第四話
「まず問おう」
そう切り出したのはノイノイ。
タワードに用意して貰った一室にて、彼女が祖父江登を簡素なテーブル越しの椅子に腰かけるようを勧め、向き合った直後のことだ。
祖父江は挨拶も早々に、質問を投げかけてきたのが見た目幼女なことに戸惑いを隠せない。
しかし、傍らに控える涼介が沈黙を守っていると、どうやら自分の話相手は涼介でなく、この幼く見える女性の方だと理解したようだった。
「ノボル、貴方はこの世界で生まれた人間ではないよね?」
疑問形、だがその確信めいた物言いに祖父江は躊躇いながらも頷く。
「恐らくは日本から。違う?」
「……ああ、そうだ。何故、分かった?」
「髪の色、顔立ち、そして決定的なのは貴方の左手首に巻かれた腕時計。それはこの世界の技術ではなく、リョースケの故郷のモノだから」
祖父江はその答えに、自分の腕時計へと視線を落としながら言葉を返す。
「てことはアンタたちも日本から来たのか?」
「その解釈で構わない。それで、この世界に来た経緯を覚えている?」
「ああ、家でゲームをしていた時、突然目の前が暗くなって気付いたらこっちに飛ばされてた。その後、頭の中に神様の声が聞こえてきて、俺には特別な力がある、この世界を救って欲しいって――」
と、語る祖父江の言葉の中に、ノイノイは違和を覚える単語を聞き逃さなかった。
「神? そう名乗ったの? 姿は見た?」
「いや、名乗ってはないし、見てもないけど、頭に直接語り掛けるなんて芸当出来るのなんて他に想像できないしな。俺に特別な力があるのも見抜いてたし、そうなんじゃねえかなって」
「なるほど。因みにその特別な能力とやらはどんなものか、今、見せられる?」
「まあ、そんな自慢できるほどのもんじゃないけどな」
そんな口ぶりとは裏腹に、自慢げに腕時計をした左腕の裾を捲り、ノイノイの眼前へと突き出すと、肌の色はそのままに、みるみる鱗状に変質させていく。
「ほう、肌の硬質化か」
「……あまり驚かないんだな」
「その程度なら予想の範疇」
「予想の範疇?」
そう疑問符を浮かべる祖父江登に対し、ノイノイは澄まし顔で視線を向けたのは傍らの涼介の方だ。
「ん? えっと、俺の練式魔法を見せればいいのか?」
「そう」
涼介はノイノイの意を酌み、手の中に小さな氷の球を作って見せた。
地球で生まれ育った者の身体は異世界に存在する魔力との親和性が非常に高く、取り込むだけで著しく身体能力を向上させると同時に、放出する際様々な個性に変換して発現可能な不思議な性質を備えている。
涼介たちが練式魔法と呼ぶこれは、ノイノイたち『眺める者』が使う術式魔法とは全く異なる魔法体系で、扱える系統の幅は狭いものの、膨大な知識や複雑な技術を必要としないのが特徴である。
どちらかと言えば拳法でいう「気」のイメージのが近いのだが、『眺める者』たちにはピンとこなかったため、便宜上魔法と名付けてられているものだ。
しかし、祖父江登は自分だけが特別だと思っていたのだろう。山羊獣人との闘いでは目を回し、涼介の能力を目にしていない彼は驚きに目を丸くしていた。
「ノボル。日本、いや、地球からこの世界に転移すれば、皆、大なり小なり特異な能力を扱えるようになるのだよ。体質的にね」
「そ、そうなのか……」
「とりあえずここに来た経緯は理解した。ということで、ノボルには日本に帰ってもらう」
「え? 日本に帰れるのか?」
「帰れる、という表現は正しくない。問答無用で帰ってもらう、選択の余地のない言わば強制送還」
「強制……、送還……。なんか俺が悪さしたみたいな扱いだな……」
「そう、この世界にとって貴方は不純物。即ち居てはいけない存在。日本で例えるならブラックバスやアライグマなどの、特定外来種に該当する」
「俺が外来種……。厄介者扱いなわけか」
「もしノボルが我々と出会わず、この世界に定住するようなことになっていれば、恐らく地位向上や生活基盤の安定のために日本で得た知識に頼ると思う。それをされると我々は非常に困るのだよ」
「なんでだよ」
「我々の活動は、ありのままの異世界を観察し、記録すること。だから異文化に汚染されるのを嫌うのだよ。ノボルのように異世界に落ちた人間が出生地の知識、技術を広めれば、既存の文化は純度を失う。そうなると数千年の時を懸け、先祖代々続けてきた研究が僅か数年、下手をすれば数か月で水泡と化すからね」
「何だ、結局自己都合じゃねえか……」
「その解釈で構わない。文明がどのようにして起こり、技術がどのようにして進化していくのかを調査、研究するために我々は人生を捧げている。例えばこの地域で何らかの大きな革命が起きたとしても、彼らが発展する切欠になるのか、それとも衰退、滅亡の原因になるのか、歴史の一幕として興味を持ち、結果をただ記録するのみ。だからこの世界に留まり我々の活動の邪魔となるなら、容赦なく実力行使に踏み切るだろう」
と、ノイノイははっきりと告げた。
祖父江登は特異な力があることを自覚し、既に居場所を構築しつつある。
もしこちらの世界に居心地の良さを感じていれば、少なからず未練を残すことになる。となれば後々面倒臭いことに繋がるのだが、それは涼介の杞憂に過ぎなかった。
「いや、すぐにでも帰ろう。寧ろ助かるぐらいだ」
「素直に同意してもらえたなら手間が省ける。ではここの住人にその旨を伝えてくるので、少し待っていて」
ノイノイはそう伝えると席を立つ。
「俺が行こうか?」
使いっ走りぐらい引き受けようという涼介の提案に、ノイノイは首を左右に振る。
「ノボルの件だけならそれでもいいけど、山羊獣人の件がまだだからね。色々と関わる可能性があるから、軽く誼を結んでおこうと思う」
現地人との接触は匙加減が難しい。
関わり合いを遠ざけた故に、警戒あるいは敵対されても活動に支障をきたす。かといって、あまり深入りすると異世界文明に悪影響を与えかねない。
ノイノイは首を突っ込んでしまった現状から、自分が動いた方が良いとの判断なのだろう。
出しゃばるつもりはない涼介は頷き、素直に待つことにした。
ノイノイが退出すると、部屋には涼介と祖父江登が取り残されることになる。面識のない二人には気軽に話せる話題などあるはずもなく、訪れるのは静寂。
暫し重々しい空気が滞留するが、それを先に打ち破ったのは祖父江の方だった。
「なあ、少し訊いてもいいか?」
口にしたのは漠然とした疑問系。訊きたいことが色々あるのだろう。
こんな時、涼介はあらかじめ用意されたセリフを告げるのみ。
「訊く内容によるとしか。俺は付き添いだからあまり権限がないんだ」
「この世界のこととかは……」
「残念だけど俺には答えられない。権限もだが、そもそもこの世界に詳しくない」
「そうか。なら仕方がないな。……君の能力は氷以外何か使えるのかい?」
「いや、氷の生成と、温度のコントロールぐらいだ。俺たちの間では練式魔法と呼んでいるんだが、皆、扱えるのは大体一系統だけに限られるんじゃないかな」
「そっか……。肌を硬くするなんて、君に比べたら明らかにハズレ能力だよな。あーあ、もっと使えるものだったらなー。そうしたらカッコよく活躍出来たのに」
なるほど。祖父江は漫画や小説のような異世界での活躍を夢見ていたらしい。しかし、理想と現実の差を知ったことから日本帰りに同意したのだろう。
ただ、涼介は祖父江の能力が決してハズレだとは思わない。異世界での活動において最も重要なのは生存能力だと考えているからだ。
加えて彼の練式魔法は恐らく未開発段階。これから使い方を習熟すれば肌を硬くする以外の用途、例えば触れたものの硬質化、あるいは軟質化など、有用な使い方が見つかる可能性は極めて高い。
しかし、涼介はそれを彼に伝えるつもりはない。折角その気になった帰国を反故にされても面倒臭いからだ。
「君は異世界で活躍しようとは思わないのか?」
当たりの能力さえ得られれば、バラ色の異世界生活とでも考えているのだろうか。
遠慮が段々となくなり、踏み込んだ質問をぶつける彼に不快感を覚えつつも、涼介はとりあえず答えることにした。
「いや、ないね。例え俺にその適性があったとしてもだ」
「なんでだよ」
「異世界での生活なんて、何かにつけて不便じゃないか」
「んー、まあ、確かに。飯は旨くないし、電気はねえし、トイレは不便だしのないない尽くしだもんな。暫く遊ぶ程度なら面白いかもしれんが……。ん? じゃあ、なんで今、ここにいるんだ?」
「俺はアンタと同じように異世界に迷い込んだ時、ノイノイに救われた。今はその恩を返すため彼女に協力しているんだよ」
「えっ? じゃあ、もしかして俺も……?」
「その心配はしなくていい。ノイノイは協力の強要ってのはしないから。素直に日本へ帰ってくれるだけで充分満足してくれるだろうさ」
助けた代わりに従わせる。涼介の言葉からそんなニュアンスを捉えたのか。一抹の不安を抱いたようだったが、涼介の否定に安心したようだった。
「そうか。まあいいや。珍しい体験にはなったが、異世界はどうやら俺には合わなかった。これからは日本で大人しくしてるよ」
丁度会話が区切りついたところで、ノイノイが計ったかのように部屋へと戻る。
「ノボルの身柄はこちらで引き取る旨は伝えてきたけど、先方も特に問題なさそうだったよ。揉めなかったのは幸いだね」
「戻るのはすぐか?」
「長居する意味はないしね。でもこの部屋から我々が突然居なくなるのは色々詮索を受けそうだから、一応街の外へは出ようと思う」
「りょーかい」
夕暮れ過ぎ、衛兵からこの時間から城塞都市の外に出るのかと訝しがられる中、祖父江登を連れた二人は街を後にする。
そして人目のつかない場所まで離れると、ノイノイの魔法で日本へと帰還した。
こうして日本に無事帰還出来た祖父江登は非常に幸運だったと言えよう。
異世界転移は極稀とはいえ起きている。当然、その大半が行方不明扱いとなる。
捜索願いを出されたところで、異世界に飛ばれては警察も役に立たない。
ノイノイたち『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』も、捜索を主として活動しているわけではないため、すぐに発見されるケースは稀である。
そのため、異世界に放り出された後に何かしらの事件、事故に巻き込まれ、人知れず命を落としてしまうことも珍しく無かった。
涼介も過去異世界に飛ばされた時、身の危険を幾度となく経験した。幸い命こそ無事だったものの、現代日本で培った倫理感を徹底的に狂わされ、ノイノイの発見がもう少し遅れていれば日本での社会復帰は危うかったかもしれないほどだ。
祖父江登個人に特別な感情はない。
しかし、自分たち『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』に不必要な労力を割かせないためにも、異世界には二度と関わらないで欲しいと切に願う。
そして祖父江登に関するもう一つの気掛かり。
彼が『第十七世界』に降り立った直後、彼の意識に語り掛けた存在だ。
異世界転移は、大きく分けて二種類ある。
一つ目が、時空の歪みが引き起こす、誰にも予期できぬ偶発的な事故。
二つ目が、転移魔法、あるいは召喚魔法による意図的に異世界間の行き来を狙ったものだ。
一つ目の可能性もなくはない。だが、今回は二つ目、他者の手によるものと見るのが妥当だろう。
転移直後、召喚者以外では把握することが難しいタイミングで、祖父江登の意識に語り掛けるという、決定的な裏付けが被転移者の口から証言されているからだ。
涼介の脳裏に浮かんだのは、とある存在。
約半年前、涼介を異世界へと送り込み、苦しみを味わわせた連中だ。
同一犯である可能性は極めて高いと思う。だが、確定的な証拠がない以上、まだ断定すべきではない。
現にノイノイは何も語らず、調査続行の姿勢を崩していない。
ならば涼介も彼女に倣い、とことん追求するまでと意志を固めるのだった。