六十三話-わかんない
トオルは部屋に戻らなかった。
正確には戻ろうとしたが、途中で引き返したのだ。
理由はリルのことである。彼女を縛ったままにしていたし、聞きだすことがたくさんあった。
だが、すぐリルの所にはいかなかった。あんな台詞を吐いた後に、シャリオと顔を合わせるのは気まずい。落ち着いてみれば、気取ったことを言い過ぎた。
トオルは曲がり角からシャリオがいなくなるのを確認して、リルの部屋に入った。
「ご主人様」
リルはトオルを見るなり、飛んで彼の足元に跪いた。
その動作にも驚くが、縄を解いていたことにトオルは注目した。
「シャリオが取ったのか?」
トオルが解かれた縄を指さすと、パルレは嬉しそうに顔を横に振った。
「リルが解いた」
褒めてくださいと言わんばかりにリルは言った。
トオルからすれば驚きでしかない。しっかりと結んだはずの縄から易々と抜けられたことに少なからずショックも受ける。
並みの少女ではないのは確かなようだ。
が、悪いことばかりではない。縄を解いたにも関わらず、攻撃してこなかった。それはキスの効力が働いていると判断していいだろう。
「リル、君はシャリオにどうして命じられたんだ?」
「わかんない」
「わかんないか。シャリオとは面識もなかったんだよな?」
「うん」
「それなのに命令を聞いたのか?」
少し舌足らずの返答に、トオルはため息をついた。
先ほども同じ答えが返ってきたとはいえ、疑いの目を向けてしまう。
ジュ―ブルの間者であるリルとシャリオとの繋がりが全く見えない。何の理由もなしに受けるはずがないだろう。とても信用できない。
「わかんない。本当」
リルはそう言うと、青紫の瞳を潤ませた。
幼い少女に泣かれると、流石のトオルも参る。
信じるわけではないが、話を変えることにした。
「じゃあ、本来の任務って?」
「この国の情報収集」
「リーリエに危害を加えるのは?」
「ない」
ますますわからなくなってきたが、トオルはこれからのことを考えていた。
ジュ―ブルの間者と会うなどあまりにもリスキーだ。リルのことをどう扱うべきか。
「ご主人様」
「ああ、ごめん。何?」
「ご命令は?」
「命令」
トオルはリルの言葉をなぞっていて違和感を覚えた。
どうして彼女はこうも従順なのだ?
元々、殺し合いをする間柄だったのだ。好感度など欠片もなかったはずである。それが今や跪き、御伺いを立てている。
トオルのキスの効果は、好感度を増幅させるものだ。ゼロから一にはなりはしない。
だが、目の前の現状はそうとは違う。
ステラの時のように、イレギュラーの可能性もあるが、そうですかと納得できるほどトオルは楽観的ではなかった。
確かめようがないのも事実ではある。できることは二つ。この場で口封じをするか、確実に手駒にするか、だ。放置はあり得ない。爆弾を野に放つわけにはいかない。
トオルは目の前の少女に目を向ける。ジュ―ブルの住民が小人族と呼ばれるのは正しいらしいと改めて思う。
内向けにウェーブがかったセミロングの銀髪。大きくまん丸で、子供特有の澄んだ青紫色の瞳。手が短く軽そうで折れそうな小さな体躯。丸い頬と、赤く腫れあがっている顔。
自分がつけた傷を見て、トオルは口封じをするという選択を消した。
確実に手駒にすることに決める。
その方法はもちろん――。
「リル、殴ったりしてすまなかった」
トオルはリルを抱き寄せ、彼女の腫れた頬を爪の平らな部分で撫でる。
「痛いよな」
「大丈夫」
トオルは優しく唇を、リルの腫れた頬につける。
リルが嫌がっていないのを薄目で確認すると、少しずつ唇を動かして彼女の顎を舐める。
「ひぃう」
「面白い声」
トオルが笑うと、リルは仕返しと言わんばかりにトオルの口に吸い付いた。
ただの吸引が終わると、今度はトオルの攻めに入る。
リルの唇を舌で撫で、彼女の硬さを解していく。
そうして毒を流し込んでいくのだった。