五十話-石鹸ですよ
トオルは脱衣所を出て、公衆浴場に入った。中にはそれなりに人がいる。二十近くはいるだろう。が、二人はよく目立っていたのですぐ発見できた。
まず、セネカは姿勢からして目立っている。体を丸めようと背を曲げていた。
彼女の水着はフリルの入った白色のバンドゥビキニだった。肩紐は付いている。
猫背になっている理由は恥ずかしさだろう。セネカの胸は控えめなので、そういう意識があるのかもしれない。もちろん、隣にいるリーリエが関係しているのは言うまでもないことだ。
リーリエはシンプルな黒色のクロスホルターネックの水着だった。が、柔らかな乳房を完全に覆うことができていない。彼女に関してはスタイルが良いので、何を着ようが映えるのだが、この水着は強気な雰囲気とマッチして、より魅力が増していた。もはや卑怯だ。
それはトオルだけが思っていることではない、と周囲の全てから注がれる見惚れる視線が証明している。
うちのご主人様は最強の美を誇れるな。トオルはそんな感想を抱いたが口には出さなかった。
代わりにリーリエが先に声をかけた。
「来たねトオル、とても似合っているよ」
「ありがとうございます。リーリエは流石ですね」
「良い表現ですね、トオル。私もそう思います。流石だなって」
「セネカまで変なこと言うね」
「似合っているってことですよ。ね、トオル」
セネカは肩を寄せてきてトオルに同意を促した。
気兼ねない行動なのだろうが、トオルにとっては嬉しいが爆弾に等しい。
彼は下半身に血流が回らぬよう集中しているため、ぎこちない頷きとなった。
いくつも嘘をついている中で、最もバレてはいけないのが両性具有であるということだ。加護がないこと、スラム出身であることが可愛く思えるぐらい、両性具有は迫害の対象になっている。何せ、悪魔の子と呼ばれるのだから。
「そうかな? 去年のものだからサイズが合わなくてはしたなくて恥ずかしいのだが」
湯の蒸気でわかりにくいが、言われてみればリーリエの頬がほのかに赤く染まっていた。
セネカと違って姿勢よく立っていたが、リーリエにも恥じらいはあったらしい。
そんな表情を見せられるとトオルはより困る。
「リーリエ、セネカ、先に行こう」
トオルが先導した形で歩く。脱衣所の次は洗い場への分岐だった。メリドの公衆浴場では蒸し風呂で汗を流し、垢を削ってから、湯船のある浴槽へ入るのが一般的だった。
シャボンでも同じ仕組みだが、男に洗ってもらうか自分で洗うかの二つに分かれているのが特徴的だ。
一般的な公衆浴場は自分で洗うのが当たり前である。
リーリエは迷わず自分で洗う方に入ったので、トオルも後をついて行った。
洗い場用の蒸し風呂にも男はいた。が、彼らは蒸し風呂のメンテナンスであったり、清掃、飲み物や垢すりの道具などを持ってくるロボットだった。だから、水着を視られようと何とも思わないのである。
ロボットのふりも大変だろうとトオルは自分の現在の窮地と重ね合わせた。
トオルはあえて、そういう所に目をやった。隣にいるリーリエとセネカを意識しないように必死だ。二人とも魅力的すぎた。水着の破壊力を侮っていたのだ。
どうにか精神を整え、汗をかき垢すりで身体を擦ってから外に出る。次は垢を流す場所だった。
鏡とシャワーが並んだ縦長の箱がずらりと並んでおり、そこで垢を落す。
シャワーといっても大したものではない。水の勢いの加減はできるが出てくる水はストレートで、日本のシャワーのように雨のような水が出てくるわけではなかった。
トオルは頭から水を浴びつつ、そっと左に目をやる。
隣同士はすりガラスなので、姿が見えるようになっていた。右にリーリエ、左にセネカだった。そう、すりガラスなんてものがある。
「おお、ただの噂だと思っていましたが、事実でしたか」
「どういうこと?」
シャワー室にきて、何やら興奮気味のセネカにトオルが質問した。
「トオル、石鹸ですよ、石鹸! シャボンでは石鹸が無料だって噂ですよ」
メリドでは石鹸が高価なので、ほとんど普及していなかった。トオルもセネカの興奮は理解できる。公衆浴場に石鹸が置かれてあるという話は聞いたことがない。
といってもステラとリーリエの屋敷には常備されていたので、トオルにはそこまで有り難さはなかった。
それよりも、店名になっているシャボンは、石鹸という意味だったのかと驚く。確か、ポルトガル語でなかったか?
そんなことを考えながら、トオルは髪から洗う。その際、右隣を見るとリーリエのシルエットが見えた。彼女は首から洗っている。
左隣に視線を移すと、セネカのシルエットは固形石鹸らしきものに顔を近づけ止まっていた。しばらくすると満足したのか、手から離し、股から洗い始めた。
想像してしまいトオルは深呼吸して青空を思い浮かべる羽目になった。
「さて、ここからがお楽しみだ」
全員が洗い終ると、リーリエが楽しそうに言った。そんな彼女を見て、セネカは笑う。
「リーリエは本当に風呂が好きですね」
「セネカは嫌いかい?」
「いえ。好きですけど、リーリエほど楽しそうにはできませんね」
リーリエは信じられないというような顔をして、トオルの方を向いた。
「じゃあ、トオルは?」
「私も好きですよ。特に寒いときとか」
「私は暑かろうが寒かろうが好きなんだがなあ」
トオルとセネカの気持ちを考えようと首をひねるリーリエだったが、答えは出ないようだった。
様々な湯船に入り、ついに三人とも黙っていた。シャボンの目玉である湯の張った大きい風呂は三つだけだが、それらに隣接する小さい風呂も存在する。今はそこに入っていた。
花の香りが心地よさを倍加させている。三人以外、誰もいないというのに会話はなかった。移動で散々話したし、疲れているのだろう。トオルも下半身には気をつけながら、意識を飛ばそうと目を瞑る。
その瞬間、水面を叩く音がし顔に水がかかった。
何事か、とトオルは目を見開く。そこには真っ赤な布とそこから伸びる足があった。
「シャリオ・イグニスよ。剣術大会、待ちに待ったわ。ようやく勝負ね、リーリエ」
その声と共に視線を上げる。見知らぬ少女、シャリオ・イグニスがいた。真っ赤な髪の少女だ。
同じ赤毛でも、トオルとは濃さが違う。真紅と表現していい濃さだ。髪は長く、水に濡れているというのに僅かに外の方へ跳ねている。
体に自信があるのか、チューブトップの水着もシンプルなもので、色は真っ赤だった。確かに程よい身長で、剣術大会に出るということもあって美しい四肢で、胸も同世代にしては大きい方だろう。
だがしかし、背や胸という数値に出る部分はリーリエの方が勝っている。となれば、肉体だけ見れば、自然とリーリエの方に視線を奪われる。
それでもシャリオは自信満々だった。リーリエは何やら不満げである。
顔色だけでなく、顔付も二人は違った。別人なのだから、当然ではあるが、対照的なのだ。
リーリエは涼し気で常に余裕があるような表情だが、シャリオは情熱的で元気に満ち溢れている。そのせいか子供っぽく見えるが、日本での中学生という年齢を考えればこんなものかもしれない。
二人は正反対なタイプに思えた。
トオルが自然とリーリエとシャリオを比較したのは、シャリオがリーリエの眼前まで迫って睨みつけていたからだ。座っているリーリエの顔に、シャリオは立ったまま鼻先を近づけていた。視線を動かさなくても比較できる。
じっくり観察できるほど長い視線のやり取りは、リーリエによって次の段階へ移る。
「シャリオ、ここは公共の場だ。そのようにはしゃぐのはよくないし、何より私の友達に失礼だ」
「友達?」
信じられないという風にシャリオは復唱した。
「それは確かに悪かったわね。あんたばかり見てて視野が狭くなったのは認めるわ。リーリエのお友達、ごめんなさいね」
「別に」
セネカは素っ気なく返事をした。普通の対応だろう。
「シャリオ、立ってないで入ったらどうだ?」
「あんたと同じ湯船に入るつもりはないの」
「それは残念だ」
リーリエは本当に悲しそうな顔をした。皮肉からそういう表情を作ったのではなく、純粋にそう思っているのだろう、とトオルにはわかる。
シャリオはそれを知ってか、もしくは挑発と誤解したのか、怒りっぽく右の口角を上げ、リーリエに指差した。
「用件はこれだけ。今度こそ叩きのめしてあげる」
「楽しみにしているよ」
リーリエが微笑むと、シャリオは口を強く噤んた。その勢いのまま足を抜こうとして、トオルとセネカに目をやる。
「あら、また危ないところでしたわ。ごめんなさいね」
ペロリと舌を出して、シャリオはゆっくりと湯船から足を抜き去って行った。
シャリオがいなくなってから、セネカが尋ねた。
「ネメス学園のシャリオさんですか?」
「ああ、私たちの対戦相手だ」
大会に出場しないトオルは、良くも悪くも濃いキャラだなあと思うだけだった。