十五話
続きです。
エルミナ王国東方において最大の都市はどこか?そう問われた時、人は二つの名を上げる。
一つは立地条件の良さから交易によって栄える町ヒュムネ。魔導技術が発展し、飛空艇という物が生み出された現在であっても大多数の人は馬を用いて旅をする。陸路での交易が続いている以上、この町は栄華の中に居続けるだろう。
そしてもう一つがシュタムである。この町は東方を運営する四大貴族ユピター家の本拠地であるが故に多くの人が集まる場所である。大貴族の庇護下にあるシュタムはヒュムネに負けず劣らずといった繁栄ぶりを誇っていた。
故に町の城門は連日のように込み合っており、人々の活気ある声が響き渡る場所――されど今は奇妙な雰囲気に包まれていた。
城門は平時と同様に開け放たれているが、その前には無数の兵士が立ちふさがっている。胸壁も同じくであり、彼らはシュタムの町を警備する衛兵であった。
そんな彼らと対峙しているのは百ほどの武装した者たちだ。一様に纏う白き鎧は栄えある王都守備隊の証。普通であれば敬意を以って町の衛兵に迎え入れられる彼らだが、そうもいかない理由があった。
『だからさっさと中に入れろって言ってるだろ。これは王命だぞ!』
『お待ちください。只今領主であらせられるユピター卿がいらっしゃいますので』
王都守備隊――栄光ある存在にも関わらず荒い言葉使いで道を開けろと要求している。行方不明のシャルロット第三王女捜索の任で訪れたというのが彼らの主張だが、町を守る衛兵としては領主であるテオドールが下したこの場での待機という命令を無視するわけにはいかない。それ故の押し問答であったが、王都守備隊の中から一人の人物が進み出てきたことで状況に変化が訪れた。
『くそ、いいからさっさと――』
「よしなさい、そう喚いてはみっともないですよ」
『の、ノンネさん……』
あれほど怒鳴り散らしていた男が軽口を叩かれて委縮してしまった。その事実に衛兵は前に出てきた外套の人物は身分が高いのではないかと考えて身構える。
そんな衛兵たちを見回す外套の人物。声から女性であることは察せられるがフードを深々と被っているためその素顔を知ることはできなかった。
「さて、我々は王命を受けてここまでやってきたわけなのですが……どうしても通して頂けないというのでしょうか」
『……申し訳ございません。ですが我々とてこの町を護るという任に就く者、ユピター卿のご命令に背くわけにはいかないのです。どうかしばしお待ちを』
そう告げる衛兵の表情は硬い。理由は言葉にした通り主であるテオドールの命令に逆らえないことともう一つ、先ほどから王都守備隊に勅書を見せるよう要請しているにも関わらず彼らがそれを出してこないからだ。
本当に王命ならば勅書を持っているはず。だというのにそれを見せないというのは不自然だ。故に衛兵は相手が嘘を吐いているのではと警戒していた。
「そうですか。それならば致し方ありませんね。では、我々はここで待つと致しましょうか」
『ノンネさん、本気ですかい』
と抗議の声を上げる守備隊の男にノンネが近づく。耳元で何やら二言三言囁けば男は満足げに何度も頷いた。
その表情は喜色――故に衛兵は警戒を強める。そんな彼らの前までノンネがゆったりと歩み寄る。
次いで右手を上げる――と、唐突に何もなかった掌に一本の短杖が現れた。見た目は只の木の枝――されど不可思議な粒子を放っており、独特な雰囲気を醸し出している。
全身を外套で覆っていることも相まって奇怪な空気が生み出された。それに気圧されたのか、衛兵は僅かに後退してしまう。
そんな彼らの様子が可笑しくて、ノンネは微笑みながら言葉を紡いだ。
「ふふ、そう怖がらなくても良いのですよ。私にあなた方を傷つける意図はありませんから」
言って、手にした短杖を軽く振るう。
「ただ――泡沫の夢に微睡んでいただくだけです」
――幻化
ノンネが短杖を振るった瞬間、明らかに空気が変わった。
衛兵たちは一様に胡乱な目つきになり、だらりと手を下げる。その拍子に手にしていた槍が地面に落ちてしまった。
無言で佇む彼らを見てノンネの背後にいた王都守備隊――に化けていた者たちが賞賛の声を上げた。
『はは、流石はノンネさんだ』
『それにしても凄い魔法だよな。俺たちの姿を王都守備隊に見せたり、こうして連中を無力化するなんてよ』
そう騒ぐ彼らは王都守備隊などではない。ノンネによって雇われたごろつき――近くの山を根城に活動している山賊団であった。
そんな彼らに向かってノンネは声をかける。
「では皆様、存分にお楽しみください。おっと、言っておきますがユピター家の当主だけは生け捕りでお願いしますよ」
『わかってるって、任せとけよ』
ノンネに笑いかけた男――山賊団の団長は部下たちに向かって声を張り上げた。
『お前ら、ノンネさんの言葉は聞いてたな?いけ好かないお貴族様は生け捕り、他は好きにしていいとよ』
団長がそう言えば、男たちは下卑た笑い声を上げる。
『やったぞ、久々に女にありつける!』
『俺は金だな』
『馬鹿だな、どっちも奪えばいいんだよ』
『へへ、そうだな』
既に城門――南門に居た衛兵はノンネによって無力化された。残るは他の城門を守護する衛兵と町中を警邏する衛兵だが、前者はノンネが無力化してくれる手はずとなっている。
となれば残るは後者だが、その数は多くはない。少なくとも自分たちよりは。故に山賊たちは楽観的に略奪のことだけを考えていたのだ。
士気が高まる山賊たちに道を譲るように脇に避けたノンネは大仰な仕草で町を指し示した。
「では皆様――良いお時間を」
『言われるまでもねえ。行くぞ、野郎ども!』
『おうっ!!』
欲望を滾らながら城門を駆け抜ける山賊たち。それを見送りながらノンネは嗤った。
「これだから人というものは面白い」
*****
シャルロットが支度を終えて館の玄関まで出てきた頃には夜光たちも準備を整えていた。
意識していなかったが故に夜光は気付いていなかったのだが、身に纏っていた学生服は至る所が破けており、それを指摘したテオドールが新たな服を用意してくれたのだ。彼曰く「守護騎士がそのような身なりでは姫殿下が笑われてしまう」とのことだった。
基本身なりに頓着しない夜光からしてみれば、そうか?という思いだったが、そのように力説されてしまえば従うほかない。別段、断る理由もなかったという心境もあったが。
「ヤコーさま、テオドールさま。お待たせしました」
夜光とテオドールが〝王盾〟について話し合っていた時、シャルロットがやってきた。
その声に二人が振り返れば、階段を降りてくる金髪の少女の姿を認めることができる。
「…………」
「どうかしましたか、お二人とも」
首を傾げるシャルロット――その仕草がこれほど様になる人物を他に夜光は知らない。
身に纏う衣服はおそらく侍女から借りたのだろう。庶民的な装いだったが、それがかえって元の素材の良さを引き立てている。
なるほど、〝王国の至宝〟と呼ばれるわけだと夜光は自然と頷いていた。同時に更に成長したらどうなるのかと空恐ろしい気持ちを抱いてしまう。これでもシャルロットはまだ十四歳、まだまだ成長の余地がある。更にその美貌に磨きがかかったのなら一体どのような輝きを魅せてくれるのだろうかと期待してしまう。
「ヤコーさま?」
「……はっ!い、いやなんでもない。じゅ、準備もできたことだし行くとするか」
「そうだな。では姫殿下、参りましょう」
夜光が誤魔化すように言えば、テオドールが同意を示してくれる。
そんな二人の様子に首を傾げたシャルロットだったが、まあいいかと追及せずに彼らの後に続いて外に出た。
瞬間――、
「な、なんだこれは……!?」
――鼓膜を揺さぶったのは人々が上げる悲鳴、視界に映り込んだのは炎上する家屋だった。
唖然とする面々、前方から馬を操ってやってきた一人の衛兵によって我に返った。
『て、テオドール様!!』
「一体何事だ!?」
『み、南門から山賊どもが……奴ら町を襲って…………』
全速力でここまで来たのだろう、馬から転げ落ちるように下馬し息を切らす衛兵の言葉は途切れ途切れだった。
しかし言葉の断片から何が起きたのかを理解することはできた。テオドールは南門の兵は何をやっていたのかと怒鳴りそうになる己を律して共にいた護衛の兵士に声をかける。
「この者に水を、それから町内全域に警報を発令せよ。全ての兵にこの館前に集まるよう各方面に伝達するのだ」
混乱し状況がはっきりしない場合、むやみに戦力を分散するべきではない。それでは各個撃破の憂き目にあってしまうだけだ。ならば一旦全戦力を集結させ、情報を集めて現状を把握した後、しかるべき対応をするべきとテオドールは考えたのである。
「姫殿下、申し訳ございませんが館にお戻りください。この場にいては危険が迫るやもしれません」
「いえ、わたしは行きます。一人でも多くの民を救うために」
シャルロットに退避を促したテオドールだったが、当の本人は首を振って拒否を示す。これには進言したテオドールも、傍に控えていた夜光も唖然とした。
動揺する二人に向き直ったシャルロット、その碧眼には確固たる意志が宿っている。
「わたしは王族として今、まさに苦しんでいる民を見捨てるわけにはいきません」
「……危険です、姫殿下。それに混乱する町内に姫殿下お一人が向かわれたところで何ができるというのですか」
辛辣な物言い――王族に対して不敬ともとれる発言だが、それは彼女を想っての言葉だ。それをわからぬシャルロットではない。しかし彼女は引き下がらなかった。
「それでも、きっと何かはできるはずです。わたしが向かうことで一人でも多くの民を救えるのなら――わたしは躊躇いません」
そして次の瞬間、シャルロットは報告にきた兵士が乗っていた馬に跨り町内へと去ってしまう。あまりに唐突すぎる動きに誰一人として反応できなかったが、真っ先に夜光が我に返って。
「――テオドールさんはこのままここで指示を出してください。シャル――ロット殿下は俺が!」
危うく人前で愛称を使いそうになりながらも夜光は駆け出す。その背に向かってテオドールは声を張り上げた。
「頼んだぞ、ヤコウ殿!必ずや姫殿下をお守りするのだ!!」
返事代わりに片手を挙げた夜光は毒づいた。
「くそ、ふざけんなよあいつ……!」
シャルロットの無謀すぎる行動に夜光は苛ついていた。ここに至るまでの旅路でシャルロットに身を守る術などないことは知っている。できるのは保有する固有魔法による他者の治療だけだ。それは強力ではあるが、敵性者がいるであろう現状では治療中に襲われてしまうのがおちだ。
「なんのために俺を守護騎士にしたのかわかってるのか」
これでは全てが無意味になってしまう。夜光がここまで彼女を護ってきたことも、守護騎士の契約を結んだことも――全部。
だからこそ夜光は怒りを覚えてしまう。勝手な行動を取ったシャルロットに物申してやりたいと思ってしまう。
「ああ……くそ!!」
夜光は抑えきれない怒りを言葉にしながら全力で走るのだった。




