四十八話-首都ネメス
体の揺れと共に蹄が固い地面を踏み鳴らす。平原には舗装された道の両脇に畑や家々が見える。農作業をしているのは男で、それを物見櫓で監督しているのが女だ。スラムの男たちより、ここの男たちの方が生き生きとしている。待遇がマシだからだ。ここでは不手際を起こさない限り、急に殴られたり殺されたりしない。ここの男たちはエリートなのだ。
剣術大会が行われる首都ネメスへ、トオルたちは騎車で移動していた。人間だけでなく、三人分の旅行鞄と、大会に出る二人はもう一つ鞄がある。大会自体は二日後で、三日間行われる。
今回騎手はトオルだった。クロとニクルは屋敷で待機し、大会中リーリエの世話はトオルが行うことになっている。帽子を上げ額の汗をぬぐい、後ろを見る。
荷台ではリーリエとセネカが普通に会話をしていた。今ではすっかり打ち解けている。
思わずトオルの口端が祝福から緩む。ついにリーリエにも真の意味で友ができたわけだ。
己が安寧のために嘘をつき利用しようとしている自分とは違う、真の友が。
「トオル」
リーリエが声を張り上げた。滑車や蹄の音で、距離があると聞き取りにくい。
「あ、はい。なんです、リーリエ?」
「首都ネメスに行ったことがあるのかい?」
「いえ、お恥ずかしい話、バイルから出たことがなくて」
「私も似たようなものです。幼少のころに訪れたきり、行ったことがありませんでした」
「セネカも詳しくはないのか。なら、私が案内できそうだ」
きっとリーリエはホクホク顔で言っているに違いないとトオルは思いつつ、機械仕掛けの馬の手綱を強く握る。ぼおっとしていてはいけない。旅はまだ続くのだ。
目的地は遠くにあるが、既に目視できている。白く高い城壁、あそこがネメスだ。
メリドにはいくつか地域があり、その一つがネメスだ。神様の名前であり首都の名前にもなっている。混乱しやすいため、首都は単に首都と呼ぶ場合が多い。
スラムは地区として数えられていないので、ネメスは首都を含め四つの地域に別れている。イリツタ、キンギ、バイルに首都ネメスだ。それぞれに一つずつ中高一貫の学園があるので、四校の総当たり戦で勝利数の多い学園が優勝となるらしい。
当然狙うは優勝だ。リーリエもセネカも気合い十分で、身近にいたトオルは気迫に当てられそうになるくらいだった。できれば優勝してほしいものだが、こればかりは祈るしかない。
途中で休憩を挟み、半日ほどでバイルから首都に到着した。既に日が落ちている。バイルがネメスの中で首都から最も離れた地なので、移動時間がかかるのは仕方ないことであった。
従者のトオルが荷物を担当することもなく、各々自分の分だけ持って歩く。
「それじゃあ、宿に行こう。イノの屋敷でもいいんだが、堅苦しいから大会の前には宿の方が向いている」
宿泊費は学園から出ているので異論はなかった。それよりも、トオルにはイノ家が首都にあると知らなかった。そんな話を聞いたことがなかったからだ。
首都の町並みは美しかった。建物の配置はスラムに似ているし、同じような造りのタウンハウスも多い。が、清潔で小洒落た装飾が施されている。
もちろん、中には高級な屋敷や上品な店もたくさんあった。
どこに泊まるのだろうとトオルは期待を膨らます。
リーリエが案内したのは普通の宿だった。横長の二階建ての建物である。汚くはないが、綺麗でもない微妙なラインだ。学園から少なくない旅費が出ているのを知っていたので、てっきり高級なところに行くと思っていたトオルは拍子抜けだった。だが、リーリエらしいといえばらしい。
扉を開け、宿の受付に向かう。
「予約していたバイル学園のリーリエですが」
受付の若い女性にリーリエが言うと、慌てて奥から肥えた女性が出てきた。
「お待ちしておりました、リーリエ様。すぐご案内致しますね」
そう言いながら肥えた女性はリーリエにすり寄ってきた。
「ほら、あんたち」
肥えた女性が受付に言うと、今度は受付にいた若い女が奥に行って少年たちを連れてきた。
少年たちはすぐにトオルやセネカが持っていた荷物を受け取ろうとするが、体が小さく上手に持つことができない。危なっかしいのでトオルは肥えた女性から隠れるように支えてやった。
恐らく少年たちは普段、客の荷物運びなどしないのだろう。持てないのは体が小さいのもあるが、経験不足という面の方が目立つ。
やはり外観とサービスは一致していることが多い。
過剰なサービスは、リーリエに媚を売りたいが為に違いない。
その証拠に肥えた女性は、選んでいただけて嬉しいだとか、精一杯頑張りますだとか、最上級のおもてなしをだとか輝かしい言葉を口にしている。
しかし、リーリエも慣れているのだろう肥えた女性の話を軽くあしらった。
肥えた女性がいると登りにくくなるからか、受付の若い女性と少年たちとトオルたちだけで階段を登り、一番奥の部屋につく。
「ご準備していたお部屋は二つでよろしかったですか」
「ああ、ありがとう。荷物を置いたら精算しにいくよ」
メリドの宿は、未払いや帰ってこないことが多々あるので先払いが常識だった。トオルでも知っている。
「いえ、滅相もありません。リーリエ様からお代をいただくなんて」
「そう言わないでくれ。今後も利用したいし、次回も気が楽な状態でいたいんだ」
「勿体なきお言葉です。出すぎた真似でした」
「気持ちだけ受け取っておくよ。予約の際に伝えたが、昼食と夕食は外で食べてくる。朝だけ用意してもらえるからな?」
「もちろんでございます。おい、小僧共、粗相のないようにな」
受付の女性はそう言って何度も礼をしてから、一階へ降りていった。
「リーリエ、少年たちはいいよね」
「ああ、セネカもいいだろう?」
「もちろんです」
「私たちは用事があるから戻っておいていいよ」
許可を得たトオルは少年たちにチップを握らせて返してやった。
「それじゃあ、こちらに私とトオルが泊まるから、セネカはもう一つの部屋で泊まってくれ」
「わかりました」
セネカは返事をし、少年たちから受け取った彼女の荷物を持って部屋に入っていった。
その背中をトオルは呆けて眺めていた。そういえば部屋は二つだった。
「どうした、トオル。入らないのかい?」
「入ります入ります」
トオルはリーリエと同室だと想定していなかったのである。考えてみれば当然だが、従者が主人から離れる方が可笑しいのだ。
屋敷にいる時より一層気を引き締めなければならない。下半身を見られたら終わりだ。悪魔の子であることは隠し通さねば。
気合をいれているトオルにリーリエが話しかけた。
「セネカには人騎の中で話したのだが、この宿には浴槽がないのだ」
「部屋にシャワーはあるみたいでよかったですね」
「いいや、ここじゃなくて近くの公衆浴場で入るよ。私はそれを楽しみにしていたんだ」
嬉しそうに話すリーリエとは対照的に、トオルは顔を青くし、背には悪寒が走っていた。