十一話
続きです。
一方その頃。
夜光とシャルロットの二人はエルミナ東方の大都市ヒュムネの町へとたどり着いていた。
「ここがヒュムネの町か。なんとか来れたな」
道中は本当に大変だった。
まず二人とも馬を駆るなんて初めての経験だったため思うようにいかず中々前に進めなかった。幾度となく挑戦してやっと馬車を動かせたかと思えば今度は魔物の襲撃、それが終わればまたしても野盗の強襲。
シャルロットが回復魔法――稀有な光属性魔法の使い手だったこともあって余裕を持って対処できたが、それでも夜光はどれだけ治安が悪いんだと毒づきながら戦ったのだった。
(誰かを守りながら戦うことがこんなにも難しいことだとはな)
夜光が道中を振り返って嘆息していると、隣に座するシャルロットがヒュムネの町――その中央通りを御者台から眺めて興味深そうにしていた。
陽光に照らされることで輝いている金の長髪は絹糸のように滑らかで、町中を眺めるその美貌と相まって道行く人々は感嘆の吐息を漏らしている。
(……それにしてもこいつの正体は何なんだろうな)
エルミナ王国の主要都市は魔物や盗賊の襲撃を防ぐために城壁で四方を囲んでおり、中に入るためには検問所を通過しなければならない。
加えて違法な物を持ち込んでいないかを探るため、あるいは犯罪者などの侵入を防ぐために身分証明をする必要がある。これはエルミナ王国に生を受けた者に国が発行している証明書を提示すれば良いのだが、エルミナ王国の者でもなければそもそもこの世界の住人ですらない夜光が所持しているはずもない。
故にどうすべきか頭を悩ませた夜光だったが、それはあっという間に解決した。
検問で自分たちの番になった時、シャルロットが衛兵に何事か話したところ彼女は詰め所に連れていかれ、戻ってきた後にすぐさま町の中へと通されたのだ。
その時の衛兵のやけにかしこまった態度は強く印象に残っている。
(世間知らずなところといい王城からきたことといい謎が多い)
旅の途中、食事の時に手を使って食べるという行為を知らなかったり、そもそも干し肉や黒麺麭を知らなかったりと自分よりも物を知らないと分かったとき夜光は絶句したものである。
(正体としては王族の使い、が妥当なところか)
それならば色々と説明がつくのだが……と夜光が横目で見ていれば、視線に気づいたのかシャルロットがこちらに顔を向けてきた。
「……ヤコーさま、わたしの顔に何かついているのでしょうか」
小首を傾げる様すらも絵になるというのだからつくづく美人というものは得だな、と思いながら別の事を口にする夜光。
「いや、別に何もついちゃいない。それよりも……」
と夜光が正面を向けば、視界に入ってくるのは大きな建物だ。
町の中心に位置し、他の建物よりも高い基盤の上に建てられているため何処にいても目に付く。それはこの町――どころかエルミナ東方を運営している四大貴族と呼ばれる大公の館である。
「東方四大貴族ユピター家か……」
その名を聞いて脳裏に浮かぶのは若き〝四騎士〟の男の顔であった。
己に剣術を叩きこんでくれた師――彼には世話になった。
(クロードならきっと俺の話を聞いてくれる)
実直で生真面目な彼ならば必ずやこちらの味方になってくれるはず。夜光にはその確信があった。
武官の頂点であるクロードを味方につければ多数の兵に守られているであろう勇にも近づけるはずだ。その時こそ待望の瞬間、復讐の時である。
(首を洗って待ってろよ勇……)
夜光が禍々しい笑みを浮かべていると、シャルロットが返事を寄こした。
「はい、もうすぐテオドールさまがお住いの館に着きますね。それからは……」
と口ごもるシャルロット。その気持ちもわからなくはない。夜光とてここに至るまでの旅路で彼女との距離が確実に縮まったという確信がある。
けれどもそれはそれ、夜光はシャルロットの言葉を繋ぐように言葉を発した。
「俺はお役御免、残りの報酬をもらってさよならだ」
と言ったが問題もある。報酬の担保である〝王盾〟は借りているという状態――つまり返さないといけないわけだが、これはどうやっても夜光から離れないのだ。
基本的に左腕にくっついており、服を脱ぐ際や体をふく際などは外れはする。しかしその間すぐ傍の宙に浮いたままだし、服を着終われば即座に腕に引っ付いてしまう。
そこで夜光は一計を案じて裸のまま逃走するという試み行ってみたわけだが、結果はシャルロットに悲鳴を上げられ頬を叩かれ、しかも〝王盾〟は瞬間移動してくるという散々なものだった。
(家宝みたいだし、これどうしようかな……)
超常の力が働いている以上、努力でどうにかなるものではない。しかしだからといってずっとシャルロットの元にいるわけにもいかないのだ。
(なんとか説得するしかない)
いずれ外れるようになったら返しにいくとか、あるいはもらう予定の報酬は要らないから〝王盾〟をくれとか。
そんな風に言葉を考えている夜光をシャルロットは何か言いたげに見ていたが、馬車が目的の場所にたどり着いたことで意識を正面に向けた。
「……着きました。行きましょう」
「そうだな……」
近づく別れの時がそうさせるのか、二人は言葉少なく馬車から降りた。すると館の正門に立っていた衛兵がやってくる。
『どちら様でしょうか。本日テオドール様はどなたとも面会をするご予定はありませんが……』
「なんの連絡もなしに無礼と承知しています。しかし今は一刻を争う時なのです。どうかテオドールさまに〝シャル〟が来た、とお伝え願えませんか」
武装し年が離れている男を前にして堂々たる態度を見せるシャルロット。言葉は丁寧で口調もまた真摯なものだ。それを衛兵も感じたのだろう、門前払いといった雰囲気から考え込む姿勢を見せた。
『……しかし、テオドール様はご多忙を極めるお方。あなたとお会いになる時間があるかどうか……』
「お願い致します。わたしが来たことを伝えるだけでも良いのです。それでテオドールさまがお会いにならないと仰るのであれば引き下がりますので」
と頭を下げるシャルロット。その健気な姿に夜光もまた無言で頭を下げた。
やがてその根気に負けたのか、衛兵は不承不承といった様子で口を開く。
『……分かりました。伝えるだけ伝えましょう』
「……!!ありがとうございますっ」
待っていた返事にシャルロットが顔を上げて笑みを浮かべる。その表情は可憐の一言で、向けられた衛兵も、隣で見ていた夜光もしばし見惚れてしまう。
数秒の後、我に返った衛兵が繕うように表情を生真面目なものに変えて門から館の庭園内へと入っていく。それを見送りながら夜光は深入りしたくなかったためにこれまで尋ねてこなかった事を思わず言ってしまう。
「なんでシャルはそこまで必死なんだ。何がお前をそうさせる?」
分からなかった。一体どのような理由があれば未知の世界である外界に飛び出せるのか、命を危険に晒せるのか。それほどの勇気を持てるのは何故なのか。
その問いにシャルロットは碧眼を夜光に向けた。宝石のような美しいその瞳に宿るのは確かな決意で。
「詳しくは言えませんが……わたしには為さなければいけないことがあるのです。その為ならばこの命すら惜しくはありません」
「…………」
「ですがそれを為すためにはわたし一人の力では足らない。だからこうして誰かのお力をお借りするのです。今まさにヤコーさまにしていただいているように」
眩しい。夜光はそう思った。
復讐に生きると決めた自分とは比べ物にならないほど聖なる道を歩んでいるシャルロットの姿はあまりにも眩しすぎる。
浮かんでくるのは憧憬――憧れだ。自分もそのように確たる信念を抱いて生きたいと思ってしまう。
けれどもそれはできない。その道を歩むには遅すぎたし、なにより愛した人の無念を捨ておくことなど出来はしない。
だから夜光は、
「……そうか」
頷くに留めた。そして太陽から眼を逸らすように視線を館に向ければ、ちょうど先ほどの衛兵がこちらに走り寄ってくるのを認めることができた。
「どうでしたか……?」
とシャルロットが不安げに尋ねれば、衛兵は額に浮かんだ汗を拭いながら答える。
『テオドール様がお会いになられるとのことです。どうぞこちらへ』
「ありがとうございます……!」
背を向けて歩き出そうとする衛兵、その背中に夜光は声をかけた。
「すみません、馬車はどうすればいいですか」
『そのままそこに置いてもらって構いませんよ。後ほど他の者が敷地内へ移動させるので』
「そうですか、分かりました」
問題が解決した夜光も衛兵の後ろに続く。その時隣になったシャルロットが意外そうな眼をこちらに向けてきたので怪訝そうに問うた。
「……なんだよ」
「いえ、ヤコーさまにも丁寧な態度が取れるんだなと思いまして。……いつもわたしには適当なくせに」
言葉尻は常人ならば聞き取れないほど小さなものだったが、あいにくと夜光は非凡なる者だ。
「……それは悪かったな。お前が年下だったからついそんな態度をとってしまっただけで、普段はもっと礼節を重んじてるさ」
もっともそれは嘘で、本当は荒んだ心境故に冷たい態度をとってしまい、以降直すのもなんだかなと思ってそのままだったのだが。
夜光の返答を皮肉と捉えたのか、シャルロットは慌てた様子で首を振った。
「い、いえ別に良いんですよ!?わたしはぜんぜん嫌じゃないので……」
「……そうか?ならこれまで通りでいいな」
あっけらかんと言ってのける夜光にシャルロットは唖然として呟く。
「凄い神経してますね……」
「…………」
聞こえてはいたが、今度は何も言わない夜光だった。
そんな二人の会話に苦笑を浮かべた衛兵だったが、館の前までくると生真面目な表情を取り繕った。
『客人だ、入ってもいいか?』
『ああ、聞いてるよ』
扉を警備する同僚と言葉を交わせば、相手は頷いて扉を開いてくれた。
衛兵は目線で礼を言うと二人を連れて中に入る。内装を見て驚いた表情を見せる少年を肩越しに見やって口を開いた。
『驚きましたか。ああ、いえ無礼などではありませんよ。テオドール様の人となりを知らない方々は皆あなたと同じような表情を浮かべますから』
知っていたシャルロットは当然と言いたげだが、館の主を知らない夜光は確かに驚いていた。
(ずいぶんと質素だな)
貴族――それもエルミナ王国に四家しか存在しない大貴族の本拠地だというのに館の内装は質素なものだった。質実剛健というべきだろうか、金銀財宝の類はなく装飾品は壁に風景画らしき絵画が飾ってあるだけ。貴族の館と聞いて夜光が想像していたような鎧などもなく、床に敷かれた絨毯だけが貴族らしさを感じさせるのみだった。
『テオドール様――といいますか、このユピター家の家訓のようなものに従って館の内装は最低限の装飾に留められているのです。〝ユピターの者、王家にお仕えすることのみを考えよ。王の剣として常在戦場たれ〟という教えです』
「……凄いですね」
だからこそクロードはあの若さで大将軍まで上り詰めることができたのかもしれない。この家の出だからこそあの覇気を持ちえるのかもしれない。
千年以上も続くユピター家が持つ信念を感じ取った夜光は思わず息を呑んだ。
「ユピター家は先祖代々エルミナ王家に仕えているのです。歴代の〝王の剣〟のほとんどがこの家から輩出されているんですよ」
建国当初からエルミナ王家に仕えているユピター家は武官の家だ。王家に仇成す敵を切って掃う――その信念を貫いている。例外は歴代においてただ一人しか存在しない。しかしその例外も当時の王から恩赦を受けているため家名を汚すほどではないという徹底ぶり。
シャルロットが語るユピター家の歴史に気圧されながらも歩を進めれば、やがてとある一室の前にたどり着いた。
『テオドール様、お客様をお連れ致しました!』
「入れ」
扉越しに聞こえてきた声――雄々しくも落ち着いた壮年の男性だ。
その声に応じて衛兵が扉を開けば、シャルロットは彼に小さく一礼してから入室する。先ほど聞かされた話に圧倒されていた夜光も遅れて後に続く。
部屋の中も館内と同じく質素なものだった。壁にはこの南大陸のものだと思われる地図がかけられていて、反対側の壁際には本棚が置かれている。正面を向けば窓を背に置かれた執務机を認めることができ、そこには一人の男性が居た。
「突然の来訪、無礼と承知しております。ですがこうしてお会いになってくださったこと、誠に感謝致します、テオドールさま」
前に進み出たシャルロットが深々と頭を下げれば男性――テオドール・ド・ユピターが椅子から立ちあがって机を回り込んでくる。
そして――次に彼が取った行動、放った言葉は夜光を驚愕させた。
「頭をお上げください、私は臣下として当然のことをしたまでです――シャルロット殿下」
床に膝をつき、首を垂れるテオドールの姿は主に謁見する騎士のようで。
そんな彼を見下ろすシャルロットの姿はまさに貴顕の人であった。




