お姉ちゃんのたまごパン 作/ミーナ
(朗読/sleep)
「上野のナガフジでね」と、母が言う。
「子供の頃によく、たまごパンを買ってもらったの。お姉ちゃんに」
お寿司屋さんの隣の成城石井で店頭に並ぶたまごパンが、母の半世紀以上前の甘やかな記憶を呼び起こしたらしい。
母より二十歳近く年上で、早世してしまった伯母は、おしゃれで美しい人だったと言う。
「パフェも食べさせてもらったな。お姉ちゃんとおでかけするの、楽しかった」
ちいさな女の子に戻ったような目で母は続ける。きっと母の宝物のような思い出のひとつ。
私が生まれる前に亡くなった伯母に、私も会ってみたかった。
「たまごパン、私が買ってあげる。一緒に食べよう。他にもなにかほしいものがあったら買うよ。おみやげに持って帰るといいよ」
娘の私が買っても『お姉ちゃんが買ってくれたたまごパン』の思い出にはとうてい敵わないだろうけれど、それでも母に何かしたくて。
「もうお寿司でおなかいっぱいよ」
とは言いながらも母はふわふわ、店の中を見てまわる。
電車で一時間ほど離れた街に住む母は、私の家の近所のお寿司屋さんをたいそうお気に召していて、時折食べにやってくる。
「あ、私、これ大好き」 母がチョコレートの箱をカゴに入れる。
「このチョコね、おいしくてすぐ食べきっちゃうから、二箱買ってもらおうかな」
「なんでも好きなだけ買えばいいよ」
『お姉ちゃん』ならば、母にきっとそう言ったであろうことを私は口にする。
そして鷹揚に構えた私はお会計でぎょっとする。お菓子を三つで三千円超え。なめちゃいけない成城石井。
お寿司をご馳走した直後のお財布には痛いぜベイベー。
なにしろ母ときたら、昼間だと言うのに生ビールを三杯も飲むわ、フグの唐揚げにはじまり、ウニやら大トロやら、たらふく注文するわで、お寿司屋さんの時点で軽く予算オーバーしている。
「ありがとう、真奈。私、袋を持つよ」
母はご機嫌。
母がうれしいなら、お財布の軽さなんてなんのその。
カラーペンで塗りつぶしたような晴天。木漏れ日が眩い。はるか西の空にかすむ富士山。いいゴールデンウィーク。
踊るような足取りで母は私の家に向かう。街の賑わいに対し、家はひっそり静かだ。
コーヒーを淹れ、二人してたまごパンを食べる。
たまごパンは、やさしい、まあるい味がする。
ひとくち齧った母がつぶやく。
「これは…お姉ちゃんに買ってもらったたまごパンとは違う」
ふっくらつやつや、現代風にアレンジされたたまごパンは、昔ながらの灰色がかってぼそぼそした『お姉ちゃんのたまごパン』とは違うものらしい。
「たまごパン、残りはいらないから真奈が食べてね」
えっ!
二人で少し食べて、残りは母が持って帰るものだとばかり思っていたのに。
十個入りのたまごパンは八個も私に託されてしまった。
「さて、夜も予定あるし、そろそろ帰ろうかな。チョコは二箱持って帰るのは重いから、一箱でいいや。真奈にひとつあげる」
「そっか。重いよね。気付かなくてごめんね」
ええっ!
てっきり夕飯も食べていくものだと思っていたのに。
そして私が食べるチョコならブラックサンダーで十分なのに。
こうして、チョコと、『お姉ちゃんのたまごパン』になりそこねたたまごパンと、『お姉ちゃん』になりそこねた私を残して、母はひらひら帰っていく。