ニ十四話-想像以上
午後の暖かな日差しに緩んだ空気。講義開始、十分前にも関わらず教室の前方に人だまりが出来ていた。
その中心にトオルがいた。彼が一人の生徒に話しかけると、他の生徒たちも寄ってきたのだ。依然として、トオルの注目度は高いままだ。
「それにして、みんなよく知っているね」
「リーリエ様は、イノ家の三姉妹の末っ子ですもの」
「末っ子でも一番優秀だって聞いたわよ?」
「そりゃあ、そうよ。そんなの分かり切った話じゃない」
屋敷でのリーリエの情報収集は芳しくなかった。ゼロではないが、決め手となる情報は一つもない。
ニクルから訊き出せたのは、リーリエが善人だと裏付ける証拠がいくつか増えただけだ。
そこで改めて、リーリエ・イノを知ろうとし始めたのである。よく考えれば、彼女の事をトオルはよく知らない。大神官の娘であるというぐらいだ。
「リーリエ様のお姉様ってどんな人だっけ?」
トオルはあえてフランクに言う。彼を囲むのは身分の高い者ばかりだが気を遣わない。お嬢様を装ったってボロが出るからだ。
リーリエの従者というだけで話しかけられる。口調を気に留める者はまずいない。
「長女のフィオーレ様も神官ですよ。えっと、次女の方は」
誰も答えられなかった。長女に比べ有名ではないのだろう。
「トオルさん、リーリエ様は家ではどうなの?」
トオルがリーリエの話題を振ったのだから、訊き返されるのは予期できた。
「学園とそう変わらないよ」
トオルの発言に嘘偽りはない。リーリエには表裏がほとんどなかった。
屋敷ではやや甘える傾向にあるが、あくまでややだ。
「流石、イノ家ね」
「家というより個人の資質だよ。近くにいれば凄みを痛感させられる」
一緒に暮らしていて、リーリエに悪しきものを見出せていない。研鑽を重ねながらも驕ることがなく親切な人。
権力者の娘という環境はもちろん大きな影響だが、それだけでこうなったとは思えなかった。どれだけ生育条件が良くても咲かない種はある。
「あら」
トオルを囲んでいた生徒たちが、示し合わせたように去っていく。それは合図だった。
教室の入り口を見ると、リーリエがいた。
もうすぐ講義が始まる。
バイル学園は日本の義務教育に当たる年齢の少女たちが通っているが、大学のような単位制になっている。しかし、取得単位の区分が細かくなく縛りも少ない。それでもどの講義も満席になるほど人気だ。
なぜなら、勉強できることが貴重なのだ。
社会制度は発達していない。
メリドでは選ばれた者しか学べない。その機会をむざむざ捨てるような真似をする生徒はそもそも学園に入らないのだ。
例外はもちろんある。貴族の子は適当にやっている場合もあった。機会がいくらでもあるからである。もちろんリーリエも、いつでも学べるだろう。しかし、彼女はかなり熱心に聞いていた。
皆が去って行ったのは、講義が始まる時間が近づいているというのもあるが、リーリエが来たからというのが大きい。
「やあ、トオル」
「今朝ぶりですね」
一限目から講義が別々だったので、二人が学園で顔を合わせたのはこれが今日初だった。
「寂しかったよ」
リーリエの言葉で、黄色い歓声が湧く。
なんとなく、トオルが数人の生徒に向けて手を振ると、その声量は倍加した。
リーリエだけでなく、トオルも生徒たちから好意の目を向けられていたのだ。
それは憧れであり、恋の視線だった。
メリドでは同性愛が神聖視されている。なぜなら、女性同士で子供を授かることができるからだ。
しかし、それには神の許可が必要となる。もちろん、僅かな人間しか許可は得られない。
子を授かることができないのを承知し、同性で愛し合うことも事実上不可能だ。それは禁忌だそうで、加護を失う可能性があると伝聞されている。
神に認められた愛であり、同性愛を成就させる困難さもあって憧れるのだろう。
禁忌なのは行動に移すことなので、こうしてはしゃぐ分には神も怒らないのだ。
はしゃいでいる彼女たちなら、キスぐらいできるかもしれない。そんな邪なことを考えていると、リーリエが顔を寄せてきた。
「こうも騒がれると嫉妬してしまうな」
「あくまで私はリーリエ様のおまけですよ」
「それは違う」
リーリエは真面目な表情で首を振った。彼女には照れがない。
顔を寄せてきておいて、何の意識もしていないのだ。トオルのスキンシップは当然通じず無効。逆に向こうから仕掛けてくる。
それだけならいい。一番困るのは、彼女の中ではスキンシップとすら思っていない点だ。
情報が集まらないこと以上に厄介なことだった。
小学生相手みたいなさっぱりさなのだ。恋愛というものを意識したことがないのかもしれない。想像以上に手強い相手である。
「私が嫉妬しているのは、君の関心を奪おうとする生徒たちだよ。もちろん、私のおまけなんてこともない。トオルは十二分に魅力的さ」
そう言ってリーリエは人差し指でトオルの顎を上げた。そんな格好が様になる少女だ。男装すれば映えるだろう。
だから、男であるトオルがときめいてしまっても仕方がないのである。窓に映る自分を見て、彼はそう自分に言い聞かせた。
確かに、転生体のトオルはリーリエやニクルに比べ、特徴のない少女であったが、整ってはいる。胸もそれなりにあるし、地毛の赤髪もスラムにいた頃より少し伸びて肩をより長くなっている。青い目はくっきりと丸く、顔も小さかった。可愛らしい顔だ。加護に恵まれなかったが、容姿はそれなりに恵まれている。
「ありがとうございます」
トオルの返事を聞き、リーリエは微笑を浮かべ手を離した。
一連の行動を見た生徒たちが悲鳴をあげたり、泣いたり、はしゃいだりする。
これでは見世物だ、とトオルは思ったが、リーリエは気に留めていないようだった。子供の頃から周囲の目に慣れているのだろう。
そんな自信に満ち溢れたリーリエの唇を奪わなければならない。
今までトオルがキスしてきた女性で加護を失ったものはいない。が、ステラも明日にはなくなっているかもしれないのだ。神が視認できるとはいえ、彼らの機嫌まではわからない。
だから、リーリエに加護を失ってもいいから、トオルに全て委ねたい、と思わせねばならない。
簡単にキスできない理由はそこだった。ふざけてという言い訳もつかえない。許可されていない同性愛はメリドでのアイデンティティーを失う行為なのだ。
遅れました。申し訳ございません。次話は二十一日か二十二日に更新します。