三十話-ランチ
トオルは休日にパルレとランチの約束を取り付けた。
誘えば乗ってくれたので、苦労することもなかった。ただ誘うだけ。前世であれば、それが苦労する源だったのだが、いつの間にか抵抗なくできるようになっていた。慣れとは恐ろしい。
よって、気負うことなく今日を迎えた。新しく買った私服に着替える。姿見に映る自分の姿を見て、トオルはため息をついた。
「まったくまあ、綺麗なもんだ」
ピンク色のシャツに膝丈の白いスカートという恰好だ。
少し化粧もしている。
元がいいとはいえ、化粧をしているのとしていないのとでは顔の主張の仕方が違った。
目立たせたいところは目立たせ、隠したいところを隠す。そのようにして自分の顔を管理することができる、という感覚は男性であった頃になかったものだった。
それはとても楽しいものであった。
今までこの楽しみを知らずに、トオルは生きていたのだ。
「うわあ、きれー」
廊下ですれ違ったニクルに褒められ、トオルははにかんだ。
「ありがとう。嬉しいよ。この前、ニクルにこういう雰囲気が似合うって言われたから買ってみたんだ」
スラムにいた頃は相手に合わせていたが、彼女らはあくまでスラムの人々だ。学園での流行りとは違ったセンスをしている。
その点、ニクルは詳しかった。リーリエの使用人をして長くお洒落を好み、町で買い物などで流行りを目にしている。トオルよりもセンスがいいため、彼女の見立てを全面的に取り入れてみたのだ。
「はい。お似合いです」
「今度、一緒に見に行こう。ニクルは目がしっかりしているからね」
「そんな」
ニクルと話しながら外に向かう。その途中、クロを見かけた。一階の廊下でリーリエに頭を下げている。何か粗相をして謝っているという雰囲気ではない。感謝しているように見えた。
話が続くようだったので、トオルは二人に挨拶をせずに出て行った。
待ち合わせ場所はバイル学園の校門だった。
リーリエの屋敷からバイル学園まで徒歩で二十分ほどかかる。
約束していた十分前につく時間にトオルは屋敷を出たのだが、既にパルレは校門にいた。
「ごめん、待たせたね」
「いえ、私は学園の寮に住んでいるので」
「そうだったんだ」
「はい」
「パルレ、可愛いね」
「へ?」
パルレは上半身をのけぞらせた。
彼女は春物の灰色のロングコートを着ていて、トオルはその格好のことを褒めたのだった。
幼いのにシックな服装なのが背伸び感がある。
「トオルさんもお綺麗です」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さあ、どこに行こうか。パルレは何か食べたいものある?」
「何でもいいです」
バイル学園は町のほぼ中心にあるため、近くに飲食店はいくらでもあった。
が、トオルはどこにも行ったことがなかった。スラム生活の時はもちろん、従者になってからもニクルが料理を用意してくれているので外食をしないのである。昼もお弁当だ。
一番いいプランはパルレがエスコートしてくれることだったが、そうならないだろうとトオルは考えていた。
そのため、きちんと策は打ってある。
店に詳しいステラとエニティンから候補をいくつか聞いてきた。
今回は満足させることを目的としていない。パルレは貴族なので、下手に洒落た店では太刀打ちできないだろうからだ。
「いくつか調べてきたから、店を見て決めようか。恥ずかしながら、私も行ったことがないんだ」
「はい、お願いします」
トオルが先導する形で、店に向かう。
休日ということもあって、町は人の行き来が盛んだった。
道の両脇に二階建ての建物が立ち並んでいる。どれも似たような建物で、看板がなければなんの店かは判断しにくい。一軒一軒建てるのではなく、まとめて建てたせいだろう。
途中、道に出店が並んでいる区画を通る。混雑の度合いが増し、どう頑張っても人と肩がぶつかってしまう。
携帯もない世界ではぐれると厄介なので、攻略云々を考えずトオルはパルレの手を握った。
握ることで気付けたことがあった。歩いていて、パルレは時折強張ることがあったのだ。
トオルは手を握ることに緊張しているのだと初めは考えていたが、ある条件の時に手を強く握られるとわかった。
男だ。男とすれ違った時に、パルレは強張った。
人混みを抜けてから、トオルは路地に入り立ち止まった。
「パルレ、男性が苦手なの?」
「ええ、実は」
パルレは恥ずかしそうに頷いた。
「私の家はちょっと変わっていて屋敷に男性の使用人がいなかったんです。それで、その、慣れていなくて」
「へえ」
トオルは壁を見てそう言った。
あえて壁の方を向いていた。
彼は自覚していたのだ。自分の口端が邪悪に吊り上がっていることを。
「私が守るよ」
そんな台詞を吐いても、口端は直っていなかった。