憂狩り
ファンタジー的な何か リハビリ用即興文
明るい月の夜だった。虫の声が騒がしく響いていた。風は吹いていた。凪いでいたら過ごしにくいことこの上なかっただろう。残暑の止まぬ、秋の初めだった。
私は一人、丘に座って月を眺めていた。別に何があったわけでもなく。別に何があるわけでもなく。ただ、月を見ていた。虫の声が折り重なって飽和していた。
私は、ふと虫の音の中に異物を見つけた。シャンシャンと、鈴の音がしていた。何処からする音なのかと、あたりを見回した。
チカチカ光る星が、動いているのが見えた。否、それは星ではなかった。鈴の音を鳴らしながら段々とこちらに近づいてくるそれは、鹿を繋いだ戦車だった。チカチカ光っていたのは、御者台の傍らに掲げられた光石ランプだった。
私が見ているのに気づいたのか、戦車は私のちょっと斜め上の空中で足を止めた。鈴が幾つも、鹿を四頭繋いでいる手綱にぶら下がっている。
「やあ、いい夜だね」
御者台に立っていた鈍い色の鎧の騎士が明るい声で私に言った。
「ええ、月も風も気持ちの良い夜ですね。あなたも散歩に誘われたんですか?」
言ってしまってから、しまった、と思った。何処の世界に、四頭立ての戦車で散歩に出るものがいるのだ――しかし、騎士はからりと笑って返した。
「だったら良かったんだがね、お勤めさ。私の主君…嵐の王のための斥候をしているんだよ。私以外にも八の兵が次の狩りの獲物を探して走っている。主君を満足させる生きのいい獲物を見つけると、褒美がもらえるのさ」
「立派な騎士の方だと思ったら、かの嵐の王の旗下の方でしたか!でもきっと、ここらにはいませんよ。何しろ、ここらには虫くらいしかいませんから」
「立派だなんて言われると照れるなぁ。私なんて主君の騎士の中じゃあ下っ端の方だよ。まだまだ見習いが取れたばかりのひよっこなのさ。でも褒められるのは嬉しいから、いくらでも褒めてくれ」
騎士はそう言って胸を張ってみせた。
「かの王の騎士には、上から下まで立派な方が揃っているということですね。その鎧も何かいわれのあるものなのですか?」
「いいや、いわれというほどのこともない。ただ、先日のワイルドハントの獲物の、竜の血を頭からたっぷり被ってしまってね。以来染みが取れないんだ。臭みまではないのが救いだが、弱い獲物は何かを察して逃げてしまう」
そういえば、と唐突に気が付いた。この戦車がそこに止まってから、虫の声がぴたりと止まっていた。それは、騎士の鎧から漂う竜の…より正確に言うなら、竜を屠った者の気配を感じ取ってのことだったのか。
「そりゃあ、竜も屠れる相手だって言われりゃあ、敵わないって思いますよ」
私もなんだか逃げたくなってきた。目が合ったからって、何故この騎士はそこに停まったのか。私を狩りの獲物にできないか吟味するためじゃないだろうか。そう思ってしまうと、なんだか背中がむずむずした。
「そういえば、斥候の最中なんでしょう、騎士の方。私などにかかずらっていていいのですか?」
「あまり良くないと言えば、良くない。けれど」
そこで一度言葉を区切って、騎士は私をじっと見た。
「何と言えばいいのか、私はなんだか君に惹かれるものがある。主君のお役目も大事だが、この出会いを軽々放り出したくはない」
戦車を引く鹿が、静かに宙を歩いて、ぐるりと回りこむようにして、戦車は私の目の前まで降りてきた。
「そういうわけで、どうだろう。私と夜空の散歩と洒落込まないかい?」
騎士がそう言って手を差し出すので、私は大変恐縮した様子で首を振ってみせた。
「いえいえ、お邪魔はできませんし、空を駆けられない者がそこから落ちたら大変なことになってしまうでしょう?私は、空は見上げるだけで十分ですよ」
「そうかい、そりゃあ残念だ」
ほっと、息を吐こうとする前に、足が地を離れた。鎧の腕に抱えられ、鈴の音と共に大地が遠ざかっていく。
「世間知らずだね、幼い子。ワイルドハントは騎士ではあっても略奪者なのさ。そして、四頭立ての戦車はひよっこに与えられるものではないのだよ」
面白がるような騎士の声が間近で聞こえた。私は、不安定な足元に震えあがっているしかなかった。
「なにを隠そう、嵐の王とは、私自身のことなのさ。驚いたかい?そして、斥候というのも、一人で空を駆けるための口実だったのさ、ははは」
大地に私の影が落ちているのが、明るい月のおかげで見えてしまいそうだった。
書き上がってみると鈴鳴らして駆けながら斥候#とは だけどまあいいか