十二話-従者募集
ステラ・ハイフの屋敷の応接間で、トオルとステラは向かい合って座っていた。
トオルは制服に着替え、朝食を食べ終えた。食後のお茶を一人で楽しんでいる。
ステラのお茶は全く減っていない。それどころか、朝食もまともに食べていない。トオルだけが平らげていた。
「本当にコレを使うのですか?」
ステラは机に置かれた包みを怪訝そうに見た。
「そうだよ。だから、ステラに用意してもらったんだ」
「好機なのは理解できます。それにしたって」
トオルが挑む博打について、ステラには話してある。話さなくても、スラムの統治者の一人である彼女の耳に入るのは時間の問題だからだ。
リーリエ・イノは従者を募集し始めた。条件は自分と同じ年か年下だけ。前任の従者が不手際を起こしたらしい。従者というのは一文字違いの従僕とは全く違う立場である。
元の世界でいう従者とも意味合いが違う。メリドでは主人を一番近い位置で支える親友のような立場だった。
姉妹の契りが恋愛面の絆であれば、従者は友情面での絆である。
だからこそ、誰もが使う称号ではない。何の関係もない両者を親愛で結び付ける契約。普通の友人関係でそんなものを使うメリットがない。
つまり、両者の身分に差があり、上が下と結びつくための契約だ。
一般的に貴族の人間は有能な人材を見つけ、従者として縛り付ける。従者となった者は貴族としての特権を使える。打算を含んだ契約でもある。
が、リーリエ・イノは例外そのものだ。
この国で五本の指に入る名家のイノほどであれば、代々従者となっている家があるはずだ。
なので、リーリエのような超お嬢様は、滅多なことがない限り従者の募集などしない。
無論、トオルはこのチャンスを逃さないつもりだった。これほど楽にリーリエに近づけるチャンスはもうないだろう。
しかし、従者の募集は試合で行われる。従者の募集というイベント自体が異例であり、試合で決めるものではない。
ネメスの試合はトオルからすれば戦闘と同義だ。刀剣の類はもちろん、観客に被害がでなければ爆薬も使える。危険性があっても競争率は高い。年齢制限の問題で中等部しか募集していないのにかなりの人数が応募したようだ。その証拠に、試合は二日行われる。一日で消化しきれないのだ。
既にエントリーは締め切っている。あまりにも募集に殺到したため、掲示の翌日に行う予定だったが一週間後になっていた。
そして、既に七日が経過している。数時間後には試合が始まる。
「大丈夫だよ、ステラ」
トオルはティーカップを置いてから、ステラの目を見つめて微笑む。
嘘と気づかれぬために僅かに口角を上げ、余裕をたっぷりと。
文武で武を選択しないトオルが、戦闘に自信などあるわけがない。まともにやり合えば敵わないとわかっている。
一人、二人であれば裏から手を回せばいいかもしれないが、それ以上となると難しい。トーナメント方式なので、対象があまりにも多すぎる。
だから、トオルは戦わずに勝つ必要があった。
そんなことを軽々とは出来ない。分の悪い賭けでも、やるしかなかった。
「大丈夫」
トオルは身を乗り出し、ステラの膝にあった彼女の手を取った。
手のひらを撫でてから、持ち上げ口づけをする。
「ボクを信じて」
それからは過激なキスで誤魔化す。
あくどいやり方だった。
試合が行われる場所は、中等部に併設されている高等部の闘技上だ。
楕円形の建物で、中央の空間を取り囲むように観客席がある。千人は有に収容できる観客席の七割ほどが埋まっていた。
トオルの初試合は最後のほうだったので、ライバルとなる選手の観察に徹していた。
「やはり、加護頼みの戦闘だ」
神に祝福されている証である加護。その能力は様々だが、一言でまとめてしまえば、超能力になる。
ファンタジーのような話だが、菊池トオルにとってはもう現実の話だ。
今、戦っている生徒たちは両方とも加護を駆使して相手を倒そうと躍起になっていた。
炎が生き物のように舞う。それを迎えるのは盾だ。火の進行を止めようと幾つもの盾が虚空から出現し宙に浮き、主人を守ろうとしている。
「一回戦でこれだもんな。銃火器じゃ相手にならない」
友人がいないのをいいことに、独り言をぼやく。
トオルのぼやきは至極当然なことであった。男が社会的地位を失っているのは神の超常現象に科学が勝てないからだ。
この世界では神が視認できる。トオルも遠目で見たことがあった。
神々は一人の男がある女神を誑かした罪として、男から加護を取り上げたらしい。
これは何百年も昔の話だそうだ。とっくに生活に根付いてしまっている。
故に、男は女に隷属するのは当たり前で、反抗なんてものは滅多にない。
そんなことは不可能なのだ。超能力を持つ集団にちゃちな武器では太刀打ちできない。
が、加護に勝る力がこの世にはある。神の力を宿す武具は別だ。
盾で守っていたばかりの生徒が、腕を掲げた。瞬きの間に、その少女は鎧を纏っている。
「神旗」
観客席からそんな声が幾つも漏れる。
加護を持つ者しか扱えない神の武具、その総称を神旗と呼ぶ。これも女性の権力そのものだった。
火を操っていた少女は神旗を所有していないらしく、刃向かうことなく棄権した。
超能力を操る人間に、戦車が与えられたようなものだ。能力だけで拮抗していたのなら、勝てるわけがない。
火の少女は賢い選択をしたと言える。
「せめて、神旗の性能ぐらいは見たかったんだが、仕方あるまい。盾女、名前はセネカ・ローウェルね。神旗を所有しているぐらいだから、苗字はあって当然か」
トオルには苗字がない。それだけで社会的階級はずいぶん下だ。苗字があるということは国から与えられた職に就いている家の子供という証左だ。セネカはそれなりに裕福な家なのだろう。
苗字がないというのはメリドでは珍しい話ではなく――スラムにいるような人間は大体そうなのだが――平民街にいる人々の半数がそうだった。彼女らは親が貯めた金で入学したか、優れた加護を持っているかのどちらかだ。
その優れた加護の力をトオルはどれほどのものか知らなかった。スラムでは加護を見ることは滅多にない。だから、しっかりと目を働かせるのだ。
トオルは自分の番まで戦いを観察していたが、セネカ・ローウェル以外に神旗を使った者はいなかった。つまり、目下の敵は彼女となる。
リーリエの従者募集もそうだが、一部の権力を有する少女たちに隷属するため、平民はこの学園で学ぶのである。彼女らに逆らって生きていくことはできないのだ。そのため、従者か家来となり強い家の庇護を受けるのが平民や没落貴族の生存戦略だった。
前世の感性で見れば、就職活動に近いとトオルは思った。
平民たちにとって、この学園が有望な人材を育成する場なので、コネではなく能力だけで従者や士官になる唯一の方法といってもいい。
貴族の子はそうした自分好みの人材を選ぶために学園に通っている側面もある。
そうすることで、貴族は優れた人材を使ってより繁栄し、平民はそれに貢献することでおこぼれを頂く。その次に、貴族に仕えていない平民、そしてスラムにいる人々という順序でメリドでの富は回っていた。
だからこそ、まだ一回戦の終盤という時点で、神旗を持っている者がセネカ以外いないだろうとトオルは推論を立てた。
そもそも就職活動に勤しまなければならない地位の人間は、神旗などまず持っていない。セネカが例外なのだ。
もし仮に持っていたとしても、セネカのように使ってしまう。神旗を使わず温存できるような才と実力がある人間は希だ。
なぜなら、彼女らは加護を使った戦闘をほとんどしたことがない。
高等部であれば、さかんに行われているが、中等部では武の講義はまだ基礎段階だ。それですらトオルには危険なのだが、ここ数日の調べによると訓練の域を抜けていないらしい。
なので、加護だけであれば生徒たちの実力はほぼ拮抗している。加護の相性次第で勝敗が決まると言っていい。それを崩すカードを切らないという選択ができるほど、まだ若い少女たちはプレッシャーに強くなかった。
それなりに裕福な彼女たちには。絶望にまみれたことのない少女では。目先の勝利を求めてしまう。
「だから、使わなかった。イコール、神旗なんて持っていない、というのは滅茶苦茶な考えか?」
トオルは控室で呟いた。今行われている戦いが終われば彼女の番だ。
ほどなくして、勝者を決める鐘が鳴り、闘技場の真ん中へと歩いていく。
神旗を温存する重要性をトオルは理解している。それでも彼女は初戦が始まった途端、ジンキを纏った。
「降参するよね?」
そう言い、人の腕ほどある銃口を対戦相手に向け、トオルは微笑んだ。