六十二話 何が正しかったのよ
少女は意識がないのか力が出ないのか、キスされている間も抵抗しなかった。トオルが恐る恐る舌先を入れてみても、噛んでくる気配はない。
唾液を多く流し込んだ方が効き目がよくなるので、トオルは少女の舌を絡ませたり、口蓋や歯の裏も舐める。水温がするのもお構いなしに貪り続けた。
加速の使い過ぎで胸が痛み、呼吸のために口を離す。唾液を交換したから、唇から糸が引いていた。
「効果がなかったら、絶対口をきいてもらえないな」
トオルはそう言って、顔を上げ体を戻した。
キスをされた少女は目を大きく見開いていた。焦点が合っていなかったが不気味ではなく、ミステリアスで惹かれるものがあった。よく見てみると、戦っていた時より目に生気が感じられる。
なので、途端に罪悪感が湧いた。転生したトオルよりも小さな女の子ということもある。警戒は怠らないが、膝で腕を抑えつけていては痛かろう、と手でつかむ。
「さて、お嬢ちゃん。知ってることを喋ってもらおうか」
「お嬢ちゃんじゃないです。リル」
舌足らずで幼い声で自己紹介した。これだけではキスの効果があったのかわからないので、話を深める。
「リル。何をしようとしていた?」
「リーリエ・イノの誘拐。出来ないようであれば殺してもよい、と言われました」
「言われた?」
「訂正。依頼された。しかし、本来の任務とは異なるものを受けた理由はわかんない」
「わかんない?」
「はい。その経緯を思い出せない。私はジュ―ブルの人間で、ネメスの世情を調査していた。でも、いつの間にかこの依頼を受けていた」
不穏な雰囲気を感じ、トオルはつい追求を止め話を変えてしまう。
「なら、誰に依頼されたのかはわかるな」
「はい。シャリオ・イグニス」
トオルは盛大なため息をついた。厄介事も厄介事だ。
これでリーリエにこの話を打ち明けるわけにはいかなくなった。どうやら自分で解決するしかないらしい。
「リル、シャリオの元まで案内してくれるな」
「ご命令とあらば」
「じゃあ、頼む。それと、腕は縛らせてもらうぞ」
「どうぞ」
トオルは自分の寝間着でリルの腕を縛った。その後、部屋に戻って縄と救急道具に外套を取ってきた。その間、リルはトオルに組み伏せられていた状態で仰向けのまま寝転がっていた。逃げようという意思は感じられない。キスの効果だろうか?
寝間着を解いてやると、リルは縛りやすくするためかうつ伏せになって手の甲をくっつけた。幼い子が自分から縛られに来るのでトオルはいかがわしい気分になる。
そのまま縄で手を拘束し、トオルはシャリオの頬に腫れに効く塗り薬を塗る。剣術大会なので、一応持ってきていた。そして、寝間着を着、外套を羽織って外に出た。
縄が見えないようにリルの肩にも外套が届くようにする。この状況を見られれば、トオルの方が犯罪者だ。歪んだ性癖の持ち主にしか見られないだろう。
リルの案内の元、シャリオがいる場所を目指す。
「シャリオ・イグニスは私の部屋で待機してる。ご主人様、リルは捕まったふりをしていればいい?」
ご主人様という呼称と、やけに物わかりがいい態度は、トオルに疑心暗鬼を生じさせた。リルが従順なのはキスの効果ではなく、彼女の策なのではないか。
そういう考えもあったが、トオルには警戒を怠らないことしかできない。
また小さな女の子を殴るのは気が咎めるので、できればキスで大人しくなったということにしてほしかった。
何にせよ罠かどうかよりも、シャリオが犯人かどうか判別するほうが重要だ。
「ああ、そうしてくれると助かるな」
「かしこまりました」
リルは頭を左右に振って鼻歌を奏でながら路地を歩いていく。動きに合わせてぴょこぴょこと跳ねるように移動していた。
首都ということもあって、街灯も多く家々の灯りもある。夜中でも街はそれなりに明るかったが、リルは奥まったところに入ったのでここからは月明かりのみが頼りだった。
月明かりに彼女の銀髪は輝いて見えた。思わず触れたくなるが、トオルは何とか手を引っ込め、シャリオの元へと急いだ。
首都のはずれにある居住用の建物の前でリルは止まった。
「この地下が私のお家。ここで、シャリオ・イグニスが待機してる」
トオルは腰に差してある短剣の位置を確認して、リルに扉を開けさせた。
「やあ、シャリオ。貴方の計画は失敗だよ」
そう言って、トオルはリルの縄を見えるようにし、地下室に入った。シャリオは奥にある椅子に座っていたので、トオルもそちらに近づく。
地下室はトオルやシャリオが辛うじて頭が付かないほどの天井高で、ここで剣を振り回すのは難しそうだった。
なので、シャリオの向かいにある椅子にトオルは座る。
天井が低いので立っているより、圧迫感がなくて済む。リルは演技のためか、椅子に座らず地面に座った。
シャリオはただ椅子に座っているだけで、何も言わない。それもそうだろう。夜討ちだけでも相当な罰なのに、神旗持ちを襲ったという罪はさらに重い。極刑に等しいだろう。
ネメスにも法は存在はしているが十全な機能をしているとは言えない。神との誓約が法の上にあるため、神旗の誓約上と言えばほとんどまかり通る。そのため、法は同レベルの地位の人間同士で問題が起きたときにしか使わない。
今回の場合、神旗を持っている者に、持っていないものが刃を向けたというだけで重罪なのだ。法を適用するまでもない。
神様の恩寵を受けている人間と、そうでない人間。神様が絶対の世界で、その差は大きいものだ。
「何がしたかったんですか、貴方は?」
トオルの問いに、シャリオはすぐ答えなかった。
それでもトオルは待つ。話せないのも無理はないだろうと思ったからだ。
どうあがいても、シャリオは罰は避けられない。今の彼女は胸元に刃を突き立てられているようなものだ。簡単な受け答えですら難しいだろう。
長きに渡る沈黙のあと、シャリオは口を開いた。
「私は正しくないって、間違ってるって言いたいの?」
「いいえ、私は正しさなんてものはないと思いますから間違っているとは言いません。今日は失敗しただけです。残念でしたね。次回があればバレない程度にもっと倫理から外れた戦法を選ぶべきです。やるなら徹底的にですよ。中途半端にやるから負けるんです」
トオルがそう言うとシャリオは軽蔑の目を向けた。彼女からすればトオルの姿は、死をチラつかせながら、ニヤニヤとお道化てくる下種にしか見えないだろう。
が、冗談ではない。トオルは現在進行形で人を騙し、目的のためであれば殺生もしている。杜撰ではあっても、手は抜いていない。
「それは皮肉のつもりかしら。それとも本気で言っているの?」
「両方です」
よりシャリオの目はきつくなる。そんなことを考える行為そのものへの嫌悪と、物騒なことを言うトオルの報復に怯えているのだろう。
それを気にもせずトオルは話を続けた。
「今ので万が一成功していたとしても、貴方は笑っていられない人だった、というのがわかりましたけど」
反論しようとするシャリオより先にトオルは言葉を継ぐ。
「だって、失敗してほっとしてますよね?」
今度こそ、シャリオは言葉を返せなかった。夜討ちという行為は正しくない。それはシャリオが自信が何よりわかっている。許されざる行為に手を染めたことを呑気に考えられる少女ではなかったのだ。だからこそ、トオルは口をとめない。
「これは情けないんじゃないでしょうか。中途半端な覚悟で人を殺めようってのは」
未遂とはいえ、シャリオはリーリエを殺そうとした。それは揺るぎない事実だ。だが、トオルはそのことよりも――。
「もっと情けないのは、自分では勝てないと負けを認め、喚き散らすようなやり方を肯定した事ですよ。貴方の試合を見れば、どれだけ研鑽を重ねてきたかはすぐわかります。自分を信じない、研鑽を根本から否定する行為ですからね、これは。公平さを捨てたんだ」
「わかってる。わかってるわよ」
シャリオが初めて取り乱すように立ち上がり叫んだ。
「あれだけ努力したのに近づくどころか遠ざかってる。私の何が悪いのよ。何が正しかったのよ。どうやったら届くのよ」
シャリオはトオルの胸倉を掴んだ。
シャリオの言葉に偽りはない。彼女の剣の腕を、近づいたことで見えた手を見ればわかる。可愛らしい少女の手には、不釣り合いの血マメが潰れていた。
リーリエと肩を並べたかった。シャリオはその望みのために、剣の腕を磨き、剣術大会を目指したのだ。
が、蓋を開けてみれば、リーリエはもっと強くなっていた。
加護のあるなしに関わらず、よくあることだ。どれだけ努力をしても、願いが叶わないというのは珍しくない。絶対という言葉はありはしない。
だが、戦わなければ何も得られない。これだけは絶対的な正解だった。
そんな道理をこれ以上説くつもりはトオルにもなかった。
何より彼は痛かった。戦うことを諦めたことがある人間だからこそ、トオルにはシャリオの気持ちがわかるような気がしたから。
「何が正しいのかなんてわかりませんよ。どうやったら、望んだ未来が得られるか、なんて神様にでもならないとわからない。でも、進まないと。止まっていたら遠ざかるばかりです」
トオルの言葉は、正論であり、暴論であった。努力しても勝てないと嘆いている少女にかける言葉ではなかった。
もっと他にあったはずだ。例えば勝てないだけでちゃんと剣は上手くなっている。他に活かすこともできるし、次は勝てるよ、などと言うべきだ、とトオル自身思った。
だが、彼女はシャリオに甘い言葉をかけにきたわけではない。リーリエを殺そうとしたことに少なからず怒っている。
その感情の発露を知ろうとはしなかったが、怒りを抱いていることは理解している。
しかし、シャリオを傷つけるつもりにもならない。
人の道理から外れている方法は許されないが、それを迷いながらも良しとするほど、勝ちを求めた姿勢にトオルは憧れた。
シャリオに立ってほしい、と思うほどに心が震えた。
何かのためにそこまで思えることが素直に羨ましかった。
だが、慰めではどうにもならないという実体験とシャリオには意味がないとわかっていたから、甘い言葉はかけられなかった。今の言葉はトオルの考えをそのまま述べただけであった。真摯な告白に応える方法はこれしか知らないし、何かを教えてやれるほど偉くない。
何より、彼女も気づいているのだ。恐らく、リーリエには勝てない、と。シャリオの剣の腕はリーリエと差はほとんどない。あるとすれば、加護だ。
それは圧倒的な差で、覆すのは限りなく難しい。そう、気づいたからこそ魔が差した。
勝てないと言いきれないが、愚直に鍛錬を続けてもどうにかなる相手ではないと認めてしまった。それでも、シャリオは勝ちたかったのだ。
その想いをトオルは尊重していただけのこと。往生際が悪いとは言わなかった。ひた向きに何かを求める子供の心を摘むような真似はしたくなかった。
自分では道を正すほどの力がないとわかっていたから、シャリオ自身が変わることを望んだ。
「過ちは覆りません。なら、次をどうすべきか考える。こんなことをしたくないなら、次はどう戦うんですか?」
「次?」
「勘違いしていませんか? この件を私はリーリエ様に報告するつもりはありません」
「どうして」
「好敵手は友と同義である、って私の生まれ育った町では言いますからね」
「そんなことじゃなくて」
「わかってますよ。どうして罰を与えないのか、ってことですよね」
トオルは言おうとして止めた。言えなかったのだ。様々な感情が入り混じり、説明できない。ただ共通していることは一つ。トオルはシャリオが今後もこのようなことをするとは思っていなかった。
無論、トオルがシャリオを告発しなかったのは、ひた向きな姿勢に胸を打たれたからだけではない。トオルにも少なからずメリットがある。
大事にすれば悪目立ちするからだ。事情も複雑である。他国の間者が関係しているというのも厄介だ。
そして、恐らくシャリオとの戦いを楽しみにしているリーリエをがっかりさせたくなかった。彼女に汚いものを見せたくなかったのかもしれない。
無論、今後このようなことをしない、と信じたいが対策しないほどトオルは能天気でもなかった。
彼は、シャリオに誓約書だけ書かせて告発はしなかった。誓約書の内容は、今後リーリエに危害を加えないこと、リーリエに貶める策を他者と共謀しないこと、というものだった。
「それじゃあ、早く帰れよ。私も貴方もさっさと寝ないと明日が辛くなる」
あくびをしながらシャリオに言って、トオルは宿に戻った。
二章は残り二話で終了です。
申し訳ありませんが、この二話は九日と十一日に更新になります。