね。分かり易く言えば、己が目指すべき究極の進化形態を模索しているといったところかな。つまり、全て己のための研究なのだよ」
あまりに突拍子もない話にカストールは言葉を失い、タワードに至っては理解が追い付かないような顔をしている。
そんな静まり返る室内で、口を開いたのは再びノイノイだった。
「とにかく今回の件、恐らくそちらだけでは手に負えないと思う。特に山羊獣人の支配者は危険だから、我々が何とかしよう」
「おお、ノイノイ殿は手勢を持っておられるのか」
「いや、持ってないよ」
「ではどうやって……」
「リョースケ一人で十分だから」
その言葉にカストールは驚きに目を見開き、そのまま涼介を凝視する。
果たしてこの少年にそれだけの力があるのかと、疑念を抱かれているのは明らかだった。
無理もない。この街の統治者は涼介の実力を全く知らない。カストールたちの手勢では対処不能と評した相手をたった一人で迎え撃つ姿など、想像にも及ばないのだろう。
「そ、そうか。確かにタワードから、リョースケ殿は不思議な力を操ると聞いているが……。ともかく力を貸して頂けるというのはありがたい。だが、今の主戦場はこの街ではなく、父上のところだ。もし向かうのであれば馬や馬車は用意する。自由に使ってくれ」
「いや、移動はしないよ」
「しかし、たった今、リョースケ殿が山羊獣人を何とかすると……」
「山羊獣人は何とかするといった言葉に嘘はない。でも、移動はしない」
「……どういうことだ?」
「恐らく――、次の攻撃目標がここだから」
「え?」
ノイノイの言葉に、カストールと涼介の驚きの声が重なった、――その時だった。
突如扉から、示し合わせたかのような慌ただしいノック音が割り込む。
皆の意識がそちらに集まる中、タワードが扉を少しだけ開いて対応する。始めは神妙に話を聞いていた彼だが、取って返す時には既に平静を失っていた。
「カストール様!」
「構わん、申せ」
「は! 山羊獣人どもがこの街に迫ってます!」
「何っ!?」
思わず腰を浮かせるほど驚いたカストールは、ノイノイとの会話の途中だったことも忘れ、血相を欠いて部屋を飛び出していく。
「ノイノイ、俺たちも行くぞ」
取り残されてしまった涼介たちも、すぐにその後を追った。
城壁の高みに駆け上がり、北の方角へと遠く目を向ける。
森が騒がしい。実際には耳に届くような距離ではないのだが、それが視覚的にも伝わるほどの大きな集団が動いているのが明らかだった。
「今まで父上の領地を攻めていたではないか。今になって何故この街なのだ?」
疑問を呈するカストールに答えたのはタワードだ。
「……これは推測の域ではありますが、もしかしたら糧食の問題が発生し始めたのかと」
「糧食?」
「はい。奴らは過去見ないほどの規模に膨れ上がっています。それも極最近急激に。となれば、普段碌に蓄えをしない奴らのこと。糧食が不足する可能性は非常に高いかと思われます」
「なるほど、この街の食糧庫が狙いというわけか」
「我々は、ここはまだ安全と高を括っていた。その隙を突かれたのかもしれません。とにかくこのまま手をこまねいているわけにはいきません。すぐに応戦の準備を整えます」
「うむ、私もすぐに準備しよう」
そう言い残して傍を離れる統治者たちを尻目に、涼介はこの展開を見抜いた人物にその根拠を訊かずにはいられなかった。
「よくわかったな」
「私も狙いが読めたのは昨日、『促す者』に遭遇した後だよ」
「だろうな。奴らが絡んでいるからこそわかることがある。にしたって的確過ぎるだろ。で、その狙いってのは一体何なんだよ」
「進化を促す対象のこと」
「対象? 山羊獣人じゃないのか?」
「あの獣人たちは乗り越えるために用意されたハードルに過ぎない」
「ハードル?」
「そう。先程ここの領主が言っていた通り、山羊獣人は姿形こそ人なれど、生態はどちらかと言えば獣に近い。文明を持たないあの獣人は『促す者』にとって価値がないも同然」
「確かにそうだな……。じゃあ、今回の研究対象ってのは……」
「この領地の人間たちだよ。それを教えてくれたのがノボルの存在だった。彼がこの世界に来たのは事故ではなく、異世界召喚術で呼び寄せられた。『促す者』の手によってね。そしてノボルがいる地域で騒動を起こすことにより、彼を英雄として祭り上げさせ、あるいは彼が持つこの世界にない知識を引き出ださせ、解決させるつもりなのだよ。戦争は技術を発展させる切欠として最も適しているといっても過言ではないからね」
ふと涼介の脳裏を掠めたのは山羊獣人が馬車を襲撃した場面。
そういえばあの時、祖父江登を率先して襲っていた。馬車の中にいた少女が狙いなら、集団から外れた彼など無視すればいいのにも拘らずに。
それ以前、祖父江登が自分を売り込んだと訊いているのは、山羊獣人の襲撃に悩まされていたタワードたちのいた領地だ。そして今、山羊獣人たちの目にはミラオルテたちとともに城塞都市に移動したと映り、今まさに攻め込もうとしているように見えなくもない。
なるほど。ノイノイの言葉には説得力がある。
あとは山羊獣人がどうなろうと関係ない。結果、祖父江登が何かしらの技術、知識を広めてしまえば、『促す者』は成果を上げたことになる。
裏を返せば、異文化に塗れた時点で『眺める者』側の敗北。
そういった意味では祖父江登が何か行動を起こす前に保護できたのは、ノイノイたちにとって非常に運がよかったと言えるだろう。
「リョースケ、あとは任せるけどいい?」
「りょーかい」
と、返事をしたものの、どうしたものかと思案する。
目標は先頭で群れを率いる獣人の王。しかし、排除に向かえば囲まれるのは必然。
門を閉ざした城塞都市側も、城壁上に弓兵を並べ、矢を放つ準備を整えている。今、飛び出せば、矢の雨が降り注ぐ中を駆け抜けなければならなくなるだろう。
いくら練式魔法と装備一式が備わっていようと、あの危険な王を相手に無用なリスクは冒したくはない。
「戦況を見極め、臨機応変に動くしかないな……。ただ、チャンスがあればすぐに飛び出すから、とりあえずノイノイはどこか安全なところに身を潜めていてくれ」
「わかった」
そうこうしているうちに、おぞましいほど高揚した山羊獣人が迫る。穏便な話し合いで解決など期待できそうもなく、戦いが避けられそうにないことは誰の目にも明らかだった。
射程距離が近づいたのだろう。緊張に表情を強張らせた守兵たちが一斉に矢を番える。
その気配を感じ取ったのか。橋の手前で足を止めた獣人の王が吠え、率いる黒い群れが一斉に駆け出した。
「放てーっ!」
カストールの号令のもと、弦を鳴らす守兵たち。
しかし、狂気に染まる攻め手は降り注ぐ矢の雨を浴びても怯まず、手にした得物で振り払いながら押し寄せてきた。
防ぐ城塞都市の城門は決して脆くはない。有効な構造物破壊兵器が見当たらないのもあるが、殺到する獣人たちの猛攻を良く防ぎ、守兵は門前に釘付けとなる獣人たちへと狙いを定め、一方的に矢を射掛けていく。
戦いは優位に進められれば、士気は上昇する。
押し返せる。と、活気付き、撃退の二文字が守兵の脳裏を掠めた、――その時だった。
くぐもった雷鳴のような雄叫びが轟く。
その声の発信源に目を向ければ、獣人の王が巨大な杭を手に大きく振り被っていた。
そして力任せに投じたそれは呻りを上げて、寸分違わず城門に突き刺さった。
耳を劈く激突音とともに、城壁が頼り無げに振動する。その間近に感じた破壊力に心臓を握り潰されるかのような咆哮の余韻も相まって、守兵たちの間に臆病風が嵐のように吹き荒れた。