四話 変貌
遅くなりました。次回から更新速度を上げるために、手記をできるだけそのまま載せます。
まだ夜明けには、すこし間がある。
街はすっかり静まり、照らすのは月だけとなった。
私達一行は、御所をあとにし、南東へと向かった。南東に向かうとしても様々な選択肢がある。その中でも街の東にあたる鹿々谷通りを経由し、人通りの多い中央部を避けるという、少女のルート採りは見事なものであった。
眼をこする幼女を背負い、土埃にまみれた少女に連れられている男。
今になると、いっそ誰かに遭遇してしまっていたほうがよかったのではないか。この様なことも頭によぎるが、どちらにせよ面倒なことになっていたことには変わりないだろう。
「ここを右です。」
私が道中で最も耳にした言葉である。
お察しの通り、少女とのやり取りは簡潔なものであった。
私が質問し、少女が一言で答える。少女が質問し、私がはいか、いいえで答える。そのどちらかであった。
しかしこと友達の話題では、様子が異なった。
「確かに、君は彼女を友達だと思っているようだ。しかし、彼女が君のことを友と思っている証拠はどこにあるのだ。」
「…と仰ると?」
「端的に言おう。君は、彼女がそう考えていると思いこんでいるだけではないのかね。」
なんて不躾で失礼な質問だったのだろう。博覧強記ではなくとも、義理人情に厚い人ならば、知り合って間もない存在に対しどうしてこうも攻撃的になれるのかと疑問符がつく。
更に加えて、少女は一寸前まで、虚ろな目で虚空を見つめるという放心状態であった。立ち直ったばかりの存在に、優しくするこそすれ傷つけることはご法度なはずではないのだろうか。
当時の私は非情な男であった。ただし、一般的な意味ではなく、情を理解するに非ずという意味の非情である。つまるところ、人情というものを理解していなかったのである。
その証拠に、先の発言には少女を攻撃する意図は一切含まれてなかった。ただ単に、何を持って友と為し、どのように友であると確認するのかを理解したかったのである。
「彼女は、私のことを友達だと呼んでくれていますよ。」
「私は君の友達だ。ほら、口先だけなら、誰にだって言えるのではないかね。」
「記念日を祝ってくれました。」
「家族や友達以外からは祝われたことがないのかね。」
「…現に路頭に迷った私を受け入れようとしてくれています…」
「困っている人を救うというのは素晴らしいが、それは彼女に良識が備わっているだけではないかね。」
「悩みを…彼女は悩みを聞いて、共に悩んでくれるのです!」
「彼女は君に悩みを打ち明けてくれたのかね。」
「…無いです。」
「ほう、ではまるで牧師と教徒だな。」
「例えそうだったとしても…。彼女は…彼女とは友達なんです!」
「君の意見はいいのだよ。彼女がそう思っているという証拠をくれないか。」
好奇心猫を殺すという諺があるが、この場合好奇心によって少女の心を殺しかけたのである。
懺悔にもならないと思うが書かせてほしい。声の調子から表情、周囲の匂いに至る細部の細部まで、覚えている。あのやり取りは、脳裏を離れることはない。私は愚かであった、いや愚かなのだ。
通説の通り、加害者よりも、被害者の方に事件の記憶は刻み込まれるのであれば、少女の心の強さに感謝しなければならない。
いたいけな少女の心を踏みにじる感覚は、この先も忘れることができず、また忘れるべきではないものなのだろう。
過ちに気がついたのは、少女の目尻に光る涙を見つけたときであった。崩れることのないと思いこんでいた堤防が、ボロボロと音を立てて崩壊したのである。
噛み殺すように嗚咽をこらえる少女と、あっけにとられる男。辺りは再び言いようのない沈黙に支配された。
もちろん一般常識には、女性の涙には気をつけろ、と記されていた。
しかし、何をしたら涙するのかということの明確な判断軸は記されておらず、ましてや女性を慰める方法という高等なものを教えてはくれるわけでもなかった。もし教えてくれたとしても、もはや行くところまで行っており、繕うことは叶わなかっただろうが。
「無益な争いはやめ給え。」
沈黙を、切り裂いた。
耳の奥を心地よく揺さぶる渋い声であった。
声の主は、黒い物体、黒猫と呼ばれるものであった。天にピンっと伸びる両耳、月明かりに照らされ鈍く光る黒い毛に、しなやかな体躯を持っていた。
彼の目は、緋色であり、闇に支配された世界で爛々と輝き、我々を魅了した。
彼は私を一瞥するとニャオと鳴いた。阿呆の相手をするかのように、まるで誰にでもわかるように、愛嬌を振る舞っているかのようであった。
そのまま、スタスタと優雅に少女の足元まで歩いていき、クルンと一つの玉になった。少女の涙は止まっていた。私自身も友達に関する考察を止める必要があった。
(冗長につき割愛【後書き1】)
しかし今件は、少女の身の安全を確保しながら、安全を脅かす場所に連れて行くというものであった。最悪の場合、完遂させる行為自体が完遂を不可とさせる恐れを孕んでいたのである。
更に厄介なのが、認証の存在であった。来訪者の虹彩・声色・静脈といった固有の特徴を識別し、登録されたもの(今回の場合少女のもの)と合致しない限り入場を許可しないという仕組みになっていた。つまり、過去の事例のように幻視や催眠によったり、魔術回路を暴走させて認証機能自体を破壊し、認証を突破することは、不可能であった。
我々には魔法使いが必要であった。
(冗長につき割愛【後書き2】)
木組みの住宅群を抜けた先にある、高い塀に囲まれた大きな屋敷の建ち並ぶ住宅街。別格と呼ばれる宗派の大本山が近くにあるらしく、物々しい雰囲気に包まれていた。
その中でひときわ大きい館が、ひとつ。それが他ならぬ目的地であった。
例にももれず、四方を高い塀に囲まれている。また、そのすぐ内側には5mを越えようかという常緑樹が立ち並び、内情を伺うことはできない。入り口は一つしかなく、そこには闇に溶けるような漆黒で塗りつぶされた見上げる高さの門が立ちふさがっている。
そんな門の前に立つ存在が二つ。
小指ほどの背丈になった青髪幼女と、少女の姿をした私であった。
後書き1】
目的(お願い)を引き受けるにあたって、最も重要なことは、完遂の条件を明確にしておくことである。そのために最も重要であるのは、完遂の判断者たる、依頼主の安全を確保するということである。このときも例外ではなく、少女の依頼を受け取った私の最優先事項は少女の身の安全であった。
【後書き2】
認証ごと門を粉砕し、館に押入れば良いというパワープレイがお好きな諸君もいると思う。しかし、先述したように少女は館の主を友人と呼んでおり、館の防衛施設を破壊することは良しとしなかった。また、館自身を破壊する行為は、目的地の破壊他ならず、依頼完遂を自ら不可能にする行為他ならなかった。