二話
続きです。
四大貴族に名を連ねるヴィヌス家は、国王より西方の運営を任されている大家だ。
その歴史を遡れば王妃を輩出したこともあり、二百年前の代では〝最後の聖王〟の側近として仕え、エルミナの改革に尽力したこともある。
そんな由緒正しき名家の本拠地の名はデュレ。安定した気候による小麦産業や農産物の生産、出荷によってエルミナ王国の食料自給を支えていた。またそういった経緯から膨大な富を得ているヴィヌス家が治めるこの街は大いに発展しており、西方最大の街として有名だ。
街を守護する城壁は常に手入れが行われているため破損などなく、巡邏する兵士たちの顔色にも疲労の影は一切見えない。
街往く人々は笑顔で満ちており不満など皆無といった様子である。統治者であるヴィヌス家の歴代当主が民衆の生活水準を豊かにすることに尽力していることで誰もが安心して暮らせているからだ。現にこの街には貧民街がなく、どのような者であっても何かしら仕事を得ることができるようになっている。
そういった背景から活気に満ち満ちるのがデュレの街の普段の姿――なのだが、今日は何処か違っていた。
その原因は街の南門前にあった。
万を超える兵士たちが集っており、彼らが身じろぎするたびに鎧が擦れて金属音が発せられている。武官特有の物々しい雰囲気が南門周辺に満ちていて、それを察知した街の人々は自然と声を潜めて身を小さくしているのだ。
『なんだなんだ、うちの領主様はどこかと戦争でもする気なのか?』
『お前、知らないのか?この間、魔道通信機で声明発表があっただろう』
『ああ、確かオーギュスト殿下が国王陛下を幽閉してるだとか、他の王族の方々が立ち上がっただとかいう……』
『そうさ、それで領主様――ジル様が支持するアレクシア殿下が西方全域に呼び掛けて兵を集めたんだよ』
っと噂をすれば……と民衆が視線を向けた先――南門の上に複数人の姿が現れた。その中から金髪紅眼の女性――アレクシア第一王女が進み出て地上を見下ろした。
するとざわめきが生まれるも、彼女がすっと片手を横ないだことで沈黙する。
「――騎士の方々、よくぞわたくしの下に集ってくださいました。本当にありがとう」
才気にあふれる声が風に乗って届きわたる。
揺れる金の長髪をそっと片手で押さえたアレクシアは残る右手を前に出した。
その姿はまるで演劇の主役の如く洗練されていて美しいものだった。
「今日、こうして皆さんを集めたのには理由がありますわ。皆さんもご存じかと思いますが、我が兄オーギュスト第一王子が不遜にも国王陛下を軟禁し、アルベール大臣と共に権力を欲しいがままにしています。それをわたくしは止めたい……いえ、王族として、一人の臣下として止めなくてはならないと思ったからです」
悲壮な決意を秘めるヒロインのように、その表情や仕草は真に迫るものがあった。
それ故に兵士たちは自らが姫を守り救う騎士であると心を奮い立たせる。
「もう一人の兄であるルイ第二王子もわたくしと同じ想いの元、立ち上がってくださいました。国王陛下をお救いし、中央の臣民をオーギュスト第一王子――いえ、逆賊オーギュストとアルベールから解放するために!」
そう告げるアレクシアの目元には涙すら浮かんでいて、そんな王女の姿に今や兵士たちはくぎ付けであった。遠く離れた地にいるオーギュスト第一王子やアルベール大臣に怒りを覚えたのか槍を握る手を震わせる者すらいる。
「ですがわたくしには何の力もありません。逆賊オーギュストのような権力も、兄ルイ第二王子のような武力も」
ですからどうか――と大仰に両腕を広げて希う。
「皆さんの力を、どうかわたくしに貸していただきたいのです。中央と南方より迫り来る逆賊オーギュストの差し向けた軍勢を打ち破り、王都を奪還し、国王陛下をお救いするために!」
『『『オォオオオオオオオオオ――――!!』』』
アレクシアの願いは大音声によって聞き届けられた。
熱狂する兵士たちは槍を、盾を、剣を天に掲げて賛意を表す。
そんな兵士の姿にアレクシアが感謝の言葉を何度も発すれば、歓声はさらに高まりを見せた。
それからある程度の時期を見計らって脇へどけると二人の女性が前に進み出てくる。
兵士たちにとってはどちらも見知った顔――特に白き鎧を身に纏う方は武官であれば知らぬ者がいないくらい有名で、どよめきが沸き起こった。
「今回、わたくしの理念に賛同してくださったお二人を紹介いたしますわ。四大貴族、ヴィヌス家が当主ジル様――」
アレクシアの紹介に茶髪茶眼の女性――ジルが頷いて一言発する。
「国王陛下からこの西方を任されているジルだ。私はアレクシア様のことを王立軍学校の頃から知っているが、とても正義感にあふれ、また慈悲深いお方であることを保証しよう。アレクシア様の想いは本物だ……そう知ったからこそ私はここにいる。この場に集った皆もまた同じであると私は信じよう。以上だ」
二十二歳という若さで当主の座に就いたジルは真面目かつ勤勉だと有名であり、そんな彼女の言葉には説得力があった。
わき起こる拍手にしばし口を噤んでいたアレクシアだったが、頃合いを見計らってもう一人に手を向ける。
「――そして我が国が誇る護国の騎士、偉大なる〝四騎士〟の一人であるエレノア様です」
その名はジルよりも有名だ。エルミナ王国に四人しか存在できない武官の頂点である大将軍の位に座する女性。他の大将軍――クロードやクラウスのような固有魔法や神剣を所持していないにも関わらず大将軍となった彼女は兵士たちから羨望と尊敬を同時に受けている。特別な〝力〟がなくても大将軍になれるのだという生きた証であるからだ。
そんな〝四騎士〟の一人である女性――エレノア・ド・ティエラ大将軍は生真面目な表情で言葉を発した。
「紹介に預かりましたエレノアと申します。私もまたジル殿と同様、アレクシア殿下の大義に強く惹かれた者の一人です。殿下が大業を成す、その手助けを微力ながらさせて頂きたいと思います」
ジルよりも短い自己紹介ではあったが、その声音に含まれる確かな意思は明白で、兵士たちはこれまた歓喜を以って応えた。
当たり前だ――何せ西方における四大貴族家の当主と、エルミナ最強と名高い〝四騎士〟の一人が参陣するのだ。むしろこれで喜ばない方が不自然といえよう。
「お二方を始め、多くの貴族諸侯の方々もお力を貸して頂けるとのことでした。本当に感謝の念が尽きません」
一拍置いて目を瞑ったアレクシアは息を整え、再び紅眼を開いて言った。
「共に参りましょう。わたくしと共に、王道を!」
告げ終われば再び沸き起こる大歓声。
眼下に広がるその光景に、アレクシアは堪らず呟いた。
「ふふ……なんとも単純ですわね」
先ほどまでの聖女のような声とは違う禍々しい声音は、誰の耳にも届くことはなかった。
*
……それからゆったりとした足取りで南門から降りて馬車に乗り、領主の館へと向かう。
賛同してくれた貴族諸侯を交えた軍議に出席するためだ。
けれどもその途中、ある気配を察知したアレクシアはジルたちを先に行かせると、階段を登って滞在するにあたって宛がわれていた自室へと向かう。
護衛の兵に廊下で待つよう告げて室内へと入れば、背後でひとりでに扉が閉まった。
「……これから重要な軍議があるのだけれど」
「おや、それは申し訳ないことをしましたねえ。どうかお許し願いたい」
アレクシアしかいないはずの部屋に別の声が生まれた。
声を頼りに窓際へと視線を向ければ、そこには外套を身に纏った人物が泰然自若として立っている。
明らかに不審な者であったが、その正体を知っているアレクシアが取り乱すことはない。
「それで、神出鬼没のあなたが一体何の用かしら?まさか門出を祝いに来た……なんて言わないでしょうね」
「おっと、流石はアレクシア殿下。私が言おうとしていたことを言い当てるだなんて」
「……わたくしは忙しいといったつもりなのだけど?」
飄々とした態度は何時ものことではあったが、これから軍議を控えている身としては苛立ちの一つも覚えようものだ。
アレクシアが声を落とすと、それに気づいた外套の人物は肩をすくめて見せた。
「怖い怖い、そう睨まないでくださいよ。力を求めたあなたさまに〝魔〟を与えたのが誰なのか、お忘れになりましたか?」
「……その件については感謝していますわ。でも、だからといってわたくしがへりくだるとでも?」
「いえいえ、そのようなことは決して。ですが、あなたさまはあの時、いつか恩を返す――とも仰られていたと記憶しておりますが?」
殺気をぶつけてもまったく態度を変えない相手に深く嘆息したアレクシアは、腰に手を当てると尋ねた。
「何が望みなの?」
「オーギュスト第一王子がこちらに差し向けた軍勢の中に〝勇者〟と呼ばれる少年少女が四人混じっております。その中の一人、中央から進軍中の黒髪黒目の少女――名前はヒヨリ・アマジキと言うんですけどね。彼女の身柄を譲ってもらいたいんですよ」
「……一人だけ?どうせなら四人とも欲しいのではなくて?」
意表をつく願いだっただけに、アレクシアが怪訝そうに問えば、相手は外套を揺らして首肯した。
「ええ、彼女だけで構いません。二兎追う者一兎も得ず、とも言います。私は慎重なんでね」
「わたくしに接触しただけにとどまらず〝堕天〟すら勧めてきた人物の台詞とは思えませんわね」
おそらく本心からの言葉ではないだろう。しかし追及しても相手はのらりくらりと躱すだろうし、そのような時間もない。
アレクシアは息を吐くと了解を示した。
「いいですわ。その〝勇者〟の少女は生かして捕らえるよう兵に厳命します」
「ありがとうございます、殿下。それでは私はこれにて……」
「ええ、さっさとお行きなさいノンネ」
シッシと片手で追い払うような仕草をすれば、女性――ノンネが外套の奥で笑みを浮かべた。
「――ああ、最後に一つだけ。お体の調子はいかがでしょうか?」
その言葉にアレクシアは自信に満ちた表情を浮かべて答えた。
「最高よ。〝なりそこない〟のような失敗作やルイのような〝半端者〟とは違ってね」
「……そうですか、それはようございました」
ノンネは哀れみがこもった視線を向けるが、外套に覆われているためアレクシアが気づく様子はない。
されど、湧き上がる愉悦に笑い声が漏れそうになったので、早々に立ち去ることを決めて背を向けた。
「では――……」
そして室内からノンネは去った。
彼女が立っていた窓辺を見やりながらアレクシアは憎々しげに口端を下げる。
「狗風情が……いい気に乗らないことね」
それから視線を掌に落とせば、紫光が皮膚から発せられていることに気付く。
「玉座に至るのはオーギュストでもルイでも、ましてやシャルロットなどという不出来な妹でもない」
光を握りつぶして、烈々たる眼光を発する。
「――このわたくしよ」




