四話-ハイフの支配者
ハイフのメインストリートと居住区の間にトオルとステラはやってきた。
「今日は果実が安いよ」
「フォルドアの布が入っているよ。値は張るがいい品だ。神様のお膝元だって、滅多にお目に掛かれないぜ」
四方八方から客寄せの声が聞こえる。明るい活気に包まれていた。
三階建ての木造家屋が数棟、規則正しく並んでいる。左右合わせて十二棟、それがハイフの住人向けの商店だ。
スラム街は木造建築が多いが、トオルから見て前時代的と思うほどではなかった。
どういう原理かはわからないが、照明器具や建築器具が存在している。男性でも使えるので、加護によるものではないのは確かだ。もちろん、電気でもない。
普及率はそれなりで、スラムでは上層、それ以外では一般家庭に生活器具があるらしい。
「本当にこんな所でいいのでしょうか?」
トオルの前を歩くステラが、振り向いて小声で尋ねた。スラムの安い店でいいのか、と言いたいのだろう。
「ああ。ここがいいんだ。それと、その口調はいただけないな」
「すみ、いえ、わかりました」
ステラは前を向き、トオルを気にせず歩を進める。
彼女は長身で、姿勢正しい。歩いているだけで美しく存在感がある。だから、周囲の人間が気づくのもすぐだった。
店の前いた人間はハイフの支配者であるステラの存在に気づき、息を潜めるように静まり返る。店の中にいた人々も異変を察知し、気づき始める。
それでも気づかない者もいる。ステラが歩を止めた服屋の店先で、男が女の髪を掴んでいた。客寄せの声で聞こえていなかっただけで、ずっとやっていたのだろう。
「何、生意気言ってんだよ、なあ!?」
男は容赦なく女の肩に拳を振るう。
女は顔を背けようとするが、髪を掴まれているため上手くいかず喚くだけだった。
女であっても、反撃しない。彼女には加護がないのだ。
ネメス神は女性を愛してはいるが、全ての女性ではない。女性に生まれたとしても加護を持たない女性も一定数いる。
それでも、社会的地位は低くない。順番に、加護のある女性、加護のない女性、男性、両性具有となる。
順列で見れば加護のない女性の方が男性よりも上ではあるが、この二つは限りなく近い。なら、上下を決めるのは力だった。
けれど、迫害されている男性と違って、女性であれば女性からは迫害を受ける事はない。それなりの稼ぎがあれば加護のない女性でもスラム以外で普通に暮らしていけるし、加護のない女性を対象とする保護団体があるにはある。腕っぷしで敵わなくても対策する方法はあるのだ。
ただ、スラムにいるような低所得者では難しい。
ネメスでは教育を受けられるのは一定以上の税を納められる家庭の子供のみだ。教育を受けない者が公的サービスを把握しきることは不可能だった。元々保護団体の数が少なく、存在すら知らないから頼る知恵もない。
稼ぐ能力もなく、知恵もない。そういった女性は男性の腕力に敵わず食い物にされる。
そして、スラムでは日常茶飯事で、誰かが気に留める光景でもなかった。
「ここにする」
ステラはぶっきら棒に言って、服屋に入る。先ほど、女を殴っていた男はすぐに逃げ出した。
店にいた他の客もすぐさま店を出て行く。奥にいた店主も走ってきたが、ステラの前で止まった。
「い、いらっしゃいませ、ステラ様。本日はどういったご用件で?」
店主の女性が背を丸めて、卑屈な笑みを浮かべる。
そんな彼女を冷たく一瞥してから、ステラは口を開いた。
「私用だ。大事な取引で使う商品でな。私がこいつの服を見立てる」
「さようでございますか。何かお手伝いを」
「今のところは結構だ。用があれば呼ぶ」
ステラに邪険にされ、店主はすぐに店の奥に引っ込んだ。
見えなくなった隙に、ステラはトオルの顔色を窺った。一瞬の交差、それでもステラの不安をトオルは掴んだ。凛としている彼女がわざわざ目を合わせてきた時点でメッセージがあるのだ。
ステラ・ハイフは巷では氷の君と呼ばれている。捻ったネーミングではなく、ステラの愛想があまりにないからだ。
意識してではなく、素で愛想がない。トオルの前では嫌われぬよう努力している訳だ。それでも表情は薄く、声は低いし甘い声も出せない。
ステラ自身そのことを気にしていると、トオルは理解していたからその場で短く首肯し、ステラの不安を取り除く。君の態度は何も間違っていない。
ハイフの支配者としての振る舞いを望んだのは他ならぬトオルだ。公然の場で、不自然な関係はあまりに目立つ。
「これは。うん」
ステラは服をトオルの前にやり、首を捻る。
綺麗な彼女が眉を顰めて、自分の服を悩む様はトオルにとって面白いことだった。
ハイフの支配者になるには、冷酷でいる必要がある。特にステラは群れるタイプじゃない。残酷な行いも眉一つ動かさないと評判だった。敵には容赦せず、ハイフを守り続けている。
敵にも味方にも笑みすら零さないのだから、恐れられるのは自然だ。
常に闘争に身を置いてきたステラが甲斐甲斐しく真剣に他人の服を選んでいるのだ。ほんとうにキスの魔力は恐ろしい。
トオルがほくそ笑むと、ステラの目が細まる。ステラは手に持っていた服を放り投げ、店の外に出た。
次いで、轟音。思わず肩が上がるような異音に、トオルは身を竦ませる。
音の発生源は店の前だ。そこは氷で覆われており、よく見ると大きな礫が凍っている。
何故かは考えるまでもない。
ハイフの支配者を狙った暗殺だろう。次の座を狙っている者か、他のスラム地区の仕業かは定かではないが、ステラは多くの人間に狙われている。スラムではネメスの法はまともに機能しない。殺しはあまりに見慣れた風景だった。
だから、トオルはステラの商品に成り切っていた。あの氷の君が少しでも甘い雰囲気を出せば、普段のギャップで気づかれてしまう。そうなれば人質に取られるのは間違いないし、他にも不都合がある。
「やっぱりか」
トオルは小さく呟く。
以前から考えていたことだ。やはりハイフでは平穏は得られない。そもそも、キスの魔力がいつまで続くかも定かではないのだ。
ネメス以外、他の神の住む地に移住するか、せめて刺されない場所に住む必要がある。どちらにせよ金だ。
職を得て、富を築く。ネメスでは止まってはいられない。備えないと。
「戻りました。驚かせてすみません」
ステラは店の奥で、トオルを抱き寄せ囁く。
注意したいところだったが、襲撃騒ぎで人がよりいなくなったから好しとすることにした。見られても大事な商品を抱きしめている風に見えるだろう。
それに、今のトオルの姿は意味を成さない。
「大丈夫だよ、ステラ。ありがとう」
ステラはうっとりとした息を吐き出した。表情の変化は乏しいものの、呼吸はわかりやすい。もちろん、至近距離にいなければ気づけないのだが。
「私、強くなったみたいです。あんなもの簡単に止められるようになるなんて」
ステラは自分の手を眺めて、放心していた。
そんなものに付き合ってはいられない。一緒にいるだけでリスクがあるのだ。すぐに済ませないと。
「ほら、ステラ。ボクを素敵にしてくれるんだろう?」
「は、はい。すぐに見立てますね」
「今日も夜まで楽しもう。そうだ、君の選んだ服を着ようか?」
ステラは顔色を変えないまま、大きく首を縦に振った。