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騙してキスして蕩かして  作者: 真杉圭
一章-プロローグ
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三十八話-苛立ちと前進


 トオルは苛立っていた。もちろん、リーリエにである。彼は主人の考えが理解できなかった。

 スラム出身の使用人のため、ならまだわかる。毎日顔を合わせ情が芽生える、不思議な流れではない。だが、それすらネメスでは珍しい。加護の有無や出自での区別が当然だ。

 なのに、リーリエは使用人の弟のために危ない橋を渡ろうとしている。

 彼女はこう言ったのだ。


「私はその弟の顔を知っている」


 口ぶりから察するに、大した交流もないはずだ。なのに、である。

 今命を拾ったって、数日後には刺されているかもしれない。スラムはそういう所だ。追い詰められた人々はまともな社会性を維持できない。食うに困り、思考がぼやける。それが永遠と続けばどうなるか、トオルは身をもって経験している。


「ふう」


 息を吐いて苛立ちを消す。過ぎた事を言っても仕方ない。今、自分がすべき事をしなければ。

 トオルはクロたちの家に戻り、弟は仲間が探しに行っているとクロとニクルを宥め、無事にハイフにあるステラの屋敷に彼女らを送り届けた。

 変装だけ済ませリーリエを追うために、ランクラーにとんぼ返しようとする。

 門の前で人騎を展開させようとした時、屋敷の扉が開いた。


「トオル様、本当に行かれるのですか?」

「ああ。雇い主がいるからな」

「そうですか」


 ステラは一瞬目を伏せ、トオルの元に駆け寄った。そして、トオルの腰を持って浮かし、彼に口づけをした。

 抵抗せずトオルは受け入れる。身長の高いステラから抱きかかえられてまでキスされたことは一度もなかった。

 どうしてかなどと悩む必要はない。トオルでは万が一があり得ると理解しているからだ。神旗を持つリーリエと違って、トオルはスラムの小競り合いに巻きこまれて絶対に無事に帰れるという保証はない。

 ステラの心配は痛いほどわかる。その想いを向けてくれるだけでトオルは気が軽くなった。

 

「じゃあ、行ってくるよ」


 人騎で空を駆けトオルがクロたちの家の周辺に戻ってくると、既にその周辺も襲われていた。

 流石に空を飛んでいれば襲われることもなく、無事にランクラーとラッドの境に到着した。もしかすると、女が人騎を使うと思っていないのかもしれない。女がこんな誤魔化しを使うはずがないと。

 物陰に着地し、変装はしていたが最後の仕上げにそこら辺にあったボロ布を纏い、泥で顔を汚し、髪をかき乱す。懐かしき男装だ。スラムにも加護を持つ女性はいる。都市部で犯罪に手を染めた者や気性の荒い者はスラムに流れ着き、用心棒のような仕事についていたりする。今回もいくらかはいた。が、数が少ないので目立つ。それは避けたいので男装だ。

 さらに青い布を巻き付けたままなので、ラッドの住民には襲われない。統率された群衆ではないので、自分の報酬に夢中なのだ。

 彼らは暴虐の果てに無抵抗になった女を気ままに犯していた。家の食材や酒を平らげている者もいる。隙だらけだが、今は彼女らを解放している暇はない。


 リーリエに至る手がかりもなければ、弟の姿も知らないトオルは闇雲に街を駆けるしかなかった。

 といっても、クロたちを送っている間、何の手立ても考えていなかったわけではない。

 リーリエは良くも悪くも目立つ。布で隠したって目立つ。青い布も無駄になるだろう。彼女のように綺麗な女なら、記憶に残るはずだ。

 だから、布を巻いていようとラッドの住民たちも覚えがないと、仲間でないと思われる。それ以前に、美しい存在を前に敵味方の区別などつけず襲い掛かりそうである。短絡的な人間が多いのだ。

 そして、ラッドに攫われたか暴行された少年を探すという目的上、厄介な場所も探さなくてはならない。どれほど危険な場所であってもだ。

 なので、必ず騒ぎ、もしくは戦闘になっているはずなのだが――。


「誰か来てくれ、とんだ暴れ馬がいやがる」

 

 トオルは慌てて、応援を呼ぶ男についていく。トオルの他に十人ほど集まっていた。あぶれたか、奪った玩具に飽きた奴らだろう。

 できるだけ低い声でトオルは言う。ここで女とバレたら元も子もない。


「何があった?」

「いきなり、荷台を破壊して商品を担いでいった野郎がいるんだよ」

「ということは女か」


 警備されているはずの荷台を破壊するなんて芸当ができるのは加護を持つ女だけだ。


「ああ、剣だけなんだが、滅茶苦茶強え。でも、一級品なんで傷つけずにいただきたいってわけだ」

「へえ、そんなにかい」

「そうだぜ。女神の生まれ変わりかもな」


 ガハハ、と汚い笑い声をあげる男に倣ってトオルも笑う。どうやら当たりらしい。


「安心しろ。手伝ってくれりゃあスラムを抜けるのも夢じゃねえ商品だ。報酬はもちろん、そいつで遊ぶのも自由さ」

「こんな肥溜めとっと出たいな」

「ハハハ、子守歌を今聞くなんてな」


 肥溜めとはスラムにいる人々が自分たちの居場所を揶揄する言葉だった。

 スラムでは誰もが呪詛として紡ぐ言葉。

 でも、大人になるにつれ周囲に喚き散らすようなことはしなくなる。そんなことをしても疲れるだけだからだ。だから言わない。けれど、ふとした時に漏れているから、次世代にも子守唄として伝わってしまう。

 もし子守唄を聞かずとも、スラムの現実を見ればそれはいつしか自分の胸から生じるようになる。何が何でもそう思ってしまうような環境がスラムという場所だ。そういうものだった。ああ、くそったれ。

 トオルは男を嫌悪しない。同情もしない。自分も同等の汚さだし、彼らのチャンスを潰すことも理解している。そんなことで感傷に浸ることはもうできなくなっていた。

 

「待たせたな、つれてきたぜ」


 そこには案の定リーリエがいた。ニクルたちの弟らしき人物が彼女の足元に転がっていた。一人ならいつでも抜けれるが、神旗なしでアレを担いで逃げるのは難しいというところだろう。

 リーリエには、外傷はない。それでも、疲労は溜まっているようだった。

 男たちもバカではない。リーリエを狙わず、子供を狙っている。端から削るつもりで戦っているのだ。


「そろそろ学べ。貴様らでは私を倒せないと」

「だろうな。だが、所詮は一人。全員で一斉に襲われればどうすることもできまい」


 トオルを連れてきた男が雄たけびを上げる。すると、リーリエがこれまで倒してきた男たちが立ち上がった。トオルたちも含め総勢で三十人はいよう。どうやら、リーリエは加減していたらしい。それを見て、司令塔らしい男がこの作戦を考えたのだろう。

 できるだけ体力を温存しつつリーリエの足止めをし、司令塔が人数を集めたら一斉に襲うという作戦だったのだ。

 甘さが首を絞めたのだ。

 リーリエににじり寄りながらも、トオルは司令塔の男に近づく。が、その前にあることを察知して、彼女は後方に飛んだ。

 神の力が展開される。と同時に何かしらの攻撃が行われ、八割の男たちが地にたたきつけられた。

 一瞬の出来事だった。トオルも何があったかすらわからない。まさに神の威光としか言えない一撃。

 まさか、男たちも神旗を温存しているとは考えていなかったようで、初撃から逃れた数人が逃げようとする。

 リーリエも追わない。が、トオルは逃げた男たちを装って付いていく。万が一にもリーリエに悟られないようフードを深くかぶって。


「何なんだよ、あれ」

「騎士が小競り合いに来たのか?」

「いや、あれは騎士じゃないだろ」

「じゃあ誰が」


 追ってこないとわかったのか男たちは路地で立ち止まって息を整えつつ話し始めた。

 彼らの動揺は仕方ない。

 神旗が出てきたのだ。スラムではお目に掛かれない現象である。

 さらにこれから追加の驚きが待っているのだが。

 

「――」


 トオルは自己を変革させる音を発声した。彼はそうすることで速さを手に入れる。人の数倍の移動速度で男たちの命を摘み取っていく。

 そう、トオルが手にしているキス以外の能力は加速だった。これもどういう原理かわからないが、周囲との流れている時間が変わるのだ。

 デメリットもあって、使う時間が長いほど躰が軋む。血が出るわけではないが、並の痛みではなかった。例えるなら、腕がスローモーションでひき肉されていくような痛みだ。

 なので、使う時はどうしようもない時だ。今や、セネカとの対戦のような。

 加速を用いれば逃げるのは難しくない。既にクロたちの弟は助けられる。であれば加速を使う理由はない。 

 なのに、加速を使う理由は単純。目撃者を生かすわけにはいかないからだ。

 初めに気絶していればまだしも、リーリエの顔を見て神旗まで見られたら生きては帰せない。雇い主に問題が生じてはトオルが困る。

 流れるように逃げた男たちを殺す。

 ものの数秒であったが、後片付けは完了した。神の力は三十人はいた男たちをほとんど倒した神の力には遠く及ばない。だが、加護を持たぬ者には十分だった。

 トオルは加速状態を解除して血まみれのボロ布を捨て髪を整え、苦悶の表情を隠すために手で口を覆い、リーリエの元に駆けつける。


「大丈夫ですか?」 

「トオルなのか、クロとニクルは――」

「安心してください。無事に送り届けました」


 トオルはすぐに弟を担いで進み始めた。リーリエも遅れて後を追う。

 行きのようにトオルだけ人騎を使うことはできない。リーリエの神旗を見せてはゲームオーバーだ。せっかく目撃者を消した意味がない。

 神旗を見られれば、正体が露見してしまいトオルはまた目撃者を消さなければならない。しかし、そんなことを一々していられない。

 かといってトオル一人だけ逃げるわけにもいかない。


「騎車が使える場所まで移動できれば」

「いや、待ってくれ。無理を承知で訊くが、トオルの人騎で移動はできないか?」

「できません。一人なら大丈夫でしょうけど、二人となると。片手ずつだとぶら下がる状態になりますし」

「大丈夫だ。弟の方に集中してくれればいい」

「というと?」

「弟の方を君が抱え、私は君の足を握る。神旗を限定展開してしがみつくんだ。そうすれば握力も持つだろう」


 リスクはあるもののそれは悪くないアイデアだった。陸路を進むのも危険性は変わりないだろう。

 神旗も人騎も展開する部分を制限できる。穴を掘る作業に飛行能力はいらないので畳むという風だ。部分的だけ力を振るうことが出来る。

 知ってはいたが、日常的に使うことがないのでトオルにはない発想だった。

 

「じゃあ、展開しますよ」


 人騎をまとったトオルはまず弟を右腕で抱きかかえた。リーリエはトオルの左足を掴んでいる

 元は資材運搬のために作られたモノが人騎だ。人間の体重では重量の問題はほとんどないので、移動スピードは変わらない。

 トオルは不安定な形でぶら下がっているリーリエを心配するも、風の影響を受けて揺られているにも関わらず彼女は、苦痛というより楽しそうな顔をしていた。トオルは人騎の力で軽減されているが、リーリエはそうではないはずだ。

 ほっそりとした体なのに、とトオルは頭をもだけながらも飛んだ。

 



 人騎で飛んだことにより襲われることもなく、クロとニクルの弟を送り届けることができた。

 トオルとリーリエはステラの屋敷には長居せず、騎車で帰路についた。

 行きのように操る人間がいないのでトオルが担当し、リーリエには荷台で待機してもらっている。

 トオルはリーリエの無茶な行動に不満はあったものの、結果が最上に近いものだったので気にしていない。

 当初の目的であるクロとニクルの救出はリーリエの願いで絶対条件だった。しかし、トオルとしてはもう一つ望んでいたことがあった。それはリーリエの神旗の使用である。

 これはあくまで、従者としての地位が脅かされずにできたらいいなというような要望であったが、うまく事が運んだおかげで達成された。

 神旗の性能はハッキリいってわからない。トオルの目的はそこではないのだ。対峙するなど最悪のケースである。リーリエの戦闘能力を知ることは必要ではない。勝てない相手の強さを測ってどうなる。

 リーリエが使うことで誓約を守らなければならない、という状況をトオルは望んでいた。

 神旗を使用するには神と交わした誓約を守る必要がある。神旗を使うと何かをするというものらしく、それは神旗を持っている者全てに共通していることだった。セネカもリーリエも例外はない。

 その条件は各々違うのだが、リーリエの誓約をトオルは知らなかった。

 神旗を使うたび、誓約を一定時間内に守らなければ神旗を所有する権利を失ってしまう。なので、必ず行わなくてはならない。そして、秘密にすべきことだった。

 誓約の条件さえ知れば、神旗を放棄させる手立てを打てるからである。

 なので、誓約を知るのは深い関係でないといけない。

 教えてもらえれば関係が深まった証拠であるし、教えられなくても条件を探る機会を得れる。条件を知るのは切り札になる可能性が高い。

 大仕事を終えたばかりだったが、トオルにとってはこれからの方が重要だった。

 今までは維持のためで、これからは前進のためだ。


「トオル?」

「何でしょう?」

「いや、晩御飯を外で食べようって言ったんだ。これから用意するのは疲れるしね」


 好機に考えを巡らせていたせいで、うわの空になっていたらしい。

 トオルはそのことを自覚して、あえて笑顔を作り気を引き締めた。


「わかりました。じゃあ、町に寄りますね」

「ああ、そうしてくれ」


 食事を済ませ屋敷に帰宅する。

 誓約がどういうものかあまり知らないトオルはリーリエの一挙手一投足を見過ごさないつもりだった。

 だが、食事中はもちろん、帰宅してから談笑し、湯あみをした後リーリエは自室に戻ってしまった。

 どこにも変わった様子がない。

 自室に逃げられては覗きようがなかったが、トオルには策があった。

 マッサージである。

 リーリエのことだ、自分からの申し出なら断るまい。今日はとことん揉み解して秘密を晒してもらおう。

 そんなことを考えているせいで、トオルの唇は汚らしく吊り上がっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 山場は超えて、プロローグも終わりに向かっている感じですね。 スラムの少し仄暗い描写といいトオルの少し擦れた? 荒んだ? 心の描写が凄いからみついてくる感じがして良いと思いました。 スラム…
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