十話
続きです。
怒号が聞こえる。男たちが発する猛々しい声だ。
そこに剣戟の音色が交じり合うことで殺伐とした雰囲気が生み出され、戦場であることを明日香に思い知らせた。
(居た。数は……)
疾風の如く駆ける明日香の瞳が戦っている兵士たちを捉えた。同時に相対する盗賊たちの姿も見えたことで彼女は気持ち速度を上げる。
それから意識を集中させると静かに詠唱を紡ぐ。
「我は鋼、一切合切を切り払う剣なり」
固有魔法〝剣神〟――それは所持者を修羅へと変える力。
明日香の体内にある魔力が世界に干渉し、二振りの刀が彼女の手元に現れる。
それらはかつて明日香が〝視〟たことのある二刀で銘を〝髭切〟と〝膝丸〟という。
「加勢します、みなさん」
『っ、ゆ、勇者様――!?』
背後から聞こえた静謐な声に一人の兵士が振り向けば、すれ違いざまに明日香の顔を認めることができた。
護衛対象である勇者の一人がやってきた――それだけでも驚きなのに、前に向き直った兵士の眼に飛び込んできた光景は彼を絶句させた。
『ギャアア!?』
『な、なんなんだこいつはァアアア!?』
白刃一閃。
白線が宙を描けば、彩りを与えるのは赤き血潮だ。
一人の少女が振るう二刀が次々に盗賊たちの雁首を刎ね飛ばしていく。
抵抗など児戯に等しい。防御の為に翳した剣は打ち合うことすらなく、持ち主が死んだ後に虚しく地面に落ちてしまう。ならば攻撃だと振るわれた剣もまた二刀に触れることさえ許されない。少女は最小の動きを以ってそれを避け、続く動作で相手を切って捨てた。
その光景を前にした兵士たちは悟る。勇者とはこれほどまでに懸絶した存在なのだと。
自分たちとは比べ物にならないほど圧倒的な武力――敵に回せば恐ろしいことこの上ないが、味方であれば頼りになることこの上ない存在だ。
『……凄いな。まるでかの〝剣帝〟のようだ』
古の時代、まだこの世界を魔族が統べていた頃の話だ。
他種族に対して圧政を敷いていた魔族に反旗を翻した〝獅子心王〟。そんな彼に付き従った一騎当千の英雄たち――通称〝天部〟、その中に一際輝く五つの綺羅星があった。
後の世で〝護国五天将〟の元になった彼ら五人は大将軍として活躍し、基礎能力で差があった魔族を難なく討ち滅ぼしたという。
そんな五人の中でも一際異彩を放っていた男がいた。
その男は物心ついた頃から剣を手にしていた。彼は剣と己が実力でどこまで高みに昇れるか、それだけに関心を持っていた。
ある意味果てのないその欲望を満たすために彼は剣を振るい続けた。彼が通った後に残るのは屍山血河の地獄だけ。けれども彼はそれに気づかない。何故なら上だけを――前だけを見つめていたからだ。
そんな彼についた名は〝剣帝〟。
敵味方関係なくその名で恐れられた男は千年以上経った現代でも畏怖の対象となっている。
『……〝剣姫〟だ』
その言葉を誰が言ったかは後世でも明らかになっていない。
けれどもその場にいた者たちが感銘を受けたのは事実で、これより先勇者の一人である江守明日香は度々その名で呼ばれることとなる。
異世界から召喚したという勇者という存在には兵士を含めて誰もが懐疑的だった。本当に国を救うほどの力を持っているのか、本当にその気概があるのかと。
しかし今日、この場に居合わせた者たちは後にこう語る。『伝承は真実だった』と。
『死ね――ぎゃあ!?』
『ふ、ふざけるなっ!こんなに強いなんて聞いてないぞ!?』
情けない声を上げる盗賊たち――瞬く間に数が減ってゆく。白刃が踊り狂い、鮮血が世界を染め上げた。
もはや兵士たちは黙って彼女の勇姿を見つめているだけでいい。ただそれだけで全てが終わる。
憧憬と畏怖の眼差しで殺戮を眺めていれば、やがて静寂が辺りを支配していることに気づく。
「ふぅ……終わりました。みなさん、怪我はないですか?」
二刀を虚空に仕舞った明日香が額の汗をぬぐいながら兵士たちの元へとやってくる。その表情は平時に見せる穏やかなものだった。
彼女が発した言葉で我に返った兵士たち、代表して隊長が進み出る。
『アスカ様のおかげで皆無事です。……ご助力感謝致します』
と頭を下げれば他の者も同様の動きを見せる。
向けられた明日香は若干の困惑を浮かべて両手を胸元まで上げて首を振った。
「あ、頭を上げてください。私は勇者として当然のことをしたまでですから」
『……それでも我々はあなた様に救われた。アスカ様が居なければもっと死傷者が出ていたことでしょう』
最悪全滅していたかもしれません、と苦い表情を見せる隊長。他の兵士たちも悔しげに俯いていた。
彼らには王国首都を護るという大役に応じた自尊心があった。自分たちこそがエルミナ王国における最強なのだと自負していたのだ。
けれども今回の一件を受けてその考えは改められた。もっと、もっと――遥かな高みに居る少女を目の当たりにしたことで。
『本当にありがとうございました』
十以上年の離れた少女に頭を下げる。そのことが彼らの意識の変化を如実に物語っていた。
そんな兵士たちに対して明日香はそれ以上何も言わずただ胸中に秘めた思いに考えを馳せる。
(私は……嘘を吐いた)
勇者として当然の事をしたと口では言った。けれども本心ではそのような崇高な考えで加勢に入ったわけではなかった。
(戦いたかった、刀を振るいたかったんだ)
本能が闘争を望んだのだ。狂おしい渇望に突き動かされて二刀を振るったのだ。
――戦いたい、刃を交えたい、自分よりも強い強者と果て無く切り結びたい。
元居た世界で暮らしていた頃から抱いていた想い、ずっと叶わないと諦めていた。
けれどこの世界なら――、
(きっと出会えるよね)
空を見上げれば、突き抜けるような蒼穹が広がっていた。
この世界は広く、まだ見ぬ強者がひしめいていることだろう。
(今度こそ、私は――)
元の世界で唯一自らに膝をつかせた男の顔を思い浮かべ、明日香はその黒瞳に苛烈な闘志を宿した。
そんな彼女に隊長が言葉をかけてくる。
『アスカ様、我らは隊を二つに分け、一方はこの場で負傷者の治療を行います。私を含むもう一隊はシュタムの町へ向かいたいと思います。町から応援を呼びたいと考えていますので』
「それなら私も一緒にいいですか?新くんたちがシュタムの町へ向かっているはずなので」
『他の勇者様が……!?それならば好都合です、合流して共に向かいましょう』
あの乱戦で失われた命は多い。そしてまだ救える命もこの場にはある。当然の判断だと明日香は思った。
だから隊長の言葉に頷くと、彼と共に馬に乗りシュタムの町へと――勇たちの元へと向かうのだった。
*****
その頃、シュタムの町へと向かっていた勇たちの前にも盗賊が姿を現していた。
『殺せっ!』
『依頼未達成なんて無様な報告を上げるわけにはいかねえからな!!』
殺意むき出しで追いすがってくる盗賊たちを見やってカティアが声を張り上げた。
「馬を止めないでこのまま突き進んでください!」
「なっ――それじゃいい的ですよ!?」
「問題ありませんよユウ様――〝不動金剛〟!!」
勇に力強い笑みを向けたカティアは己が固有魔法を発動した。
すると彼女を起点とした魔力による防御膜が生み出され、周囲の者たちを取り込むようにして球体状になる。
カティア・サージュ・ド・メールの固有魔法〝不動金剛〟――それは魔力による強固な結界を発生させるというものだ。
その強度は折り紙付きで、今も結界の外に締め出された盗賊たちが放つ矢や魔法をなんなく弾いている。
こと防御において王国最硬を謳われる魔法――されど欠点も存在していた。
それは――、
『くそっ、分断された……!?』
『術者を始末しろ。そうすればこの結界は解けるはずだ!』
結界内部に入れる者を選別できないことだ。
故に味方の兵士だけでなく、一部の盗賊――馬を駆って並走していた者たちも同じ結界内にいる。
彼らはカティアの固有魔法を知っていた。だからか対応も早く、彼女を殺そうと狙いを定めてきた。
『カティア様をお守りしろ!!』
『おせぇ!!』
「きゃ!?」
兵士たちがカティアを守ろうとするも、それより早く盗賊が仕掛ける。腰に差していた剣を抜き放つとカティアが騎乗している馬に向かって投げつけたのだ。
その一撃は馬の腹部に突き刺さり、悲鳴の嘶きを上げて身体を暴れさせた。そのような事をすれば当然上に乗っている者たちが只で済むはずもなく、手綱を操っていた兵士とカティアは落馬してしまう。
「っ、まずい……!」
と、新が同乗していた兵士に声をかけようとするも、その前に兵士は馬を操って前進を止めてカティアの元へと向かう。固有魔法〝不動金剛〟はカティアを起点として発動している。故に離れすぎればその恩恵を受けられなくなるし、なにより彼女を見捨てるという選択肢は存在しない。だから当然の判断と言えた。
同様に他の兵士たちも同じ動きをとるが、盗賊たちがカティアに殺到する方が速い。
「カティア先生、逃げてください!!」
「ぅ……くっ、足が……!?」
しかし落馬した時に打ちどころが悪かったのか、カティアは右足を押さえて座り込んでいた。必死に立とうとしているが上手く行かず、魔法を使おうにも固有魔法に意識と魔力の大部分を割いているため難しそうであった。
その光景を見た新は――、
(迷っている暇なんてないっ!)
――全身に魔力を漲らせると器用に馬上で立ち、腰にあった二振りの短剣を抜き放つ。闇を体現するかのような黒き刀身が外界に触れる。陽光さえも喰らい尽くしてしまうというのか、その刃は一切の輝きをみせない。
そして驚く兵士を無視して勢いよく跳躍――その勢いのまま、今まさにカティアに剣を振り下ろそうとしていた一人の盗賊に襲い掛かった。
「うぉおおおおおっ!!」
『なに――ぐぁあっ!?』
男の両肩に食い込む二刀、その時に感じた肉を切り裂く感覚は生涯忘れられないだろう。
新が繰り出した一撃は盗賊の両腕を切断した。次いで彼は背中から心臓部分に目星をつけて短剣を突き刺す。
古代より存在する神剣はあっさりと人の身体を貫いた。
『ご、ぷ……』
「…………ぅ」
男の身体から発せられた鮮血が顔にかかり、新は吐き気を催した。けれどもここは戦場――一瞬の油断が命取りとなりかねない。故に彼は吐き気を意志の力で抑え込むとゆっくり短剣を抜き取る。
途端、地面に頽れる男の身体。赤が大地を侵食する光景は否が応でも新に理解させる――人を殺してしまったのだという事実を。
「し、新……」
「新、さん……!?」
追いついた勇や陽和が驚愕と動揺に塗れた声をかけてくる。そこにはこちらを心配する気持ちも籠っていた。
けれども新はそれらを断ち切るかのように声を張り上げる。
「二人とも覚悟を決めろ!やらなきゃやられるだけだぞ!!」
「だ、だけど――」
「勇、お前は明日香にだけ罪を背負わせる気か」
「っ!?そ、それは……」
皆、目撃していた。明日香が自分たちを救うためにその手を汚した瞬間を、人を殺めた光景を。
その時から新は決めていたのだ。彼女一人に罪を背負わせはしないと。
「俺は戦う――いや、殺す。生きるために、守るために誰かの命を奪う。お前はどうだ、勇」
返り血を浴びた新が烈々たる眼差しを親友に向ければ、相手の瞳は揺れていた。
「僕は、僕、は……」
勇にとって人を殺めることは初めてではない。既に夜光を奈落に墜とすことで殺してしまっている。だから殺人に対する忌避は既に持ち合わせていない。陽和を手に入れるという目的のためならば喜んでこの手を汚そう。
ならば彼は何を躊躇しているのか。それは陽和の前で殺人を行うことへの躊躇いだった。
(ここで僕が人を殺してしまえば、陽和さんはきっと嫌悪するだろう)
それは何としても避けなればいけない。しかしそうも言ってられない状況であるのもまた事実。
ここで戦わなければ死んでしまう可能性があったし、何より陽和が危険に晒されているという現状は耐え難い。
ではどうすれば良いのか。勇の思考は高速で最適解を見出した。
「僕は……殺したくない。けどカティア先生を、皆を護らなくちゃ――いけないんだっ!!」
苦渋の決断――そう陽和に見えるように表情を険しくさせた勇は下馬して腰から一振りの剣を抜き放った。
神々しい剣――神剣〝天霆〟を手に、勇は盗賊たちを睨みつける。
「我は光、大いなる輝きなり――〝光輝〟!!」
初めから全力を見せた勇。彼の周囲に七属性の魔法が浮かび上がり、手にする剣からは雷が迸った。
圧倒的な覇気を放つ勇に気圧された盗賊が無意識で後ずさる。乗馬している者も馬が恐慌状態に陥ってしまったことで混乱のただ中にいた。
「ゼアァッ!!」
勇が地を蹴るのと同時に生成されていた魔法が盗賊たちへと殺到する。ある者は炎に焼かれ、またある者は風刃に身体を切り刻まれた。
そして勇自身も剣を振るう。風のような剣速に盗賊は対応できずその首は宙を舞った。
その間にも固有魔法で生み出された魔法群は縦横無尽に空を駆けまわり、その数だけ死体が量産されていく。
勇が荒々しい息を吐いて残心を解いた時、結界内に居た盗賊たちは全滅していた。
『す、凄い!これが勇者の実力なのか……!?』
『お前見たか今の』
『……ああ、とんでもないな』
圧倒的な武威を見せつけられた兵士たちは賞賛の声を上げていた。
しかしここで喜んでは陽和からの心証を悪くする。そう考えた勇は沈痛な表情を繕って足元の地面に視線を落とした。
「僕はなんてことを……」
うなだれる勇の姿はとても勝者とは思えない。それは迫真の演技であり、陽和が彼の傍にやってきて慰めの言葉をかけるほどであった。
「勇さん、ありがとうございました。勇さんが戦ってくれなかったら私……」
「…………礼を言うのは僕の方だよ。ありがとう、陽和さん。キミの言葉だけで僕は救われるよ」
「勇さん……」
内心の狂喜を必死に押し殺して言えば、陽和は心配そうにこちらを見やってくる。
その表情を向けてくれただけでも頑張ったかいがあるというものだ。
そんな二人を兵士たちは絶賛している。
その光景をカティアを介抱しながら新が横目で見やっていた。
(勇……?)
親友の様子がおかしいことに彼だけが気づいていた。けれどもそれに思考を割くほど彼自身余裕がなかったために違和感を勘違いだと結論づけた。
初めての対人戦闘、初めての殺人に勇もまた平常心ではいられないのだろうと考えたのだ。
だから――、
(……見間違い、だよな)
きっと気のせいなのだ。一瞬だけ見えた親友の口元が――歪んでいただなんて。




