九話
続きです。
訳が分からなかった。
目の前で起きている事象を受け入れることができない。
「……何が、起きていますの……?」
茫然として呟くのは西方軍総司令官たるアレクシア第一王女であった。
彼女は四大貴族の一角、ヴィヌス家当主であるジルを副司令官に据えてデュレを出立。八万の軍勢を引き連れてこの地――ゲトライト平原へとやってきた。
それから陣を敷き、姿を見せた敵軍に応じて陣形を整えた。
開けた平原、兵力差――それらを考慮して来る激突に備えたのだ。
油断はなかった。慢心もしていなかった。懸念事項である〝勇者〟対策も講じていた。
けれども――蓋を開けてみれば、開戦してみれば、それらすらも甘かったと言わざるを得ない。そんな状況に見舞われていた。
『な、なんだ、何が起こって――がはぁ!?』
『敵襲だ!てきが――ギャアア!?』
悲鳴と怒号が鼓膜を揺さぶる。総司令官として本陣で座していたアレクシアの眼前に広がるのは阿鼻叫喚の地獄だった。
吹き上がる鮮血、転がる人の首――縦横無尽に西方軍中央を荒らしまわっているのは、まだ年若い一組の男女であった。
『敵はたったの二人だっ!囲んで殺せ――ぎゃっ!?』
「…………」
明るい色合いの黒髪を揺らしながら二刀を振るう少女がいた。
彼女が腕を動かせば、手にする二振りの刀が生物のように蠢いては的確に兵士たちの命を摘み取っていく。
歴戦の兵士が一太刀も浴びせられない――どころか一太刀すら打ち合えないで切り伏せられている。
鎧袖一触――誰も少女に抗えない。ただ刈り取られていくのを待つばかりであった。
『くっ……女の方はヤバい!男の方を狙え――ッ!?』
「……確かに明日香はヤバいと僕も思うよ。けど、だからといって僕を舐めてもらっちゃ困るな」
少女――の姿をした修羅は危険すぎる。そう判断した兵士たちがもう一人の侵入者へと向かうのはある種自然ともいえた。
けれども少年の方も尋常ならざる者であった。
『グギャアア!?』
『馬鹿なっ、異なる属性の魔法を同時発動だと!?』
近づいた兵士たちは少年の周囲を漂ういろとりどりの光球によって迎撃された。
ある者は炎で焼かれ、ある者は氷漬けにされて絶命した。またある者は風の刃に切り裂かれて出血死してしまった。
ふざけるなと怒りを滾らせた剣は突如として隆起した地面が盾となって防がれ、間合いの長い槍を扱けば黒い靄が穂先を包み込んでへし折られてしまう。
ならば遠距離からだと弓矢を用いれば、突如として弓兵の眼前で圧倒的な光量が弾け飛んで眼を焼かれ、大地を転がる羽目になった。
それだけでも恐ろしいというのに、一番兵士たちを恐怖させたのは雷であった。
「〝天霆〟よ、敵を打ちのめせ!」
少年が、手にしていた剣を掲げれば、耳を劈く轟音と共に光が弾ける。
直後、周囲を取り囲んでいた兵士たちの頭上から雷撃が降り注いだ。
その威力たるや凄まじい――直撃を受けた兵士たちは倒れ伏すどころか五体がはじけ飛んでしまった。
肉片が飛び散り、肉を焦がす異臭が漂う。朱く染まった大地の中心で佇む少年の姿に誰もが畏怖を抱いた。
兵士たちは逃げこそしないものの、剣や槍を構えるその姿は及び腰であり、明らかに戦意が低下している。
その光景をまざまざと見せつけられた西方軍本陣は恐慌状態の一歩手前といった有様だ。
『何が起こっているのだ!?』
『お、お終いだぁ!もうどうにもできない!』
『馬鹿なことをぬかすな!こちらには二万もの兵がいるのだぞ!?』
そう、そこがアレクシアとしても信じがたいところだった。
西方軍本陣を守る中軍は二万もの歩兵で構成されている。そこにたった二人の人間が突っ込んだところで踏み潰される未来しかないはずだった。
しかし、現実には違う光景が広がっている。たった二人の、しかもまだ少年少女と言える年齢の男女が、長年訓練を積んできた精兵たちを蹂躙しているのだ。
「あり得ない……」
あり得ない――が、これは悪夢でも何でもない。ただの現実であった。
故にアレクシアは震えを押しつぶすかのように拳を握りしめると声を張り上げた。
「下がりなさい!わたくしが相手をしますわ!」
「お待ちください、アレクシア様!」
四騎士であるエレノアがいない以上、自らが前に出るしかない。そう判断したアレクシアが腰に吊るす魔剣の柄に手を置いた時、それを遮るようにして一人の女性が現れた。
ジル・ド・ヴィヌス――西方軍副司令官である。
「まだ緒戦、アレクシア様がお手を汚す場面ではございません」
「何を言いますの、だからこそあの者たちを早急に討たなければならないでしょうに」
戦は始まったばかり、まだ両軍の兵士が矛を交えてすらいない状態だ。
だというのに既にこちらの被害は甚大であり、しかもその先には少年少女を追いかけるようにして敵軍が向かってきている。
「一刻も早くあの者たちを討ち、態勢を整えなければ一気にこの本陣まで突破されるわ。そうなればわたくしたちの敗北だとあなたも理解できるでしょう」
どれほど数で勝っていようとも、総司令官を討ち取られれば戦闘の継続は不可能だ。
士気の急激な低下、指揮する者の不在は混乱を招き、敗走に至ることだろう。
そうなれば西域東部に居るエレノア大将軍が健在であっても西方軍は敗北する。
御旗であるアレクシア第一王女を失った西方軍に大義はなく、自然と瓦解することだろう。
このことはジルも分かっているはずだ。しかし彼女は首を横に振って進言してくる。
「おそらくあの二人は〝勇者〟でしょう。ならば当初の予定通り、魔法使いの部隊に相手をさせるべきです。一般兵を後退させ、魔法使いの部隊を前に出し、彼らが足止めをしている間に隊列を整えましょう」
西方軍が勇者対策として考案したのが、魔法使いの部隊に相手をさせるというものだった。
魔法という超常の力をぶつけることで勇者を足止めしつつその体力を削り、十分に疲弊した辺りで一般兵を投入し、数の暴力で首を取る。
いくら勇者の武威が圧倒的であっても所詮は人族、その体力に限界はあるはずだ。
無限に戦い続けられる者などいはしない。ならば兵力で勝るという点を活かして圧殺してやろうと考えたのだ。
それは軍議においてアレクシア自身も納得していたことだった。故に彼女は怒りを押し殺して大きく息を吐いた。
「……わかったわ、ジル。総司令官として命じます。兵を下がらせつつ魔法使いの部隊を出しなさい」
「はっ!」
ジルが茶髪を揺らしながら慌ただしく場を後にする。
あとに残されたアレクシアは怒りと畏怖を宿した紅眼で勇者と思しき二人の若者を見やるのだった。
*****
驚くほど冷静だった。
熱がないわけではない。己が内に眼を向ければ確かに燃え盛る戦意を感じることができる。
しかし思考は波立たない水面のように静かなもので、その黒眼は周囲のみならず遠く離れた場所まで見据えていた。
『し、死ねぇええええええ!!』
「うるさい」
冷徹な一言と共に右手を一閃、瞬く間に敵兵の首が空に舞う。
背後から迫ってきた者には左手の〝膝丸〟をお見舞いしてやれば、胴体から臓物を溢れさせて倒れ伏す。
すると今度は正面から無数の槍が突き出された。明日香はそれらを最小限の動きで捌いていく。
右手の〝髭切〟で穂先を軽く弾いて逸らす。横合いから速度をつけた〝膝丸〟で何本か切り飛ばしてやれば、敵兵は驚愕の表情を浮かべていた。
何がそんなに驚きなのか、無表情で首を傾げた明日香は軽やかにその場で回転――幾つもの首が打ちあがっては大地に転がって赤く染め上げる。
誰も少女に触れられない。圧倒的なまでの力量差に周囲で未だ息をしていた兵士たちは顔を引きつらせて後ずさった。
それらを眺めやった明日香は興味なさげにすぐ眼を逸らす。〝無〟を湛えた双眸が捉えたのは金髪紅眼の女性の姿。
「……見つけた」
獲物を発見した獅子の如く、その眼を細めた明日香だったが、直後戦場の変化を肌で感じ取って警戒を表情に浮かべた。
(兵が退いていく……?いや、代わりに魔力を多く宿した人たちが前に出てきた)
固有魔法によって鋭敏になっていた五感が魔力を感じ取った。明らかに一般的な人族の魔力保有量ではない。
泰然自若として二刀を手に佇んでいれば、前方から鎧姿ではない集団が姿を現した。彼らの手にあるのは刀剣類ではなく、木製の棒であった。それには見覚えがある。
(カティア先生も持っていた。魔法使いの得物――杖)
魔法使い。
それは常人よりも体内に保有する魔力量が多く、かつそれを放出する術に長けた者の呼び名だ。
常人では生活に使う程度の魔法しか行使できないが、魔法使いと呼ばれる者たちは戦闘用の魔法を行使できる。殺傷できるほど威力の高い魔法を放てるのだ。
故に誰もが魔法を使えるこの世界において、魔法使いはその有用性から特別視されている。戦闘用の魔法が使えるというのは、魔物という外敵が跋扈する世界にあって重要なことなのだから。
そして魔法使いたちは刀剣よりも杖を好んで使う傾向がある。
何故なら、魔法発現時に必要な魔力という〝力〟は、金属よりも木製の方が通りやすいからだ。杖に己が体内の魔力を流し、先端から放つことで〝魔力を放出する〟という過程を簡略化できる。そうして簡略化した分の空きを魔法を想像することに使える。この利点は非常に大きなもので、杖がない状態とある状態とでは行使した魔法の威力に三倍もの差があると言われていた。
(そういえば魔法使いの相手はしたことがなかったっけか)
未知の敵、常人ならば怖気づいてしまうところだが、あいにくと明日香は非凡なる者だった。
一般兵が周囲からいなくなるのを黙って見過ごした彼女は、一定の距離まで近づいてきた魔法使いたちを見つめる。その黒眼には無ではなく、興味深げな光があった。
「明日香!敵が下がったし、もうすぐ味方がやってくる。僕たちも一旦後退しよう!」
共に戦っていた一瀬勇もまた戦場の変化に気付いたのだろう。明日香の傍までやってきてそうまくし立ててきた。
けれども明日香は首を横に振って否定を表した。
「試してみたいことがあるんだ。ちょっとだけ残ってもいいかな」
「試してみたいことって……ああ、もう!仕方がないな!」
明日香の言葉に唖然とした勇だったが、彼女の瞳を覗き込んで諦念を示した。こうなった明日香が梃子でも動かないことを知っているからだ。
それにどのみちここで引き下がるのは不味い。敵の魔法使いたちから放たれた魔法を勇たちが何とかしなければ、すぐそこまでやってきている味方に被害が出てしまうからだ。既に魔法の有効射程距離まで自軍は迫っていた。
勇は神々しい剣を構えて七属性の魔法を周囲に展開させて言った。
「キミのことだ、どうせ魔法を迎撃するんだろう?なら僕はその撃ち漏らしを何とかする。それでいいね?」
「うん、ありがとう勇くん」
なんだかんだ言って一緒に残ってくれる親友に明日香は口元を僅かに緩めた。けれどもそれは一瞬のことで傍にいた勇も、明日香自身さえも気づかなかった。
「ふぅ――――――――」
明日香は二刀を携えた両腕をだらりと下げながら長い息を吐く。瞳を閉じて深く、静かなる境地へと至る。
その立ち姿は明鏡止水――澄み切った水面、雲一つない蒼穹を思わせる。
そして――、
「――放てッ!」
敵軍副官ジルの号令と共に魔法使いの部隊から一斉に魔法が放たれた。
火球、氷弾、雷撃、風刃――四大属性と呼ばれる基本属性の魔法が、色彩豊かに空を彩った。
西方軍の魔法使いの部隊は千人ほど。その内半数がこの場に集い魔法を放ったわけだが、それでも五百もの魔法が勇者たちに襲い掛かった。
「これは……っ!」
あまりの数、弾幕に勇が絶句してしまう。
されど、彼より二歩前に立つ少女は小動もしなかった。
左手に握っていた〝膝丸〟を地面に突き刺し、右手の〝髭切〟を腰に出現させた鞘に仕舞う。腰を落とし、左手を鞘に添え、右手をその柄にそっと置いた。
「居合か……?」
明日香は生家である江守家が代々子孫に伝えてきた江守流という流派において免許皆伝を会得している。その中において最も使用者が少なかったとされている二刀流を好んで彼女は使っているのだが、だからといって他の技が使えないわけではない。あくまで二刀流が最も得意なだけだ。
故に明日香が居合――抜刀術の構えをすることになんら不自然なことはない。しかし彼女は抜刀術をあまり使わない。かつて勇が聞いた理由は抜刀が難しいから、というものだった。
『抜刀時に間違った角度とか力加減で刃を鞘の中に当てちゃったりすると痛んじゃうからねー。それに下手したら指とか飛んじゃうし』
なんて笑いながら言っていたものだが、指が飛ぶのは笑いごとではないのでは……と当時の勇は思ったものだ。
そんなわけで、明日香はあまり居合を使わない。故にまさかこの土壇場で使用するとは思わなかった勇は驚いたというわけだった。
そして放たれた無数の魔法がある一定の距離まで迫った時――明日香は眼を見開いて。
「――鳶墜とし」
静謐な声音を世界に漂わせた――と勇が気づいた時には〝髭切〟は鞘から抜かれていて、明日香の姿勢はそれを振りぬいた後の状態だった。
轟――と剣圧が大気を揺らした。同時に凄まじい圧迫感が空間を軋ませる。
眼に見える変化は――と勇が困惑を浮かべかけた、その時だった。
「――――ッッ!?」
唐突に爆発音が響き渡ったことで勇は驚きに声を失った。
次いで眼前に広がった光景に驚愕の声を漏らす。
「ま、魔法が……全て爆発した?」
少なくとも勇の眼にはそのようにしか見えなかった。明日香が刀を振りぬき、直後に五百もの魔法が一斉に空中で炸裂したとしか。
されど、残心を終えた明日香が大地に突きさしていた〝膝丸〟を抜きながら否定したことで絶句することになった。
「違うよ、勇くん。全部私が撃ち落としたんだよ」
「――――――――はい?」
聞き間違えたかなと勇が首を傾げれば、明日香は泰然とした態度を崩さず言葉を続けた。
「鳶墜としっていってね。昔ご先祖さまが飛んでくる無数の矢を切り払う為に編み出した技なんだけど、それを私なりにアレンジしてみたんだ。抜刀時の刃に魔力を乗せることで斬撃範囲を拡大することでより多くの魔法を一度に切って捨てる。ほぼ同時に飛んできたことが良かったよ。そうじゃなきゃ全部撃ち落とすのは無理だっただろうからね」
とあっけらかんとして説明してくるのだが、正直なところ意味が分からないというのが勇の本音であった。
理屈はギリギリわからないでもないが、魔法を迎撃するのに魔法を使わず魔力を込めた刃で斬った、という点が異常すぎるからだ。
「……いくら魔力を込めた刀であっても、魔法は斬れない。僕はそうカティア先生やクロード大将軍から教わったけど?」
魔法にはほとんどの場合中心付近に〝核〟と呼ばれる魔力の塊がある。それが魔力を全体に供給することで魔法は発現、維持されるという仕組みになっている。逆にいえばその〝核〟がなければ魔法は発現できず消失してしまう。
故に理論上はその〝核〟さえ斬ることができるのであれば剣で魔法を迎撃できるとされている。しかしそれは不可能だ。
何故なら、〝核〟の大きさが砂粒ほどしかないからである。
一体どうやってその程度しかない物を――しかも魔力で覆い隠され、高速で飛んでくる物を――刀剣で斬ることができようか。
しかも今回の場合はそれが五百もあったのだ。飛んでくる速度やタイミングがほとんど同じだったとはいえども、それはほとんどでしかない。ほとんどということは若干の時間差があるということで、魔法を斬るなどという超常の技量が必要とされる行為においてその時間差は命取りとなる。
そういった事情から勇は信じられないと言いたげな視線を向けるも、明日香は軽く肩をすくめて見せるだけだ。
「でも、やってみたらできたよ」
もはや勇は何も言えず愕然とするだけだった。
それは敵側も同様だったようで、龍を直視したかのように畏怖を込めた視線を明日香に向けている。
『……〝剣帝〟――いや、〝剣姫〟だ』
誰がそれを言ったのかは定かではない。けれどもその発言は瞬く間に西方軍全体へと伝播していった。
『〝剣姫〟……悪神の子だ』
『に、逃げよう!勝てるわけがない……ッ!』
『化け物め……!』
魔法使いたちは刀剣では魔法を斬れないという常識を覆されたことで恐慌をきたしていた。その異様な雰囲気はたちまち遠目で見守っていた西方軍の騎士たちさえも飲み込んでいく。
そこに――、
『勇者さま方を援護しろ!!』
『反逆者共を蹴散らせッ!』
『〝剣姫〟さまだけに戦わせるな!我らの意地を見せるのだ!!』
――ついに追いついた中央、南方連合軍の中軍が襲い掛かったのだった。




