三十一話-クレープ
トオルとパルレは何度か食事を共にした。
パルレは学園でトオルの姿を見れば、手を振ってくれる。
既にすっかり懐てくれていた。毎日、欠かさず話している。
トオルは仕掛けるつもりで、その日の午後パルレをクレープ屋に誘った。オススメの店があると。
クレープはパルレの好物だった。これまでの間に好みの食べ物はリサーチ済みである。
そのため、パルレは二つ返事で承諾した。
が、その後トオルは頭を押さえた。
「ごめん。そのお店なんだけど、スラムにあるんだ。いいかな?」
「ああ、はい。大丈夫です」
トオルが忘れた振りをして言ったことに気づかず、パルレは笑っていた。
都合よくリーリエに予定があったため、トオルは気兼ねなくパルレと待ち合わせた。
学園から一番近いスラムはハイフで、クレープ屋はそのハイフにあった。
徒歩で三十分ほどという距離だ。
不思議な話だが、ネメスの食文化はトオルが日本にいた頃と同じものや似たものが多くある。異世界経験がないのでそんなものか、とそこまで気にはしていない。
ハイフの歓楽街に入ろうという時に、パルレが声を上げた。
「あの、手を繋いでもらってもいいですか?」
トオルは返事の代わりにパルレの手を繋いだ。
「ありがとうございます。その、変ですよね。武官の家の娘がこんな風で」
「そんなことないよ。そもそも、家が武官が多いからってパルレがそうなる必要はないんだから」
「それもそうですね」
パルレはそう言った後、キョロキョロ辺りを見て何かを確認した。
トオルの後ろを歩いているので、子供を引き連れているようにも見える。
パルレ・シュッフ、彼女は何が好きで、何が苦手で、何を引きずっているか。トオルは一つ一つ、掘り起こしていた。当然、パルレ本人だけでなく、他の生徒からも仕入れている。武官の娘が大して強くない事を気にしているのは一目瞭然だった。コンプレックスを甘く撫でてやれば気を許すのはすぐだった。
「私は甘やかされてきたんです。末っ子だからなんですけど、母も姉も武官になれって強制されませんでした。向いてはいないとは思いますが、一通り訓練は受けているんですよ。これでもね」
パルレは手を繋いでいない方の手で力こぶを作った。
制服を着ているので、全くわからなかったのだがトオルは黙っておいた。
「それでも文官になりたいと思って、私の家があるイリツタの学校ではなくバイルに来たんです」
「バイルは文武両道だもんね」
トオルはネメスに四つの地区があり、そこに一つずつ中高一貫の学園と呼ばれる教育施設がある事は知っていた。が、学園に特色があることは知らなかった。
スラムに住む人々には学園など夢のまた夢なのだ。知る由もない。
なので、相槌はその場しのぎのものであった。嘘のつきすぎて、麻痺している。
「そうなんです。それで寮暮らしをしているのですが、初めて家を離れて友達もできなくて」
「私がいるじゃない?」
「それはそうですけど」
パルレは唇を尖らせて言うので、ほとんど聞き取れない声量だった。
どうにか拾えたのは人通りが少なかったからだろう。
「最近ですからね、トオルさんと出会ったのは。バイル学園唯一の知り合いであるセネカは久しぶり会ったら別人のようになっていて」
「ふうん」
トオルは返事をしながら、すれ違ったステラにウインクをした。後ろを歩いているパルレには見えない。
ステラは歩きながら神妙に頷いて、トオルの合図に気づいたと示す。もう、スラムに入っている。仕掛けると決めたのだ。中途半端には済ませない。
「トオルさん?」
トオルが思わず力んだせいで、パルレが首を傾げた。
「何でもないよ」
トオルは笑みを模ってやり過ごす。
自分で立案したこととはいえ、これからすることは言語道断の策だ。
だが、それでも止まらない。
それに今更と言えよう。とっくに人を何人も操っているのだから。
クレープ屋はスラムとはいえ歓楽街にあるため、内装も外装も小洒落たものだった。
カウンタータイプのイートインスペースが六席あって、ちょうど二つ空いていた。
トオルとパルレはそこに座り、クレープを食べる。
店の評判はトオルの嘘ではなく、本当に人気があった。
トオルが頼んだクレープは甘酸っぱいベリーとほとんど甘くない生クリームがメインだった。そこも美味しいのだが、生地が滑らかで舌触りがいい。人気が出るのも頷ける。彼は美味しさからハイペースで食べてしまい、あっという間に平らげてしまった。
一方、パルレはまだ半分ほど残っていた。遅いが丁寧に食べていて、口元にチョコレートや生クリームがついているということはない。彼女は口が小さく、食べ方が上品だった。良家の娘ということはある。
トオルは男だった頃の感覚もあって、ガツガツと食べてしまう。作法は身についても、細かい所の修正は中々できない。
「あの、何か変ですか?」
「可愛いだけだね」
トオルがそんなことを言うと、パルレはサッと顔をクレープで隠した。
半分も減ったクレープでは、いくらパルレの顔が小さくても完全に隠すことはできない。
「トオルさんって私が今読んでいる小説の登場人物みたいです」
「どんな小説なの?」
トオルにとって普通の質問つもりだったが、パルレは明らかに動揺していた。
意地悪して無理に聞き出す気にはなれない。計画の方が重要だ。さっさと済ませたい。トオルはこのまま違う話題に変えようとしたが、その前にパルレが呟いた。
「恋愛小説です」
「へえ、読んだことないな。でも、流行っているもんな」
小説はバイル学園でというより、女性に人気があった。
その理由をトオルも理解している。
恋愛小説で描かれるのは女性同士の恋だ。日本にいた頃の同性愛とは話が変わってくる。
ネメスでは神様に許可された人間しか、女性同士で子を成せない。そして、許可を得ていない女性は女性と恋をすることが許されず破れば加護を失うという。
故に、同性愛は神聖なものでありながら、大半の女性は女性と添い遂げることができない。そのことを理解しているからこそ、物語にという媒体で届き得ぬ恋を経験するのだ。
「そうですね。小説を読めない人は芝居を見たり」
「娯楽の王道だからな」
「はい」
パルレはクレープを二口食べた後、トオルと目を合わせた。
「トオルさんはその、スラムによく来られるんですか?」
「そんなことはないよ。ほら、リーリエの従者だから基本的に自由に動けないんだ」
「そうでしたか」
「何かスラムに用でもあった?」
「ええと」
パルレは口元に運んでいたクレープを離して、唇を口の中に入れた。
「スラムで遊んだりするのかなって」
「ああ」
トオルはそう言い、少し黙った。
パルレが言わんとすることはわかっている。
スラムで男を買っているのか、ということだ。
女性同士で子を成せない女性は、男を買うことで子を儲ける。そういうことに慣れるためという口実で、学園の生徒がスラムの男を買っていることは公然の事実だ。
男を馬鹿にして遊ぶだけではないのである。
「ごめんなさい」
トオルが答える前に、パルレが謝った。
「私の恋愛観が夢見がちなんです。だから、男性を怖がっているのかもしれません。いつかは、その、好きな相手と結ばれるんだって考えているから」
パルレの夢見がちという自己評価は誤りではない。
前提としてこのネメスという国では男性に人としての価値は低い。もはや家畜のような扱いを受けている。おおよそ、女性と同じ『人』としての価値はない。
理由は力の差だ。加護という超能力を女性にしか神様は授けない。そのため、男性では女性には敵わない。女性が圧倒的優位に立っている。
それ故に、女性は男性に惹かれない。神様に許可を得れば、女性同士でも子を成せるためなおさらだ。見下している相手よりも、同等以上の価値のある人間を選ぶのは道理である。
だが、大半の女性は男性と子を成すことを余儀なくされる。女性同士で子を成すには神様に認められなければならない。神様の許可をもらえるのはごく一握りで、そうでない女性は男性と結ばれる必要があるからだ。
日本と違い貴族制が残っている世界では、子を成さないということは信じられない行為だった。
つまり、普段下に見ている男に頼らないといけない。
多くの女性はその現実を受け入れ適用する。スラムに遊びに来る生徒などがいい例だ。家畜との新たな遊びを覚えるだけと割り切るのである。
それが出来ないからパルレは夢見がちと口にしたのだ。
多くの女性が割り切って遊んだとしても、女性同士で結ばれることは特別視される。
ネメスでは女性が女性を好きになるのはごくごく自然なことだった。見下している相手に恋愛感情を抱くことはあまりない。
女性同士と結ばれるという事は、好きな相手と結ばれるとイコールに近いのである。そして、それは困難なものだった。
神様の許可を得ずに子を成すことはできない。それだけでなら、子を成せないことを承知で女性同士愛し合う人が多数いただろう。
そうならないのは、許可を得ていない状態で女性同士が愛し合うと加護を剥奪されるというからだ。
力を失うことになるので、許可がない限り女性同士愛し合うことはしないのが通説になっている。
女性同士で結ばれるというのは困難だから特別視されているのだ。
もちろん特別視するのは困難さだけではない。好きな人と結ばれる喜びだけでなく、神様に認められたという名誉も得られるのだから憧れになるのも無理はない。
もちろん、中には女性よりも男性が好きという女性もいるだろう。しかし、女性と男性の格差があり女性同士で子を成せる環境では、女性よりも男性を好む女性の出現は少ない。
パルレの悩みは女性なら誰しもが持つものだ。
が、それでも折り合いをつけるのだ。子を成さないというのは白い目を向けられる。
子がいなければ、今まで受け継いできた加護も失ってしまうことになるからだ。それは神様に対する冒涜と考える人もいるらしい。
だからこそ、パルレは悩んでいるのだ。
そんなパルレのことをトオルは羨ましいと思った。
「好きな相手と結ばれるんだって考えているから」
この発言が夢見がちだということは否定しない。それでも羨ましい。
トオルは誰かに対してそこまでの情熱を持てたことがなかった。だからこそ、ニートになっていたのかもしれないと彼は思った。何となく生きて、どうにかなる。そんな生き方をしていたからだと。
なので、トオルにはパルレにかける言葉がなかった。
何よりパルレ自身が、置かれている状況を理解しているのだ。現実は見えているけれど、受け入れられないだけで。
そんな彼女をトオルはこれから卑劣な方法で落そうとしていた。
「ごめんなさい。困らせてしまいましたね」
パルレの謝罪に、トオルは首を横に振った。
しかし、元の話題に戻すこともできない。できるのは話題を変えることだった。
「気になったんだけど、パルレが読んでいる恋愛小説ってどんな内容なの?」
「られない系ですね。られない系に共通した特徴ですけど、平民の物語が大半です」
「られない系?」
「あ、恋愛小説の傾向みたいなものです。神様から認められて恋をしているか、られていないかという風に分けられるんです。書店ではられる系、られない系という感じで省略されていて」
「へえ。他には何たら系あるの?」
「神話系です。神様を主人公にしたものですね。もちろん、創作物ですよ。史実ではありません」
「でも、それってネメス神とってことだよね」
「そうなります。一応、五人の神の誰が主人公でもいいのですが、ネメスではやはりネメス様のものが人気ですね」
何でもない風にパルレが頷くので、トオルは面食らった。
「その、られない系と神話系って出版していいの?」
「小説大賞を神様が選ぶくらいですからね。られる系とられない系、神話系の作品を神様が毎年一作ずつ表彰していますよ」
まさかの黙認ではなく、公認だった。神様の寛容さにトオルは笑いそうになる。もちろん、笑うような真似はしない。そんなことをすればネメスの人々は烈火のごとく怒り狂う。触れてはならぬポイントだ。宗教問題には関わらないのが吉である。
「小説には疎くてさ。られない系ってネメス神に認められていない女性同士が恋をする物語なんだよね?」
「ああ、トオルさんの言いたい事がわかりました。許可のない同性愛が罰の対象になるのに、どうして物語で許されているのかってことですよね」
「そういうこと。罰するのに推奨するような真似って変じゃないか?」
「必ずしも罰するわけじゃないからです」
トオルは口をあんぐりと開けてしまった。そんな話を聞いたことがなかったからである。
彼の知識が誤りということになる。とすれば、キスのハードルが下がるのでは?
「一般的に知られていませんからね。というのも、同性愛のせいで罰せられた基準がわからないからなんです。神様は急がしいし、力に限りがあります。ですから、全ての基準を教えていられない。そこで私たちネメスの国民は過去の罰を覚え、同じことをしないようにするのです。女性同士で恋愛をしたことに対する罰は結構あって、加護の剥奪から貴族の爵位を取り上げる場合など多岐に渡ります」
パルレは淡々とした口調だった。神様から罰を与えられたら、悪い事をしたのは自分と考えるのがネメスの国民だ。神様が絶対であるネメスの国民は、神様が誤りを犯すなど考えない。神様が万能でないと理解していても、崇めることを止めない。
DVする人が神様で、される人がネメスの国民のようだとトオルは思った。されている方は疑うということができないのである。
どうして、神様の機嫌を窺って生きなければならないのだ? 前世から信心深くない人間だからこその思考回路だ。
「じゃあ、許可を得ずに女性同士で恋愛しても問題ないのか?」
「わからないというのが回答になります。それに許可というのも少し違うと私は思うんです。だって、神様は認めた人に女性でも子を成せるように力を宿してくれるので、与えていただくという方が私的にはしっくりきますね」
「全員に与えたらいいのに」
「無理です。知っての通り、神様の力には限りがありますからね」
知っての通りと言われたが、トオルは知らなかった。
スラムにいたことをよく認識させられる。所詮、満足な教育を受けていないのだ、と。
世界の常識すら教えてもらえなかったのだ。
結局、キスのハードルはそこまで変わらない。加護を取り上げられなくても、神様から罰されるだけでネメスの人々には致命的だ。
トオルは一つ息を吸い、心を落ち着かせてから話しかけた。
「驚いたよ。パルレは恋愛の先生だな」
「いいえ、これは家のせいみたいなものなので」
貴族だから厳しくルールを教えられたということだろう、とトオルは納得した。
「さっき言っていたけど、られない系の主人公が平民ってどういうこと?」
「実際に平民の子は許可を得ずに女性同士で恋愛することがあるからだそうです」
「本当?」
「はい。もちろん、大っぴらには言えませんよ。一応、過去に罰せられたことを繰り返しているのですから」
「だから、世間話にも出てこないって訳か」
「そうです。質問に戻りますけど、主人公が平民なのは、そうでないとあり得ないからです。貴族の子は女性に恋をしても、思いを伝えるようなことはできません」
「どうして?」
「貴族は爵位があるからです。過去に女性同士で愛し合い、爵位を取り上げられたことがあったんです。貴族は子を残し爵位を継がせ、強い子を育むことが役割です。ですから、その役割を全うできなくなる可能性を、貴族はしないわけです」
「平民は家を気にする心配がないからすることもあるってことか」
「そういうことです」
恐らく常識レベルの質問ばかりされているにもかかわらず、パルレはニコニコしていた。
「もう少し話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「は、はい」
「じゃあ、飲み物でも買ってくるよ」
トオルはクレープ屋の店主に注文しながら、メモ帳にこう書いた。
「もう少し時間が掛かる」
店主はそれを見て、かしこまりました、と返事をした。
パルレの悩みを聞こうが、楽しく話そうが決意は揺らがない。
既に彼女はトオルに弄ばれる手前だった。
今までの文字数だと何百と続いてしまうので、これから一話あたり六千字前後にしようと考えています。読みにくければお声掛けください。