十七話
続きです。
時は僅かに遡る。
夜光がクロードを投げ飛ばした――その光景を見つめていたシャルロット達を眺める影があった。
「ふむ、少しばかり厄介ですねえ」
バルト大要塞の中央正門、その胸壁に立つ第三王女らから少し離れた位置でノンネはそう呟いた。
彼女は堂々と第三王女と同じ胸壁に立っていたが、その姿が見咎められることはない。
何故なら彼女の姿は透明だったからである。
(神剣〝聖征〟……空間に干渉する〝神権〟を有しているあの槍の前では、これ以上の接近は気取られる危険性がありますね)
ノンネが所持する〝力〟も同じく空間に干渉できるものの、同種の〝力〟を相手にするとなると彼女の思う通りにはいかないだろう。
であればどうするか。答えは簡単だ。
ノンネは懐を漁り――小型の箱のような物を取り出した。
それは彼女の主から借り受けた魔道具でありこの世界においては貴重な代物といえる物である。
(試作品と言ってはいましたが……さてどうでしょうか)
ノンネは取り出した箱――〝携帯魔道通信機〟を起動させると小声を発した。
「準備はよろしいですか?そろそろ始めていただこうかと思うのですがね」
すると通信機から反応が――声が返ってくる。
『全て完了しております、ノンネ様。何時でも始められます』
「では早速始めてください。後は手はず通りに」
『畏まりました』
通信先の相手から望む答えが返ってきたことでノンネは外套の裏で口端を吊り上げる。
その瞬間――大きな揺れが胸壁を襲い、その場にいた者たちが騒然とする。
「な、なんだ!?何事だ!?」
『地下です、クラウス大将軍!地下牢で爆発が!』
「なんだと?わけわかんねえが……すぐに向かうぞ!テオドール先輩、姫殿下をお願いできますか」
「任せておけ。お前は異変に対処するのだ」
ノンネが眺めているとクラウス大将軍が今の揺れの原因を探るべく兵を連れて要塞内へと姿を消していった。
「ふふ……なんとも甘い判断だ。これが天下の四騎士ですか、呆れを通り越して笑いがこみ上げてきますよ」
嘲笑するノンネだったが、これは彼女の思惑通りの展開。故に不満はない。失望はするが。
クラウス大将軍がいなくなった今、第三王女の傍には護衛の兵が五人と東方における四大貴族ユピター家当主の姿しかない。
(テオドール・ド・ユピター、先代〝王の剣〟ですか……一線を退き〝王剣〟を所持していないのであればさほど気にする必要はありませんかね)
そう判断した彼女が何もない虚空に手を突き出せば一本の短杖がどこからともなく現出した。
その短杖の先端を護衛の兵士に向けたノンネは穏やかな口調で告げる。
「さあ惑いなさい、泡沫の夢に」
――幻化
その言葉が彼女の口から飛び出た瞬間――世界は変革した。
否、正しくは兵士たちの世界が変貌した。
第三王女の傍に控えていた五人の兵士たち、彼らは一斉にガクリと項垂れるとそのまま微動だにしなくなる。まるで壊れた機械のようなその姿は異常の一言――ではあったが、眼下で繰り広げられている二人の男たちの戦闘を眺めている第三王女とテオドールは気づかなかった。
(さて、行きますか)
ノンネは笑い声をかみ殺すと徐に歩き出す。堂々と、大胆に歩を進めていくが誰も気づかない。
そして第三王女の後ろまでやってきたノンネは手にしていた短杖を少女の頭部へと向ける。
(あなたに恨みはありませんが……これも致し方のないこと。殺伐とした世の無常と思いなさい)
憐れみを込めた視線を向けながらノンネは第三王女を殺害しようと口を開き――、
「――何奴!」
――横合いから繰り出された剣閃に反応して飛びずさった。
しかしあまりにも急な攻撃だったため、完全に避けることは叶わずノンネが纏っていた外套の一部が切り裂かれてしまう。と、同時に透明化が解けてしまい、彼女の姿が外界に晒された。
唐突な展開だったにも関わらずノンネは不敵な笑みを消さなかった。それどころか瞬時に体勢を整えると第三王女に向かって短杖を向けて魔法を繰り出した。
「風よ、切り裂きなさい」
すると周囲に存在していた風が凝縮し刃を形成、第三王女を切り刻まんと突き進んだ。
しかしそこに先ほどノンネの奇襲を防いだテオドールが介入、同じく風魔法を放って相殺する。
彼の背後では異変に気付いた第三王女――シャルロットが振り向こうとしていた。その前に、とノンネは床を蹴ってテオドールに肉薄、されど相手の反応速度は尋常ではなく、ノンネの動きについてきて手にしていた直剣を振るった。
「もらったぞ――何っ!?」
「残念、それは幻ですよ」
テオドールが放った一撃はノンネを捉えたかに見えた。しかし不可思議なことに直剣が彼女の身体に触れた瞬間、その身体がまるで霧のように霧散してしまう。
次いで女性の笑い声がテオドールの耳朶に触れ――同時に脇腹に強烈な一撃を貰ってしまい吹き飛ばされた。
その光景を見たシャルロットが悲鳴を上げる。
「きゃあっ!?」
「ぐ、う……何者だ、貴様ッ!」
「へえ、喋れるんですか。内臓を破壊する気で蹴ったんですがねえ」
予想に反して頑丈なテオドールに感心した風に言ったノンネだったが、そんな場合ではないかと彼から視線を外して第三王女を見やる。
金髪碧眼がよく似合う少女だ。未だ幼さが残るが、少女から女性へと成長する過程のその曖昧さはある種の美しさと背徳さを感じさせる。今ですらこれなのだから、成長したら一体どうなるのか……気になったノンネだったが、すぐさま首を横に振った。どうせ今から殺すのだから成長も何もないと思ったのである。
「さて、思わぬ横やりが入りましたが……死んでいただけますか、シャルロット第三王女?」
「あ、あなたは一体……」
ノンネが放つ異質な気配に気圧されたシャルロットが後ずさる。しかしその背後には逃げ場などない。落下して死ぬだけだ。
弱者を狩る瞬間、相手が浮かべる恐怖はノンネの好むところだった。故に彼女は怯えをにじませるシャルロットに興奮を覚えながらも目的を果たすべく短杖を向けた。
「では、さようなら。世間知らずのお姫様」
その時だった。
「俺の主に手出してんじゃねえよ」
男の声が響きわたり、次いで肌を突き刺す殺気がノンネを襲った。
*
正体不明の外套の人物に向かって容赦なく蹴りを繰り出した夜光だったが、それは空振りに終わってしまう。相手の頭部に夜光の足が当たった瞬間、その身体が溶けるように消えてしまったからだ。
しかし攻撃で負傷させるのはあくまでおまけ、本命であるシャルロットの救出には成功した。
「無事か、シャル!」
「は、はい。わたしは大丈夫です。ですがテオドールさまが!」
夜光たちから少し離れた位置に出現した外套の人物に〝天死〟を向けながらちらりと脇を見やれば、床に倒れ伏すテオドールの姿を認めることができた。
「テオドールさん!?」
「わ、私は無事だ。……私よりも姫殿下をお守りすることを優先するのだ」
その言葉に少なくとも生きてはいることを知った夜光は安堵の息を吐く。次いで殺気立った眼を外套の人物に向ける。
「誰だか知らないが……王族を襲ったんだ。その首ここで刎ねられても文句は言えないぞ」
「おお……なんという殺気でしょうか。流石は〝王〟、実に素晴らしい」
「は?」
夜光から明確な殺意を受けた――にも関わらず外套の人物は何故か興奮しているようだった。
薄気味悪いと感じたが、さっさと殺せばいいかと気持ちを切り替えて腰を落とした。
臨戦態勢――見て取った外套の人物は大仰な仕草で一礼してのける。
「おっと失礼、あなたさまの殺気がとてもそそるものだったのでつい……〝王〟の御前での無礼、何卒お許し願いたい」
「何を言っているのかさっぱりなんだが……とりあえず死ね」
と有無を言わさず夜光はとびかかった。その勢いのまま〝天死〟を振り下ろせば、やはり先ほどと同じく相手の姿が溶け消えてしまう。その姿は見えなくなっていた。
けれどもそれは右眼で見た光景で、左眼――〝死眼〟が映し出す光景では後方に跳躍する相手の姿が〝視〟えていた。
故に夜光は着地した直後にすぐさま刺突を放った。これには相手も驚いたのか、目を見開きながら身体をのけぞらせて回避する。
追撃しようとした夜光だったが、横合いから銀閃が迫ってきたことで〝王盾〟で防ぐ。これによって相手が体勢を整えてしまった。
「ち、護衛の兵士たちが……どうなってるんだ?」
介入してきたのはシャルロットを守護するはずだった護衛の兵士五人だった。どういうつもりなのか、夜光がにらみつければ彼らの表情が虚ろなことに気付く。
(なんだ、裏切ったというよりは……操られてるのか?)
どうにも動きが奇妙だ。まるで壊れかけの機械のようなぎこちない動きをしている。
おかしいと夜光が怪訝そうに観察していれば、外套の人物がこちらに声をかけてきた。
「いやはや、驚きましたよ。まさか〝幻化〟がきかないとは……いや、ただの感、という可能性もあるか…………その辺、どうなんでしょうかねぇ」
「知るか、それよりお前、兵士たちに何をした?」
「おや冷たい。それもまた良いものですね。――ああ、兵士ですか?彼らには〝夢〟を見ていただいているだけですよ。命に別状はありませんとも。もっとも、あなたさまが殺さなければ、の話ですがねぇ」
クスクスと嗤う外套の人物に夜光は苛立った眼を向ける。既に〝天死〟の〝神権〟である〝全治〟によって回復していた黒瞳に射抜かれた相手は、それでも嗤うのを止めない。
「ふふふっ、ああ、なんとも恐ろしい!新たなる〝夜の王〟は先代と違って実に好戦的なお方のようだ」
奇妙な単語を口走る外套の人物はですが、と左手――人差し指を振った。その挑発的な仕草に夜光は口端をひくつかせる。
「所詮は生まれたて、赤子にすぎません。〝王権〟の一割すら掌握していない今のあなたさまでは、私を殺すことは不可能ですよ」
「……不可能かどうか、試してみようじゃないかッ!」
度重なる挑発に激発した夜光はそう叫ぶと床を蹴った。相手の眼前まで迫ると身体を捻り――勢いよく〝天死〟を振りぬく。
しかしまたもや白銀の刃は空振りに終わってしまい――、
「は、同じ手が何度も通じると思うなよ。〝視〟えてるんだよ!」
「おっと――っ!?」
ダンッ、と激烈な音を鳴らしながら床を踏みしめた夜光は、〝天死〟を投てきした。その一撃は相手が間一髪のところで身をひねったことで身体には当たらず、代わりに身に纏っていた外套を吹き飛ばした。
それによって隠れていた相手の姿があらわになり、その奇妙な容姿に夜光は眉根を寄せた。
「……この姿はあまり見せたくなかったんですがね」
そう言う相手の姿はこの世界観には似つかわしくない、と夜光が思うほど浮いていた。
ぴっちりと全身に張り付く黒い服、それはまるでライダースーツのようだった。けれどもこの世界にそのような物があるはずもないから何か夜光の知らない衣装なのだろう。身体の輪郭がはっきりとわかるその服を見れば胸元のふくらみから相手が女性だと察することができる。
それだけでも異質なのに、さらに奇妙なのはその顔だ。その顔には白い仮面がつけられており、素顔を拝むことはできない。だが、全身を覆う黒服と対照的な白仮面という組み合わせは何処か不気味さを感じさせるものだった。
その異様な姿に夜光が黙っていると、女性がこちらを見やってきた。
「ふふ、私の姿に見惚れましたか?」
「……気味が悪いと思っただけだ」
「おやおや、素直じゃないですねぇ。……それよりも」
と言った女性が夜光の顔を――正確には眼帯に覆われた左眼を指さしてくる。
「何故〝曼陀羅〟の〝力〟が効かないのか、ようやくわかりましたよ。いえ、思い出した、というべきでしょうか」
「なに……?」
夜光が怪訝そうにすれば、女性は興奮したように声を大きくしながら言ってくる。
「天獄の門を開く者――〝夜の王〟の〝眼〟のことを失念していました。その眼帯に隠された〝眼〟はかの有名な〝三種の魔眼〟の一つ〝死眼〟でしょう?」
「…………何故それを?」
知っているはずのないことを知られている――その事実に夜光が警戒心を強めれば、女性は喜劇のような大仰な手ぶりで天を仰ぐ。
「ふふふ、我が〝王〟から聞かされておりますのでね。それに〝三種の魔眼〟はこの世界に住まう者なら大抵は知っているのですよ」
〝三種の魔眼〟。
〝三種の神眼〟と対になる存在として広くその存在が知れ渡っている特殊な〝眼〟のことだ。しかしかつて〝英雄王〟が所持していたとされる〝冥眼〟以外の二つは名前こそ伝わっているものの、どのような色をしていたのか、どのような能力を有していたのかなどが失伝してしまっている。
加えて夜光は眼帯によって〝死眼〟を隠している。なのに何故分かったのか。
「答えになってないな。俺はどうやって〝死眼〟だと特定できたのかを聞いているんだが?」
「言ったはず、それはあなたさまが〝夜の王〟だからですよ」
「……〝夜の王〟?」
聞いたことのない単語だ。
夜光が理解していないことに気付いたのだろう、女性はまたしても大仰な仕草で嘆くように仮面に覆われた顔を手で覆った。
「ああ、やはりそうだったのですか。あなたさまは何も知らずに〝継承〟を――あるいは〝簒奪〟をしてしまったのですね。まったくもって嘆かわしい」
「…………」
一体何を言っているのか、心底理解できないでいる夜光に、女性は肩をすくめて見せた。
「〝王〟としての使命も、責任も、力も――何一つとして知らない哀れなあなたさまを相手にしてもつまらない。ここは退くとしましょう。〝征伐者〟も戻ってくる頃合いですしね」
その言葉に夜光が五感を研ぎ澄ませれば、こちらに接近する強大な〝力〟を感じ取ることができた。この気配には身に覚えがある。クラウスの所持する〝聖征〟の波動だ。
ならば逃がすわけにはいかない。相手は確かに異質な力を所持しているらしいが、クラウスと二人で共闘すれば捕らえることができることだろう。しかも戦闘が長引けば要塞内にいる兵士たちや、今もこちらに向かってきているであろうクロードも合流するはず。そうなれば確実に勝てる。
そう判断した夜光がじりじりと距離を詰め始めれば、女性は慇懃に一礼をした。
「ではまたお会い致しましょう。次に会う時までにはもっと〝深み〟に達していてくださいね。でないと――つまらなさすぎて今度は殺してしまいそうです」
「……逃がすと思うか?」
「逃げさせて頂きます。あなたさまのご意思は関係ありません」
次の瞬間、夜光は全力で床を蹴った。その凄まじい力に床石が耐え切れずに破砕する。
眼にもとまらぬ速度で肉薄した夜光は〝天死〟を女性に突き刺す――が、今度は〝視〟えていたにも関わらず攻撃が当たらなかった。
まるで空気に溶けるかのように姿を消した女性。その声だけが残り香のように夜光の耳朶に絡みついた。
「ふふ、あなたさまの殺気はとても激しかったですよ。久しぶりに興奮してしまいました。またお会いする時にもその殺気を私に向けていただきたい。よろしくお願い致しますよ――」
――〝白夜王〟さま
後には何も残らない。ただ奇妙な静寂があるだけ。
テオドールも、シャルロットも何も言ってこない。しかし彼らは一様にある言葉を、その意味を思い浮かべていた。
――〝白夜王〟
かつて世界に〝明けない夜〟を齎した〝王〟の名だった。




