十七話-保持(中編)
エニティンは部屋から出て行こうとするトオルの腕にしがみついて抗議する。
これで当分泊まることが出来ないどころか、会うのも難しくなる。それはエニティンにとって、よっぽど堪えることらしい。
今も涙をポロポロ流して、しゃくりを上げるから喋れない。だから、腕にしがみついて抗議するしかなかった。
男は女の涙に弱い。日本にいた頃によく聞いた俗説だ。自分には当てはまらないらしい、とトオルは心中で嘲る。騙して利用して、そんな相手の悲しみも懇願も自分の胸に傷を作らないのだ。自分自身の非人間っぷりが笑える。それもあくまで振り。だから、平気で演じれる。
「私だって寂しいよ」
トオルはエニティンを抱き上げてベッドに移動し、自分の膝の上に座らせる。
エニティンを後ろから抱きしめ、嘘を吐く。
「エニティンの綺麗な声が聞けなくなるし、君の綺麗な手にも触れられない」
トオルはエニティンの指を撫でながら続ける。
「週の半分は君と幸せな朝を迎えていたんだ。それが無くなるんだから、寂しいに決まっているでしょ?」
これ以上は続けない。
自分も君と同じだけ悲しんでいる。それさえ伝わればいい。働かないとやっていけないとか、仕方ない事なんだなんて納得させる言葉は紡がない。
理ではなく、情に語りかけている。エニティンは加護無しだ。職の重要性はよく理解している。追いついていないのは感情だ。
トオルがしばらくエニティンの短い髪を撫でていると、ヒクヒクと動いてた振動が収まった。
「手紙を書くよ。時間が出来たらすぐに会いに行く」
エニティンは駒としての有用性は薄い。スラムでは稼ぎがいいだけの加護無しだ。楽器の扱いと世渡り上手な所が取り柄の弱者。
それでもトオルよりかは強い。
真の弱者であるトオルに打てる手は少ない。万が一の場合の避難先は用意しておくべきだ。
手紙も繋ぎ止めるためだけでなく、スラムの情報を仕入れるためでもある。備えあれば患いなし、だ。
エニティンの家を出て、トオルは服を着替えた。シャツにスカートという飾り気のない格好に、髪を下で一つ括りにしたラフな姿。わざわざ変えたのは変装のためである。
浮気は日本でも咎められるものだった。もちろん、ネメスでも変わらない。
ステラとエニティンには二股は当然隠している。
バレれば魅了があっても解けるかもしれない。あくまで好意があっての魅了だ。無くなるような事をすればどうなるか定かではない。
変装に気を使う余裕が今のトオルにはあった。精神的なものはもちろん、物質的にもだ。
実験の過程でトオルは駒から金銭や贈り物をもらっている。ステラとエニティンはもちろん、二人以外からも。今の資産状況であれば数年は食うに困らないだろう。
悪魔の子である以上、その程度の資産では己が身を守ることは出来ない。まだまだ油断できない。
だからこそ、ステラも手放さない。
トオルはステラの屋敷に手続きせず入っていく。以前のように合図を用いることもない。女性として堂々としてからは、ステラの友人として通っている。
門番もトオルの事を覚えているので、頭を下げるだけだ。ステラが外出や執務中、もしくは客人を招いている時だけ彼を呼び止める。
「ステラ、入るよ」
トオルがステラの執務室に入るより先に、扉が開いた。
ステラはトオルを見るなり、彼に抱き付いた。
「ど、どうした?」
トオルの声が動揺で震える。
ステラはクールなタイプだ。感情表現は控えめで、笑うことすら少ない。夜であれば徐々に火がつくことがあるにせよ、いきなり抱き付いてくるような事は滅多にない。
「心配してたんです」
ステラはトオルを強く抱きしめ、そっと呟いた。
彼女はリーリエ・イノにトオルが仕掛けた作戦を知っている。
人騎を神旗と見せかけ、優勝すること。神旗と見せかけるのを失敗すれば、神様への不敬で無事では済まない。それに成功確率も低いと思われていて、直前まで考えなおすよう言っていたのだ。
心配するのは当然であった。
だからこそ、リーリエにバレていたとは言えない。
「悪かったよ」
リーリエの目的はよくわかっていない。
何故、許したのか。そのまま従者として迎え入れるのか。謎でしかないが、悩んでも仕方ない。それがトオルの方針だ。
今さら、博打で震える体じゃない。転生でそんなことは慣れっこになってしまった。
またもや謝罪からです。
申し訳ございません。更新が遅れました。
そして、さらに謝罪を重ねます。
自分の体調は戻ったのですが、家族が倒れてしまいパニック状態です。申し訳ございませんが、一週間か、二週間ほど更新ペースを週一にさせてください。
次回、更新日は水曜日を予定しています。