八話
続きです。
翌――神聖歴千二百年十一月六日。
雲海の上、朝日を浴びて銀色の船体を輝かせる飛空艇オルトリンデが飛び立っていく。
それをノア・ルーナ山の頂上に位置する〝竜帝〟の住処から見上げる新は、その眩い輝きに眼を細めた。
「本当に共に往かなくて良かったのか?」
背後から〝竜帝〟の厳かな声を受けた新は振り返って頷く。
「ええ、今の俺では只の足手まといにしかなりませんから。それに……そろそろこいつらと真剣に向き合う必要があると考えましたので」
と言った新は両腰に吊るしている双剣の柄に手を置く。伝わってくる感情は――激励だった。
「ふむ、では少しばかり手を貸してやろう。その神剣は確か夜間に真価を発揮するのだったな」
「そうです。……中々、扱いが難しい奴らなんですよ」
〝竜帝〟の問いに新が苦笑を浮かべれば、〝干将莫邪〟が抗議を示すように小刻みに震えだす。
新が宥めるように双剣を軽く叩く姿を見ながら老竜が片手を空に向けた。
「ならばこういうのはどうだ――常闇よ、来たれ」
瞬間、老いたその姿からは想像できない程の魔力が天に向かって放たれた。
その魔力の色は黒――瞬く間に広場を覆って外界と隔絶してしまう。
「これは……!」
「簡単な闇魔法だ。それより、早速神剣を抜いてみよ」
全属性の中で最も扱いが難しいとされている闇属性魔法をいとも容易く行使してみせた〝竜帝〟。伊達に千二百年以上も生きてはいないということだろうか。
かの英雄の力の一端に触れた新は畏怖を覚えながらも双剣を抜き放った。暗闇の中に同化してしまうほどの漆黒――柄も、鍔も、刀身さえもが闇に融けこんでいる。
「どうだ、シンよ。余の眼には夜闇だけでなく、単なる暗闇であってもその神剣は力を発揮しているように見えるが?」
そう言われてハッとした新は両手に握る双剣に意識を集中させる。
確かに日中に手にした時とは異なる力強さを感じて、彼は老竜の言葉が正しいものだと理解した。
「仰る通りです、〝竜帝〟陛下。確かにこいつらは生き生きとしている……!」
「ならば神権を使うのだ。そしてその状態を維持し続けよ」
「……継続して〝力〟を使うことに意味があると?」
「継続は力なり。それは神剣とて同じことだ。共に過ごし、共に在り続けることこそ肝要よ。シンよ、これからは毎日、限界までここで神剣と共に過ごすが良い。その中でそなたは見つけることが出来るやもしれん。その神剣が使い手に求める姿、在り様を」
そう言って〝竜帝〟の気配が遠ざかっていく。どうやら新をこの暗闇の中に置き去りにするつもりらしい。
一切の光がない常闇の世界――長時間滞在すれば気が狂ってしまう危険性もあるが。
「……上等だ。お前らが求める俺が何なのか、理解するまで付き合ってやる!」
新はそう気炎を吐くと、地面に座り込み神権〝夜刻〟を発動させた。
そして己自身も闇に同化させるように身じろぎ一つせずに双剣を見つめ始めた。
*
闇に包まれた広場を後にした〝竜帝〟は自らが住まう神殿の入り口へと向かった。
そこにはもう一人、この地に残ることを選んだ〝人族〟の姿がある。
「そなたも自らが仕える主に同行しなくて良かったのか?」
「はい、〝竜帝〟陛下。迷いはありましたが……他ならぬその主からお許しを頂きましたので」
「……左様か。ならばそなたもシンのように力を欲するか?」
「勿論、力はあるに越したことはありませんが……私はただ、シン様が心配でしたので残ることを決めたのです」
絹糸の如き滑らかさを持つ白髪を風にたなびかせ、翠玉のように美しい瞳に確固たる意志を覗かせる女性――カティア・サージュ・ド・メールがそう言った。
その意思強き立ち姿にかつての友の姿を重ねた老竜は、銀色の眼を微かに細めて穏やかな表情を浮かべる。
「……そうか。だが、ただ待っているだけというのもつまらなかろう。そなた、魔法はどの程度扱える?」
「四大元素魔法は一通り使用できます」
「ふむ……ならば問おう。四大元素を構成する各属性は?」
「火、水、雷、風ですが……?」
あまりにも簡単な問いに、カティアが怪訝そうに返答すれば、竜の長は引っかかったと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「残念だがそれは不正解だ。正しい答えは火、水、土、風だ」
「えっ……つ、土ですか!?しかし土は光、闇と同じく習得難度の高い例外属性では……?」
「そう、そこが勘違いを生む最大の要因なのだ。土は四大元素の中で最も習得難度の高い属性であり、雷の方がまだ難易度が低い。故に定命の短き者の大半は勘違いをしてしまうのだよ」
自分のこれまでの常識が破壊された衝撃に茫然とするカティア。教職に就いていた自分がそれほど大きな間違いを犯していた事に、これまでの教え子に対して申し訳なく思う気持ちもあった。
「そしてその勘違いが光、闇属性の習得を困難にさせているのだ。その二属性は正しい四大元素属性習得後でなければ扱うのがまずもって不可能であるからな」
「……では、これまで私がいくら練習してもその二属性を習得できなかったのは――」
「その勘違いが原因であろうな。余から見てそなたは体内魔力量が多く、加えて体外魔力の操作にも長けている。そなたであれば正しく土属性魔法を習得出来ればその先――光と闇属性にも手が届くであろう」
「…………宜しければ、どうか私にご教授頂けませんでしょうか」
「良いだろう。余も暇を持て余しているからな」
カティアの願いを快諾した〝竜帝〟は微笑んだ。かつて己に教えを乞うた仔――エーディンの姿を思い出しながら。
「〝人族〟が他種族と比べて優れている点の一つに成長速度の速さがある。才気あふれるそなたであれば、あの姫君が戻るまでに習得できるやもしれぬな」
*****
ノア・ルーナ山を後にしたオルトリンデは進路を西――火山地帯へと取った。
目的は〝竜王族〟各種の王たちの元を訊ね、〝天銀皇〟を修復するためである。
「確かあの〝竜帝〟さま曰く、試練も兼ねているんだったよね?各種の王さまに会って認めてもらう。で、その証にくれる鱗が〝天銀皇〟を直すのに必要って」
「そうですね。合っていますよ、アスカさま」
「へっへー、今回はちゃんと覚えてきたからね!」
そう笑ってピースサインを決める明日香にシャルロットは苦笑を浮かべた。
次いで緊張が和らいだことに気が付いて感謝の念を向ける。
「……アスカさま、いつもありがとうございます」
「へ、何なに、急にどうしたのー?」
「貴殿の在り方に救われる者もいるということだ、アスカ殿」
と、シャルロットの傍に控えていたクロードが微笑みを向ければ、明日香は困ったように口をもごもとさせる。
「いやー、私はただ私らしく生きているだけなんだけどねぇ」
「その真っ直ぐな生き様が誰かの指標になり得るということでもある。……それに比べ某は――」
「うん?何か言った、クロードさん」
「……いや、なんでもないさ。気にしないでくれ」
一瞬、表情が曇ったクロードであったが、すぐさま己が感情を押し殺すと首を横に振った。
そんな様子も様になるなと、彼の眉目秀麗ぶりにうんうんと頷く明日香。
その光景を見たテンペストが悔し気に歯を軋ませていた。
「おのれぇ……我が主に色目を使うなどとは……ッ!」
「いや、別にクロードは明日香に色目は使ってねぇだろ。むしろあいつは――いや、なんでもねぇ」
「そこまで言ったなら最後まで言おうよ、イグニス。私はすっごく気になるなぁ」
イグニスにしては珍しく歯切れが悪い、とエピスが指で彼の頬を突けば、サラマンダーの長は頬を赤らめながらも距離を取った。
「う、うっせぇな!なんでもねぇって言ってるだろ!」
「えー、気になるなぁ。教えてよぉ、イグニスぅ」
ニヤニヤと揶揄うように媚びた声を意図的に出すエピスに、イグニスはタジタジであった。
彼がエピスに惚れてこの旅に同行したのは周知の事実――つまり当の惚れられた本人も知っているのだからこれは中々に質が悪いと言えよう。
とはいえ、彼女も退き際がハッキリと分かっていて揶揄っているのである。だから明確に相手を怒らせることはない。
それが分かっているからこそ周囲も止めないのである。
そんな〝精霊族〟三名の様子をチラリと見やったのは操縦桿を握るテオドールである。
(皆の雰囲気は悪くない。何かと気苦労が絶えないシン殿にはカティア殿が付いているから、向こうも問題ないだろう。だが……)
一見、平和そうに見えるエルミナ亡命政府一行であるが、その内情は複雑なものであった。
主であるシャルロット第三王女は国や恋人を失い、一国の命運をその双肩に背負うことになった。その心理的負担は計り知れないものがある。
勇者の二人も不安定だ。四人いた勇者の内、一人が裏切りもう一人を拉致して逃亡、そして共通の友人を失った。
加えて〝剣姫〟は神剣を二振り所持したことにより身体に多大な負荷がかかっており、無理はさせたくないと〝闇夜叉〟から今朝方聞いていた。
その〝闇夜叉〟も己の力不足を悔やみ、〝竜帝〟の元に残って修行をし始めている。
そしてテオドールの息子、クロードは――。
(姫殿下への想いがある。割り切ったとは言っていたが、それでも姫殿下の恋人亡き今、想いを寄せるのも無理はない、か……)
だが、それにしても問題がある。そもそも〝王の盾〟の存否は不明なのだ。アインス大帝国の侵攻を阻む最前線、バルト大要塞に向かった彼の生存は絶望的とされているが、明確にその死は確認されていない。もしかしたらテオドールたちが南大陸を発った後に確認されたのかもしれないが、少なくとも旅立つ前までは戦死したとの報は入っていなかった。
(それに臣下が仕える主に恋慕するなど……)
間宮夜光だけが特別だったのだ。彼は臣下ではない内にシャルロットと出会い、想いを確かめ合った。
その後に臣下となったが、更に〝守護騎士〟としての地位を与えられたことで、彼の立ち位置は一臣下ではなく、極めて特殊なものとなっていた。
(彼であれば、そしてアインス大帝国の侵攻前であれば、姫殿下と結ばれることに障害はなかった)
立ち位置が特殊であったことに加えて当時は国王を始めとする王族が健在であった。
故に婚姻を結ぶに当たって懸念となり得る貴族諸侯や騎士の反対も抑えられており、表立って彼らの交際を否定する者はいなかった。
(だが、今は……)
仮に夜光が生きていたとしてもシャルロットと結ばれるのは難しいだろうとテオドールは思っていた。
何せ今やシャルロットは亡命政府の長――実質的なエルミナ王国の王なのである。元々、王位継承戦争終結後、王位継承権第一位となっていたこともあり、その地位は他種族の援軍を連れて戻れば盤石なものになるだろう。
そうなれば由緒正しき血を持つ者を王配に、と主張する声が大きくなることは間違いない。
夜光は王位継承権が低い状態に加えて、他の王族から逃れて命の危機にあったシャルロットを救い、その後は彼女の元で数々の武功を積み上げた比類なき功績を持つ男であるが、その身は異世界からの勇者召喚に巻き込まれた一般人である。
これが勇者であったならまだ違っただろうが、ただの一般人ではその身に流れる血に特殊性を見出すことは不可能であった。
(可能性があるとすれば、かつての〝守護騎士〟伝説だろうが……)
かつて王都を追われた王女に付き従い、やがて反逆者を討って王都に凱旋した一人の〝守護騎士〟が、その王女と結ばれて玉座に就いたという事実に基づいた伝説がある。
だが、その伝説を再演するには一つ、欠けているものがあった。
(三種の神器の所持――だが、〝王鎧〟は所在不明となっている)
かつて王となった〝守護騎士〟はエルミナ王家に代々伝わる三種の神器を所持し、それを持って王権の証としていた。
その内、〝王剣〟と〝王盾〟に関しては所在がはっきりとしているが、唯一〝王鎧〟だけが永い歴史の中で失われており、所在不明となっていた。
(まぁ、何はともあれ――全てはヤコウ殿が無事であることが前提だ)
クロードは思考を切り替えると、目の前の問題に意識を集中させる。
(どの道、今は恋だなんだと言っている場合ではない。国家の存亡がかかった局面――クロードも自重するだろう)
そう確信出来るほどにテオドールは自分の息子の事を信頼していた。
故にそれは後回しで良いと判断する。今は己が主と勇者の問題に集中するべきだ。
(とはいえどうしたものかな……。願わくばこの旅路の中で解決してくれることを願うが……)
若かりし頃には戦場で、年を重ねてからは貴族社会で生き残るのに役立った勘が言っている。善かれ悪かれ――どちらにせよ、今回の北大陸での旅が一つの大きな節目となるであろうと。
(どうか我らに祝福とご加護を……)
テオドールは〝人族〟を守護する〝慈愛の風〟に祈りを向けるのだった。




