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騙してキスして蕩かして  作者: 真杉圭
一章-プロローグ
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一話-キスの魔力


 厨房。お客様に食事を作り、提供する場。賑やかで温かな場なのだが、今日は静かだった。

 響くのは細かいリズムの低音。音と共に厨房に収納されている品々が揺れて、小さな音を立てる。

 低音を奏でているのは調理の過程ではない。女が苛立たしさを足踏みで発散しているからだ。腕を組み、侮蔑の目で男たちを見下ろしている。

 彼女の前には四人の男がいて、彼らは皆、揃いの衣装を着ている。小綺麗な黒のスラックスに、黒のシャツだ。全員が床に膝をつき、女を見上げている。誰もセッションすることはない。

 四人の男のうち、最も背の低いトオルはため息をつきたかった。

 とっとと辞めておくべきだった。実験にはもってこいの場所だったが、まともな環境ではない。いや、と独り言ちる。ネメスでまともを求める方が間違っているか。

「おい、どうなっている?」

 静かな声量ながら、怒りを滲ませた言葉を投げたのは女だった。

「何故、六人いない?」

 トオルを含め、彼の同僚たちは全員視線を下に向けているだけ。

 何を発言しようとも事態は好転しないと理解している。そもそも、彼らに責任はない。共に働いていた同僚が二人、ミルべとバイザーが出勤していないのだ。責任の所在は監督役の女にある。

「答えろよ、なあ」

 女の怒りは収まらず、トオルの同僚、ニックの腹を蹴り上げた。ただの八つ当たりでしかない。

 だが、ニックは抵抗もせず、睨みもしない。

「これだから裏切り者はダメなんだ。いまだ神に許されぬ男どもが」

 女は別の男、キキニを蹴る。そちらも抵抗はない。

 この世界で男は女に逆らえない。

 社会が許さないし、そもそも敵わない。

 トオルが生きていた世界の性差とネメスでの性差は全くの別物だ。男女は生き物のカテゴリーが違う。

 女は神に愛され、男は神に見放されたのだ。

「しばらくはお前たちで繋いでろ。他の店から補充してくる」

 女はそう言い、裏口でしゃがむ。

 その一瞬、白く柔らかな光が輝いた。加護の発動。神に愛された女性のみが使える奇跡。その効力により、女はあっという間に消えてしまった。

「ちくしょう。何でだよ。俺たちは真面目に働いているだけなのに」

 初めに蹴られたニックがぼやいた。

 だが、誰も賛同も同意もしない。皆、何度も他者や自分と問答して来たからだ。

 この場にいる男全員、何かをしでかしたわけじゃない。身に覚えのない咎を背負わされている。

 大昔に男が犯した罪によって、男と生まれただけで罪人なのだ。

 抵抗は不可能だ。しようにも加護のない男では、加護のある女には腕力ですら敵わない。

 だからこそ、嵐が過ぎ去るのを待つように耐えるしかなかった。

「もう開店だ。二人とも服を整えておけ。その間に客を通す」

 蹴られていないシャーミが仕切った。

 もう一人無事の男ゴンオウが予約表を手に取る。

「全部で三人。げっ、こんな日に限ってお貴族様二人かよ。しかも三人目はサンサンス」

「優先順位はお貴族様だ。俺たちで付くから、サンサンスの相手は悪いが頼むぞ、バチェッタ。裏方のお前は普段接客しないから辛いだろうが堪えてくれ」

「シャーミの言う通り、サンサンスは激しいからな。くれぐれも抵抗はするなよ。大人しくしていれば気持ちよくはなれる。綺麗だしな」

 バチェッタと呼ばれたトオルは神妙に頷いた。彼に緊張はない。ただの演技だ。

「いらっしゃいませ」

 受付の声が響き、扉が開かれる。お客様のお出ましだ。

 トオルは厨房からフロアに出た。

 天井に貼り付けられた照明がぼんやりと店の輪郭を照らす。薄い布で仕切られた空間が全部で五つ、東に二列と西に三列並べられ、それらの列を隔てるように北南に廊下がある。 廊下の北側は店の厨房に繋がっていて、南側が入り口だ。

 空間のうち三つは中が明るい。布に影が一つずつ。

 トオルは厨房に一番近い席、サンサンスの元へ向かった。

 膝を地面について頭を下げる。その態勢のまま努めて低い声を絞り出して、薄い布の手前で挨拶をした。

「ご利用、ありがとうございます」

「ほら、時間がもったいない。早く」

 布を上げてサンサンスが手招きをした。

 サンサンスは吊り目がちで、長髪の女だ。背もたれに深く倒れ、足を組んでいる。この店の常連のため、トオルも噂は知っている。金払いがいいが、かなり早急で強引だと有名だった。

「脱げ」

 トオルが入った途端、サンサンスが言った。相手を鑑みない冷たい口調だ。

 テーブルには金が既に置かれてある。ここはホストクラブに近い形態の店だったが、ホストクラブとはある一点が異なる。ここでは客が商品を買うことができるのだ。

 サンサンスには何の落ち度もない。彼女は正規の手段で男を買っている。抵抗は許されない。男に人権など存在しない。

 が、トオルはそれを了承できなかった。それだけはしてはならない。彼の真の姿が暴かれる。悪魔は生きていけない。

「何? お仕置きされたいの? 見た事ない顔だけど、容赦しないわよ、私」

 サンサンスはトオルを買っている。彼の命でさえ、彼女のものだ。この中で行われる一切は金銭によって許可される。呪われた男の価値はそれだけ低く、祝福された女の価値はそれだけ高い。

「おい!」

 どうやり過ごそうかとトオルが考えている最中、大声が響いた。女の声ではなく男のものだった。

 それはあまりに不思議な話だった。この世界、ネメスにおいて男が大声を出すことなど許されはしない。

 トオルが布をずらすと、入り口に男が二人いた。どちらも欠勤していた同僚だった。

 その姿は異常だった。二人とも顔が張れ唇が切れていて、衣類が乱れている。何より不思議なのはミルベが、バイザーの髪を掴んで引きずる事だ。

「手伝ってくれ。悪魔を見つけたんだ。バイザーは悪魔の子だったんだよ!」

 そう言い、ミルべはバイザーの辛うじて機能していた服を剥ぎ取った。

 彼の体には胸と男性器がついていた。トオルの知識では両性具有。ここネメスではバイザーのような存在を『悪魔の子』と迫害していた。

 神の元に悪魔を捧げれば、男であっても報酬が出る。一人では抵抗する悪魔を抑えられないため、同僚を頼ったらしい。仮に五等分しても十分な報酬になる。こんなところで働いているよりよっぽどマシだ。

 それを理解したトオル以外の同僚は皆、ミルベに駆け寄る。

 地獄から抜けられる一筋の光。そこに縋りつこうとしたが、彼らの歩みは止められた。

 四人の男たちの首に、いつの間にか鎖が繋がれていた。それらは一つの客席に集まっている。その席から出てきた女が笑った。

「御苦労。悪魔の取り締まりは我々、騎士の仕事だ。こちらで預かろう」 

 短く跳ねた緑髪で、長身の女が鎖を軽く引くと男たちは全員地に伏せた。一瞬で首に鎖をかけ、引いただけで服従させる。それは権力による脅しではなく、加護による純粋な力だった。息をすれば肺が膨らむように、笑えば口角が上がるように、加護を持つ者からすれば当然の動きだ。

 神に祝福された女は五体を動かすように奇跡を起こす。この女は拘束に関するものらしい。

「引き渡してくれるな?」

 ミルベには首輪がつけられていない。

 騎士を名乗る女は彼の宝を目の前で盗もうとしている。

「もちろんです」

 それでもミルベは卑屈に笑い、バイザーの髪から手を離した。

 加護を持つ女と戦っても勝つことは不可能。一か八かも望めない。それがネメスでのルールだった。

「ありがとう。お礼はするよ。君は男にしてはいい奴だ。名は?」

「ミルベです」

「ミルベ。だけど、他の男はどうかな。ここは管理が杜撰なようだ。まだ悪魔が隠れていても不思議じゃない。君の同僚は後何人いるんだ?」

 鎖に繋がれた同僚を見、ミルべはすぐ答えた。

「あと一人です。バチェッタが」

「繋いだ四人は後回しだ。バチェッタを探そう」

 トオルはすぐさま客席から離れようと隙を伺う。幸い、ミルべはトオルが接客していると知らない。厨房に二人が入り込んだ瞬間が勝機だ。

 勝機といっても薄い。見つかれば逃げられないし、逃げたのがバレてもすぐに追いつかれる。どうすれば――。

 思考は外部からの接触により中断させられる。誰かがトオルの右腕を引いたのだ。

 トオルが後ろを振り向くと、彼の右腕をサンサンスが掴んでいた。

 彼女は唇を割り、声を出そうと舌を動かす。

 腕力では敵わない。故に、トオルはサンサンスに近づいた。彼が動かすのは左手。拳を作るのではなく、サンサンスの後頭部を掴む。そして、そのまま自分の顔に近づけた。

 唇と唇が重なり合う。

 サンサンスの瞳が見開かれ驚いている間に、トオルは彼女の口内に舌を差し込んだ。

 口から力を抜き、唾液を流し込む。

 サンサンスの瞳が揺れ、ゆっくりと閉じていく。

 それを確認してから、トオルは顔を離した。

「あの騎士を襲い、足止めしろ」

「はい」

 サンサンスは呆けたまま返事をし、客席から立ち上がった。

「おや、失礼。楽しみを邪魔してすまない。謝礼はするから――」

 騎士はにこやかにサンサンスへと呼びかけるが、サンサンスは指先に生じさせた火球を放った。

 それを騎士は屈んで躱した。騎士と名乗るだけはある。

「ちっ」

 騎士は舌を打って、バイザーに鎖を巻きつけ引き寄せた。と同時に、トオルの同僚たちを解放する。

「客は退避を。お前たちは逃げるなよ。逃げれば悪魔だと判断し、地の果てまで追い詰めてやる」

 ちゃっかり利益は守りつつ、職務も果たす。素晴らしい限りだと、トオルは笑って騒ぎに紛れ店を離れた。

 外に出ると、雨粒が叩きつけられる。

 トオルは濡れるのを気にせず駆けた。

 彼の口端は吊り上がっていて、どこまでも楽し気だった。

 事実、彼のビジョンは明るい。走りながら無駄口を叩くぐらいには陽気だった。

「日本でも、ネメスでも、神様には愛されなかったが、勝負ぐらいは、はあ、させてくれるらしい。転生者なんだ、当たり前だよなあ?」

 声も弾んでいる。明るく、そして高い。

 走っていると窮屈で、シャツのボタンを外す。胸に手を入れ、さらしを外す。

 彼の胸にはささやかだが確かに柔らかな丘があった。

 菊池トオルは転生者で両性具有。ネメスでは迫害の対象。賞金首に等しい『悪魔の子』だった。

 それでも今の彼は絶望していない。そう、彼にはキスの魔力がついている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リメイク前に比べて世界観が説明ではなくストーリーの中で描写されており、受け入れやすくなっていたかと思います! [一言] これからも楽しみにしています!
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