九話
続きです。
時は僅かに遡り――。
カティアが雪のような白髪を揺らして馬車の外に出て行った。その背を見送りながら勇がポツリと呟く。
「……大丈夫なのかな」
それは誰もが思っていた事で、新が首を横に振る。
「分からない。けどカティア先生たちに任せるしかないだろ」
勇者一同は魔物との戦闘経験はあれど人との戦闘経験は皆無であった。
故に不慣れな戦いになり足を引っ張ってしまうだろうし、何より――、
(俺たちは人を殺したことがない。……できるのか、俺たちに)
魔法や魔物が存在するこの世界の住人は殺し殺されといった死生観に慣れている。あの温和なカティアですらいざとなれば殺人を躊躇わないだろう。
けれども新たちは違う。元居た世界――住んでいた国は平和そのもので殺人など滅多に起きない。だから身近ではないし、何処か他人事のように思っていた。
(でもその常識はこの世界では非常識だ。戦わなくちゃ死ぬ、殺さなくちゃ殺されるだけなんだから)
理屈としては分かっている。しかし納得などできようはずもなく、共感することなど不可能に思えた。
そう思っているのは新だけではない。現に隣にいる勇や対面に座する陽和の表情は荒事の気配を感じ取って強張っていた。
例外はただ一人だけ。明日香だけだった。
(やっぱり明日香は……)
生まれる時代を間違えた――そう実の父親に言わしめた少女は、魔物との初戦闘においても躊躇というものがなかった。
それは魔物との戦闘に限られるのか、それとも――。
と、新が眼を閉じて集中している明日香の顔を見つめていた時だった。
「皆、急いで外に出て!」
当の明日香が突然そう言い放った。
「どうしたんだよ、明日香。ここで待ってろってカティア先生が言ってたじゃないか」
「明日香さん……?」
「いいから早く!」
瞼を上げた明日香の声は真剣なもの――それを悟った新は頷いて扉に手をかけた。
「勇、陽和ちゃん、ここは明日香に従っておこう」
新の態度に冗談ではないと理解した二人は戸惑いながらも立ち上がる。
それから扉を開けて出ようとした時――、
「みんなごめんっ!」
「お、おい明日香ッ!?」
新の背中に衝撃が訪れて身体が宙に浮く。眼の前に地面が見えたことで何とか受け身を取って着地に成功すれば、次に沸き上がるのは疑問だ。
「突然どうした明日香――っ!?」
しかし疑問は途中で霧散する。何故なら先ほどまで乗っていた馬車に大岩ほどの火玉がぶつかり爆発炎上したからだ。
それだけでも驚愕に値するというのに――周囲を見回した新は動揺した。
勇と陽和は傍にいるのに、明日香の姿だけがなかったからである。
「明日香っ!!」
彼女は自分たちを逃がすために突き飛ばした。その為一拍遅れてしまった。つまり明日香は燃え盛る馬車の中にいるということだ。
「そんな――」
「明日香さん!」
勇は愕然とし陽和は泣きそうな表情を浮かべている。
新もまた唇を噛んだが、まだ終わったわけではないと馬車へ駆け出そうとした。
だが、そこに馬蹄の音が轟き、つられて背後を向けば五人の男たちが駆る騎馬がこちらに迫ってきている光景を捉えることができた。男たちの姿はどこか粗暴で手にする剣もまたエルミナ正規兵の物と比べて劣化している。彼らの内一人は剣ではなく燃え盛る火の玉を手にしていることから先ほどの攻撃者の正体が一瞬で理解できた――できてしまう。
「盗賊か――!?」
『いたぞ、依頼書に書かれていた奴らと一致する。間違いない!』
驚愕の声を上げる新の眼前で停止した男たちが馬上から睨みつけてくる。その視線に好意的な感情は一切乗っておらず、あるのは純然たる殺意のみだ。
『依頼書で知ってたとはいえまだガキじゃねえか』
『侮るな、その依頼書によればこいつらは固有魔法の使い手だそうだからな』
『マジかよ……じゃあさっさと殺っちまおうぜ』
好き勝手言った男たちが馬から降りて近づいてくる。突然向けられた殺意と悪意に新たちは硬直していた。新はやけに心臓の音がうるさいなと場違いなことを考えてしまう。
そうしている間に眼の前までやってきた一人の男――隊長格らしきその人物は手にしていた剣を振りかぶって。
『お前らには何の恨みもないが……これも仕事なんでね。死んでくれ』
「あ――」
なんの躊躇も感じない、自然な動作で振り下ろした。
その凶刃は新の首を刎ね飛ばし、失われた部位から鮮血が吹き上がる――はずだった。
だがその直前、
「新くん、頭下げて」
聞きなれた声――あまりにも平坦なその声音に新の身体は勝手に反応していた。
咄嗟に前かがみになれば風切り音が耳朶を打ち、次いで生暖かい液体が首筋にかかったことを感じる。
何が――と地面に手をついた状態で顔を上げれば。
――男の顔が視界を通り過ぎて行った。
比喩ではない、文字通り上から下へと男の頭だけが新の視界を通過していったのだ。
「…………え?」
唖然とした声が出てしまう。完全に上がった視界が捉えたのは首のない男の身体が、鮮血を噴き出しながらぐらりと地面に倒れていく光景だった。
そしてそのすぐ傍には同様に崩れ去る死体があって、その前に立つのは見慣れた少女である。
「…………」
少女――江守明日香は固有魔法で生み出した二刀を手に佇んでいた。一瞬だけこちらを見やったその黒瞳は無――一切の感情が宿っていなかった。
加えて手にする刀が朱く染まっており、同色の液体を滴らせていることから新は恐怖を抱いてしまう。
けれど彼はすぐにその感情を振り払うように首を振る。命の恩人にそのような思いを抱いてはいけないと思ったからだ。しかも相手は友人である。
「あ、明日香……」
尻餅をついていた勇が喘ぐようにして言えば、明日香はちらりと彼の方を向いてからすぐに正面に直った。
「勇くんたちは下がってて。この人たちは私がやるから」
年若い少女の言葉――されど盗賊たちは笑い飛ばせなかった。
何せ彼らは見てしまったのだ。頭が短髪の少年に向かって剣を振り下ろす瞬間、目にもとまらぬ速度で馬車から飛び出してきたその姿を。刹那に頭と副官の首が切り落されるその光景を。
『ひっ……!』
その少女が盗賊たちを見やる。たったそれだけの動作であったが、彼らは気圧されて後ずさってしまう。
何故なら――少女の表情が何一つとして変わらなかったからだ。
殺す前も、殺した後も――無表情のまま。
その立ち姿からは殺気一つ感じられない。圧倒的な武威を示したのに存在感が希薄であった。
しかし手にする二刀からは鮮血が滴っており、その下では首のない死体が大地を紅く染め上げている。
「…………」
『こ、殺せ!魔法だ、燃やし尽くしてしまえ!!』
黙り込む明日香に耐え切れなかったのか、一人の男が叫べば、火球を手にしていた細身の男が反応してその手を前に突き出した。
『ば、バース――』
「フッ――」
次の瞬間起こった出来事。新には鋭く吐かれた明日香の息が聞こえたかと思えば、彼女が火球を放とうとしていた魔法使いの後ろに瞬間移動したとしか思えなかった。
その後に残されたのは地を蹴った証である抉れた大地と、唐突に吹いた突風だけ。
「うそ、だろ……?」
新は魔力と神剣によって強化されている。そんな彼の動体視力を以てしても明日香の動きはまったく捉えられなかった。
唖然とする周囲を置いて明日香が残心する。その直後、魔法使いの男――その身体がバラバラになった。少なくとも新の眼にはそうとしか映らなかった。
火球があった右腕から順に左腕、両足、胴体――そして首が鈍い音を奏でて地面に落ちる。遅れて切断面から夥しい量の鮮血が噴き出した。
圧倒的な武威――見せつけられた者が取る選択肢は二つ。
わき目も振らず逃走を図るか、もしくは――彼らのように我武者羅に立ち向かうか。
『し、死ねぇえええええ!!』
『くたばりやがれってんだ!!』
鬼気迫る表情で向かってくる二人の男、対する明日香は腰を深く落とした。
「それは蛮勇っていうんだよ」
発した言葉には感情という物が備わっていなかった。
ただ事実を告げただけであるかのように、明日香は男たちを抜き去って新の眼前までやってくる。その後ろでは先ほどと同様の死にざまを遂げた二つの死体が地面に頽れる。
怒号が響く戦場にあってこの場だけがいやに静寂――それを破ったのは風を纏うカティアであった。
「皆様、ご無事でしょうか!?」
「……あ、はい、カティア先生。俺たちは全員無事です。先生の方こそ――」
「――それより先生、戦況が良くないみたいです」
新の返事を遮る形で明日香が言い放てば、カティアは困惑した顔を彼女に向ける。
「……どういうことですか、アスカ様」
「あっちの――後ろの方かな。兵士さんたちが押されてる。やっぱり数で上回っている盗賊たちが有利みたい」
一体どうしてそのようなことが分かるのか。
そう問おうとした時、複数の騎馬が後方からやってきてカティアに報告してきた。
『カティア様、敵の攻撃が予想以上に激しく……このままでは総崩れとなってしまうでしょう。そうなる前にあなた様と勇者の皆様だけでもシュタムの町へお連れするよう隊長からご命令を受けてきました』
その言葉は明日香の発言を肯定するもの――故に新たちは戦慄した。この武の申し子には一体どこまで〝視〟えているのだろうか、と。
しかし今はそれを追及する時ではない。
カティアが兵士の言葉に頷けば、彼らは乗っている馬の後ろを差した。
『余っている馬はありません。それに勇者の方々は乗馬なされたことがないはずです。我々の後ろに乗って下さい』
「分かりました。皆様、急いでください」
そう言って自らも乗馬するカティア。
新たちも彼女の言葉に従ってそれぞれ馬に跨る。しかし明日香だけはその場を動こうとしなかった。
「アスカ様?」
「みんなは先に行ってて。私は兵士さんたちの援護に向かうから」
「はぁ!?何言ってるんだよ明日香。死ぬかもしれないんだぞ!」
これには勇が眼を剥いて叫んだ。けれど明日香は微笑みを浮かべるだけ。
「心配してくれてありがとう、勇くん。でも――私は行くよ」
「……どうしても行かれるのですか」
確固たる決意――察したカティアが問いかければ、明日香は頷いた。
「それが勇者としての私の役目だと思うから」
「…………わかりました。どうかお気を付けて」
「カティア先生!?」
カティアの言葉に陽和が驚く。込められた感情は非難の色濃い。
けれどもカティアは嘆息して首を振った。
「こうなってしまったアスカ様がどれだけ意固地なのか、ヒヨリ様もよくご存じでしょう」
「…………」
普段は呑気でのらりくらりとしているのに――こういう時に見せる意志は驚くほど固い。それが江守明日香であり、普段から接している陽和が理解できないわけはなかった。
「陽和ちゃん、大丈夫だから。後でシュタムの町で合流しよう。そうしたらおいしい物沢山食べようね」
「……明日香さん、約束ですからね。必ず、ですよ!」
「うん、任せて!」
返す明日香に気負いは見られない。どこまでも自然体だった。
それから彼女は勇に頷いて、新に向かって言い残した。
「みんなのこと頼んだよ、新くん」
軽い口調――されど重い言葉だ。
重圧がのしかかってくるが、これから修羅場に赴く少女に頼られたのだ。これを受けれなくて何が男かと新は奮い立つ。
「……ああ、任せておけ。明日香こそ、ヘマするなよ」
その言葉に明日香は笑って、踵を返すと走り出した。
魔力で強化されている為、その速度は尋常ではなかった。
あっという間に離れていく背を見送って、カティアは声を張り上げた。
「行きましょう!!」
その言葉を合図に成り行きを見守っていた兵士たちが手綱を握る。巧みに操って馬を動かせば、どんどん速度が上がっていき明日香の姿が完全に見えなくなってしまう。
(無事に戻って来いよ、明日香)
新は尾を引かれる思いながらも前に向き直るのだった。




