ニ十五話-外堀
ニクルにマッサージをしてから、彼女との仲は一気に深まった。今では毎晩、マッサージをするために部屋を訪れる。
といってもマッサージは肩もみ程度で、話がメインになっていた。今もニクルのベッドに隣合って座って、彼女の話を聞いていた。拳が三つは入る距離。
ここまで詰めた。ニクルは隷属するためにスキルを磨く存在だ。奉仕に弱く、愛に飢えている。
「大きい虫が出て、お姉ちゃんびっくりしちゃって」
ニクルは楽しそうに今日あった事を話す。
トオルはニクルからリーリエの情報を収集するのは控えていた。あまり情報を持っていないようだったし、何より次の段階に差し障るかもしれない。
話すニクルは楽し気だ。姉と仕事をするだけで、他に会うのはリーリエだけ。主人と姉よりも話しやすい相手としてトオルが現れたのだ。元々丁重に扱われていたが、トオル個人が信用されるのとそうでないのとでは違うものだ。
心を開き懐いている。いい傾向だ。
トオルはそろそろ次の段階に移ることにした。
彼がニクルの頭を撫でると、ニクルはビクリと体を震わせた。
「ごめんね。可愛いからつい」
ついやってしまった、と白々しく謝り
「クロは幸せ者だな。ニクルが妹だったら僕は嬉しいんだけど」
ニクルが考えている間に、退路を狭める。一度、行動に移せば後は一気呵成にだ。力なき者こそ、時の運を掴まねば。
トオルはニクルをジッと見つめる。
ニクルは目が合うと、弾かれるように上を向き、次に顔を背け、眼球だけ動かしトオルを見上げ、目が合うとまた伏せた。
「お姉さま」
そして、震える声でそう言った。
姉妹とは一般的な表現では最上級の告白だ。これ以上はタブーとなる。許可なき同性愛は加護の剥奪の可能性があるからだ。その抜け道が姉妹であると言い張ることだ。姉妹だから腕を組むし、一緒に寝ることもある、と。あくまで恋人ではないのだ、と。
故に、血縁関係にない者を姉と認めるのは愛の告白を受けたと同義だった。
「ありがとう」
トオルは腰を浮かして、ニクルの真横に座る。
照れるニクルの顎をトオルは左手で上げ、右手で彼女の乱れた前髪を上げる。
そして、目を合わせながら唇を近づけていく。
ニクルは目に力を入れて大きく開けると、今度は強く閉めた。
トオルはほくそ笑んで、デコに口づけしすぐ離れた。
ニクルはパッと目を開け、トオルの顔を見る。その目には恥じらいと期待と失望の色があるように思える。
「ニクル」
名を呼んでから、トオルはニクルの唇を奪った。ただの勢いだ。
いけるとは感じたが、明確な勝算はない。百パーセント的中なんてものは端から諦めている。不可能だ。やらなくちゃわからない。
無理か?
ニクルの唇は堅かった。体も強張っている。頬も張っている。それでも押せ押せとトオルは小さく唇を吸ってから離した。
「ごめん」
あれだけの勢いでやっておきながら、トオルは項垂れた。反省ではなく、緩急をつけて入り込むためだ。
「私はいいんです。加護がないし、でもトオル様――」
「お姉さまって呼んでくれないの?」
「ごめんなさい、お姉さま」
ニクルはニッと笑った。
トオルも笑う。
加護を失う心配のない相手なら手は早い。タブーの意識が薄いからあっさり受け入れる。
もう一度、トオルは顔を寄せた。
ニクルは顔を赤らめながらも、目をそっと閉じ受け入れた。
トオルは短く口づけを切りあげ、ニクルの頭を抱く。綺麗なレイヤーボブの茶髪からは甘い香りが漂ってきた。仕事終わりにやってきて汗の匂いがしないということは香水でも振ってきたのだろう。そういうニクルの気づかいが可愛くて、トオルは耳にキスをし、一層強くけれど柔らかくニクルを抱きしめた。
こうして着々とリーリエの屋敷を支配していく。それがリーリエ攻略への近道だった。
屋敷での協力者を作ることから始めたのだ。
二クルと楽しんだ後、彼女はトオルのベッドで眠ってしまった。
頬を突ついても起きない。形を変える頬を堪能した後、喉の乾いたトオルは水差しに水を入れにキッチンへ向かった。
キッチンには明かりが灯っていた。強盗かもしれないと気を張りつつ、トオルはキッチンに入る。
「ああ、クロか」
「こんばんは、トオルさん」
綺麗に腰を折ってクロは挨拶をした。
背の高くスリムな彼女は、腰を折るだけで様になる。
「喉が乾いたんだ。水差しの水を飲み干してしまって」
「そうでしたか」
クロは少し驚いた様子だった。それもそうだろう。水差しに入っている水は寝る前に消費する量ではない。コップ五、六杯分はあるのだ。
運動をしていたし、一人分を二人で消費したから飲み干してしまったのだが、そのことは言えないのでトオルは笑って誤魔化す。
相手は二クルの姉のクロなのだ。なおさら言いにくい。
「入れますよ」
「大丈夫。自分でやるよ」
「あ、そうだ。まっさーじ、でしたっけ。ニクルがすごく喜んでいました。ありがとうございます」
「大したことじゃないよ。いつものお礼だ。クロにもしたいから時間があるときにでもまた」
「楽しみにしてます」
クロは口角を僅かに上げた。彼女はニクルのように柔らかい反応を示すことはない。ステラのような硬さはないが、落ち着いている。
これが姉と妹の違いなのだろうか。
初対面の時は双子の姉妹ということもあってよく似ていると思っていたが、よく見てみると差異は大きい。
背丈だけでなく、顔つきが違う。特に印象的なのが目尻だ。二クルは下がっているが、クロはほぼ平行となっている。
髪型も同じボブカットだが、クロの方が丸みがある。
そんな間違い探しをしていると、クロが会釈した。
「おやすみなさい」
「おやすみ、クロ」
クロもトオルには親切だが、やや距離がある。彼女に距離があるのではなく、ニクルが距離を詰めすぎとも言える。マッサージを楽しみにしていると言うが、あれは社交辞令に近い。その証拠にクロとは世間話までだ。
適切なのはクロの方だろう。
クロの方が世間慣れしているのだ。彼女を堕とすのは難しい、とトオルは判断していた。警戒心が強い相手は攻略しにくい。
幸い嫌われてはいないようだ。時間をかけねばならない、と考えていた。
次話は七月二十七日か二十八日に更新予定です。