4.これからの事
「あ、おかえり。お礼はちゃんと言えた?」
少女がグウィンドと別れ、協会に戻ると受付にさっきの青年がいる。青年は少女を見るや否やこちらへ駆け寄り声をかけた。
「はい!本当にどうしようも無かったら来いって言ってた」
「へぇ~、良かったねぇ。あ、でも住所は知ってるの?」
少女はハッとする。何処に住んでいるのかもしらずにどうやって行けというのか。やっぱり来させないようにわざと家の場所を教えてくれなかったんではなかろうか?そんな疑問が浮かび、やはり苦手だなと思う少女。
「えと…すいません…教えてくれなかった!」
「あ~…うっかりしてたのかわざとなのか分からないのがあの人の悪い所だよね…ちょっとまってて」
青年は受付の裏側にあったドアの向こうへ消えるとしばらくして一冊の本をもって少女の元へ帰ってきた。本はそれなりに古そうな見た目をしており、また実際に何年も前からある物だ。
「お待たせ、とりあえず座ってよ」
「あ、はい!」
少女は青年に促されるまま協会の隅にあった椅子に腰かける。その対面に小さな椅子を持ってきた青年が座った。そしてもう片方の腕で抱えていた本を膝にのせて開く。本が開かれるとほんのりと古い紙の匂いがした。
「えーと…グ、グウィ…ン…」
「ほえー…」
本を巡る青年とそれを見つめる少女。傍から見れば大変微笑ましい光景だが、その実は他人の住居を暴こうとしているのである。プライバシーもあったものではない。
「えーとこのページかな。えーと住所は」
「これが昔のグウィンドさん…へぇ…若い」
「そりゃ何年も前の写真だからね。この頃はまだ髪の毛も黒かったらしいし」
少女は青年の言葉を受けて頭の中でグウィンドを出現させる。…が、少女が見たことのあるグウィンドは全て頭をすっぽりと覆う怪しいヘルメットのせいで髪の毛の色がわからなかった。
「今は違うの?」
「今は暗い紫色の髪色だったかなぁ。随分前に死にかけて"死者の霊薬"っていう賜物を使用した結果らしいよ」
少女は聞いたことの無い賜物の名を聞いて大変気になったが、それが原因ならあの高い身長も重そうな足音も全部ひっくるめて賜物という何でもありの人知を超えた道具を使った為、という事ならば納得がいった。
「だからあんなに身長が高くて重そうな感じに…」
「いいや、身長は元から高かったらしいし、体重の方は"天性"のせいだった筈だよ」
ー天性 それはヘヴンを上り、いくつかの代償を払っていく内にいつの間にか身体に染みつく特異な能力の事だ。これもまたヘヴンを研究する者が「傷口から体内に侵入した何かしらの因子が人間の身体を変質させているのではないか」と考えを話している。
そして天性の存在を少女は既に知っていた。誰に教えてもらったのか、何故知っているのかはすべて思い出せないが。
「体重が重くなる天性?」
「それだけじゃなくて、身体が鋼の如く硬質化しているらしい。それでその硬さに応じた重量を得たんだってさ」
一昔前、グウィンドの身体がどの程度硬くなったのかを試したのだが、結果は今の技術力ではほとんど歯が立たない事が分かったという情けない物だった。そのため珍しい天性持ちの中でも特に採血やサンプルの回収が困難であり、未だ多くの謎が残っている。
「でも普通に動いてだけど…」
「それがね、本人曰く常人並みには身体が柔らかいんだって!」
「ええ…わけわかわかんない」
少女はグウィンドが柔軟体操をしている姿を想像しようとするが、無理だった。想像もつかないとはこの事なのかもしれない。
「そうそう。忘れる所だった、これグウィンドさんの住所ね」
「お、ありがとう!」
青年から手渡された紙切れには住所ではなく道順が分かりやすくイラストと共に描かれていた。記憶をなくしているのに住所だけ知っていても目的地にはたどり着けないと思い、気を利かせてくれたのだった。
「それでさ、お嬢ちゃんはこれからどうしたい?」
「うーん……」
さっきまで開いていた古い本を閉じて少女を見つめる青年。
少女は今わかる事を集めて答えを絞っていく。ヘヴンで倒れていた事、全く見たことの無い街、何故かヘヴンの事だけは記憶に多く残っている事。
「わたし、ヘヴンに上りたい」
「うんうん…え?本気かいお嬢ちゃん…」
正気か?と言わんばかりの表情で少女に尋ねる青年。だが少女を見つめる青年の目は決して馬鹿にするようものではなくむしろ真剣そのものだ。
「うん、わたしヘヴンで倒れてたんだよね?」
「そう…グウィンドさんからは聞いているよ」
少女は思う。きっとヘヴンにどうしても行かなければならない理由があったのだと。
本来この若さでヘヴンを上る者など居ない、それは勿論危険だからだ単純に力や持久力も違えば、免疫力も違う、つまり自分はそれらが全て常人より劣っている状態で上ったのだ。
それほどの覚悟でかつての自分がヘヴンに挑んだのならば…今の自分がそうしないわけには行かない。
「きっと記憶がなくなる前のわたしはどうしてもヘヴンを上らないといけない理由があったとおもうの」
「でも…記憶が無くなったのならもういいんじゃないかな?それに君はまだ幼いじゃないか」
「だからこそ、だよ。そんな私が危険を承知で挑んだんだよ?きっと行かないと後悔する」
青年はしばらく考え込むように目を伏せて沈黙する。そして数秒考えこんで口を開く。
「お嬢ちゃんは本当にそれでいいのかい?」
「うん。それで神様に会えたら記憶も戻してもらえるかもだし!」
「…わかった。協会は来るもの拒まず、だからね」
少女の覚悟を確かめた青年はやれやれといった様子で頭を搔く。そして少女の頭を撫でた。ごわごわしており、そういえばヘヴンから生還したばかりでさっき目覚めたばかりなのを思い出した。
「お嬢ちゃんの入信手続きは僕がしておくからシャワーでも浴びてきなよ」
「あっ…うう、ありがとう」
青年はそれ以上何も言わなかったが、少女は顔を赤くして青年の指さした方へ走り去って行った。
一人になった協会の隅で青年はため息をつく。
「どうか…君に神の祝福があらんことを」