日々 作/紫伊
(朗読/ひめありす)
「でさ、雅己のやつ、すっかり忘れていたんだよ」
「あはは、未だに雅己くんはそんな感じなんだ」
目の前のカップを持ち上げると三杯目のコーヒーはすっかり空になっていた。時計を見ると店に入ってから優に三時間は経ち、窓の外は夜に足を踏み入れている。
「そろそろ出よっか」
カップを持ってたちあがりかけると「待って」と晴哉くんの声が行動を制した。
「なに?」
「はい」
おもむろに取り出された紙袋に目が釘付けになった。
「亜紀、たんじょーびだったろ」
「ああ、うん」
名前を呼ばれてドクンと心臓飛び跳ねた。差し出されるままに茶色い紙袋を受け取ると軽い重みが手にかかった。
「じゃ、行くか」
晴哉くんは何事もなかったかのようにカップを持って立ち上がった。私は紙袋を握りしめぎこちなく足を動かして晴哉くんの後を追う。
自動ドアがウィンと開くと冷たい風がヒュルリと絡んできた。脊髄反射で声が飛び出る。
「寒っ」
「すっかり秋だな。もう十月末だもんな」
「そうだね」
パーカーのポケットに手を突っ込んで歩く晴哉くんの横を大股で歩く。
「これからどうする?」
「そうだな。寒いのはもう勘弁だから店入ろっか」
「そうだね、ファミレス行く?」
「うーん、お互い二十歳のオトナになったんだから違うとこいこーぜ」
そう言って晴哉くんはにやりと笑った。
「かんぱーい」
かちりとジョッキを合わせる。中は黄金色の液体。ぎゅっと手持ちを握りしめてグイッと飲むとぐわっと味が広がった。
「にがーい!」
顔を上げ目が合った晴哉くんの余裕そうな表情が悔しくて、もう一度口をつける。私のしかめ面を見て晴哉くんは笑った。
「無理すんなよ。かく言う俺もビール苦くてあんまり得意じゃないし」
「え、そうなの?」
言われてみればジョッキの中身は全然減っていない。
「飯食べよ、飯」
手慣れた様子で画面からぴっぴっと注文していく。
「なんか頼む?」
「大丈夫」
なんとなく手持ち無沙汰でビールに口をつける。やっぱり苦い。
「なんかこうやって一緒に酒飲んでるの不思議な感じする」
ジョッキを握りしめる私を見て感慨深げに言う晴哉くんに向かって私は大きく頷いた。
「そうだね。昔は一緒にジュース飲んでたよね」
「小学生の頃は遊びに来るってなると母ちゃんいつもパイナップルジュース買ってくれるんだよな。あれすきだったな」
「懐かしい! パイナップルジュース飲めるのは遊びに行く時だけだから特別なジュースだったな」
「そういえばさっきパイナップルサワーあった。飲む?」
歯をにっと出して子どもみたいに笑った。その笑みに釣られて私の頬も緩む。
「飲む!」
「お待たせしましたあ」
お姉さんとお兄さんの手によってテーブルの上が盛り沢山になっていく。二つのパイナップルサワーも運ばれてきた。
「それじゃ」
かちりとグラスを合わせて飲むとシュワっと甘く喉を通り過ぎていく。
「なんか懐かしい味がする」
「俺も思った」
晴哉くんの目に懐かしさが宿る。きっと私も同じ色が宿っているのだろう。
「ご飯も大体決まってたよね。うちはカレー、そっちはパスタ」
「だな。懐かし。唐揚げとかなかなか家で出ないメニューだったなあ」
箸で唐揚げをつまみあげ愛おしそうに眺めながら口を開ける。大っきく口を開けて頬張るのは健在のようだ。私も釣られるように大口を開けて食べる。火傷しそうな熱が口内に広がった。
飲んで食べてお腹も頭もふわふわだ。頬を撫でるひんやりした夜風が心地よい。
「電車乗らずに帰れるの楽だな」
「そうだね。それに飲むとこれくらいの寒さがちょうどよいね。手はぽかぽかしてる」
「へぇー」
パーカーのポケットからにゅっと手が伸びてきて、手のひらがきゅっと握られた。ぽかんと顔を上げると歩みを止めず目を逸らされた。グイッと引っ張られつられて歩き出す。手のひらに伝わる熱は幼き日繋いだものと同じのようで違うようで。片手に熱い手を片手に紙袋を握りしめ歩く。頬の熱の正体はまだ知らない。




