六話
続きです。
昔の話だ、と語りながら〝竜帝〟は一行を石造りの古い神殿内へと案内した。
神殿内部は古代の遺跡のようになっており、床は所々がひび割れ苔むしている。
石の壁には壁画が描かれており、それは〝竜王族〟の永い歴史が刻まれているようだった。
「千二百前まで余には二人の子供がおった。双子の兄ミディールとその妹エーディン」
「〝白黒ノ書〟に記されている双子の〝天銀竜〟ですね。〝英雄王〟を支えた〝天軍〟、その中でも特に実力のあった者たちで構成された〝天部〟に属していたという」
「……そうだ。あの子たちは世俗への関心が薄い〝竜王族〟の中では変わり者でな。常々旅に出て世界を見たいと言っておった」
千二百前、世界は〝天魔王〟を神と崇める〝魔族〟が勢力圏を拡大していた。
彼らは当時自分たちしか使用することの出来なかった〝魔法〟と呼ばれる現象を操り他種族を蹂躙していた。
強大な力を持ち、天災にも匹敵する存在として恐れられていた〝竜王族〟は別であったが、他の三種族は〝魔族〟の侵攻に一気に劣勢に追いやられる。
当時は〝魔力〟の塊である〝精霊族〟も、〝魔力〟の応用に長けた〝妖精族〟も〝魔法〟という存在は知らず、ただ魔力を放出するだけしか知らなかったのだ。
〝人族〟においては言わずもがなであり、彼らはそもそも〝魔力〟すら未知としていた。
「あの時代の世界は荒れていた。〝魔族〟が〝天魔王〟の庇護の元、他種族を従えようと至る所で戦争を起こしておったからな。我ら〝竜王族〟の元へも一度だけ〝魔族〟の軍勢が来たものだが……愚かな連中だと我らは嘲笑ったものだよ。たった一体の〝竜王族〟のみでその軍勢は壊滅した」
その出来事を受けた〝魔族〟は北大陸への侵攻を一時断念した。そもそも〝竜王族〟は世俗への関心が薄く、大陸外へ出てくることはほぼないので放置しておいても問題はなく、それ以外の大陸を征服した後に再度〝王〟の助力を得て再戦に臨めばよいと考えた為だ。
「だが、その機会が訪れることはなかった。とある〝王〟の託宣と助力を受けた〝人族〟の中から二人の英雄が生まれたからだ」
〝獅子心王〟と〝英雄王〟――アインス大帝国を創り上げた〝双星王〟にして、後世においては現人神とまで称えられ神格化された二人の英雄。
「彼らがこの地を訪れ我らに助力を乞うたあの時、全てが変わり全てが決まってしまったのだ」
古ぼけた石の玉座に座りながらそう語る〝竜帝〟の覇気は脆弱であった。今にも頽れそうなほどの脆さを感じさせるその姿に一行は息を呑む。
「当時の余は今とは違い世界の在り様を憂いていた。〝魔族〟に蹂躙される他種族をこのまま見捨てても良いのかと悩んでおった」
不穏な言葉が交じっていたことで新たちは顔を見合わせるも、続く話に割り込むことは不敬だと黙す。
そんな彼らの様子には気づかず老竜は手元を眺めて悔恨の念が浮かぶ瞳を細める。
「それは余の種である〝天銀竜〟たちの間でも議論を呼んでおった。我らは崇める〝王〟と同様に世界の行く末には干渉せぬとしていたが、それでも他種族を救える力がありながら座しているのは正しいのかと。……そしてその考えは外界に最も興味を持っていた余の子らを強く刺激した」
そしてそんな状況を決定的に変える出来事が発生する。北大陸に〝人族〟がやってきたのだ。
「その時既に〝精霊族〟と〝妖精族〟の協力を取り付けていた〝人族〟は船を使い大海を超え、この地に降り立った。そして余に謁見を申し込んだのだ」
あの時のことは今でも昨日の事のように思い出せる、と〝竜帝〟は微かな笑みを皺が浮かぶ顔に湛えた。そこには親愛や友愛といったものが見え隠れしている。
「〝獅子心王〟リヒトに〝英雄王〟シュバルツに率いられた〝天部〟の強者たちだけだったが……衝撃を受けたのを覚えておる。我らからすればちっぽけな存在、取るに足らない弱者だと思っていた他種族に――それも〝人族〟に――あのような強者が生まれるなど考えもしなかった」
そこから先の出来事は〝白黒ノ書〟にも記されている。
彼らは〝竜王族〟に助力を求め、その代わりに試練として与えられた〝闇竜〟の討伐という難事を見事達成してみせたことで助力を取り付けることに成功したとされている。
「余は試練として反逆者となっていた〝闇竜〟の討伐を与えた。その際の道案内として名乗りを上げた余の子らを連れて〝闇竜〟の領土であった北大陸南部へと向かった英雄たちは死闘の末、見事族滅してみせたのだ」
〝闇竜〟の長である〝闇竜王〟ヒュドラは太古の昔より〝竜王族〟の頂点に立ちたいという野望を抱いていた。けれどもその頂点である〝竜帝〟の座は〝竜王族〟誕生の頃より〝天銀竜〟のものであり、彼はその事実を決して認めようとはしなかった。
そこに〝魔族〟の間者が訪れ、支援を申し出たことで彼は〝闇竜〟種を率いて起つことを決意する。
その動きは〝竜帝〟も察知しており、さてどうしたものかと頭を悩ませていた時に英雄たちがやってきたという経緯があった。
「凄まじい戦いであった。余の子らを含めてもたったの十人、それだけで百を超える〝闇竜〟と余に匹敵する武威を誇っていた〝闇竜王〟と争い、その悉くを滅ぼしてみせたのだ」
〝獅子心王〟〝英雄王〟〝妖精帝〟〝精霊帝〟、そして四人の〝人族〟の英傑に双子の〝天銀竜〟。
たったそれだけの陣容で最強種の中でも一際凶悪とされた〝闇竜〟種を迎え撃った。
天は裂け、地は抉れ、海は荒れ狂った。全てが終わった時、山々がそびえていた北大陸南部はほとんどが更地となったほど、その戦いは熾烈を極めた。
「〝闇竜〟種征伐が完了した後、約定通り余は〝竜王族〟を率いて大戦に参加することを決定した。その際にミディールとエーディンはそのまま〝天部〟に入り、彼らと共に戦うと余に告げてきた。……あの時に我が子らの決意と覇気に満ちた顔は今でも忘れられん」
懐かし気に語っていた老竜であったが、不意にその声音を低いものとする。そこに混じるのは悔恨と慚愧の念であった。
「だが、余はあの時に止めるべきだったのだ。そうしていれば余は唯一の家族を喪うことはなかったであろう……」
その時何があったのか、具体的には〝白黒ノ書〟には記されていない。ただ戦いの中で双子の〝天銀竜〟が戦死し、竜姫の遺体が〝天銀皇〟という白銀の外套に変化したことだけが記載されている。
「裏切りがあったのだ。悍ましく、浅ましくも保身に奔った一部の〝人族〟が、当時別件で二人だけで行動中であった我が子の情報を〝魔族〟側に漏らした。それによって〝魔族〟の実力者だけでなく〝天魔王〟の眷属による奇襲を受け……二人は死した」
哀しみと怒りがない交ぜになった声音を吐き出す〝竜帝〟は頭上を見上げた。硝子張りになっている天井から見える空は憎々しいほどに蒼かった。
「余が駆けつけた時には既に何もかもが終わっていた。ミディールの遺体は執拗に攻撃されたのか原型を留めておらず、エーディンの遺体は本人の最後の希望を受けた〝英雄王〟の手によって外套へと変じていた」
何もかもが手遅れだった――と老竜は息を吐いた。それはまるでこの世の全てに疲れ、飽いてしまったかのような吐息であった。
「その後も余は約定に従い戦い続けた。その戦いの中で一族を挙げて戦争に臨んでいた我が〝天銀竜〟は次々と逝ってしまい……最後には余しか残らなかった。そして大戦が終わった直後に余の愛娘が変じた外套と共に〝英雄王〟は忽然と姿を消してしまい――余を含めた多くの者がそれを戦後の権力を掌握しようとした〝獅子心王〟によるものだとして非難し、四種族連合は決裂したのだよ」
これがそなたが身に纏う外套の真実だ、と〝竜帝〟は弱々しく微笑む。〝白黒ノ書〟にも記されていない歴史の闇を知った一行は驚愕と動揺から狼狽える。
「……であれば、この外套は〝竜帝〟陛下にお返しするべきでしょう。しかし……」
「…………よい。その子は愛した男を死後も護りたいと想いその姿となったが、今はどうやらそなたを助けたいと考えているようだからな」
老竜のその言葉にシャルロットが驚きを示す。
「そのようなことが……お分かりになるのですか?」
「うむ、その外套は極めて特殊な方法で創生されたもの――三柱の〝王〟の手で生み出された唯一無二のものだ。故に死して尚、あの子の念が宿っておる。余にはそれが感じられるのだ」
「……でしたら尚更陛下の元にあった方が良いのでは」
「いや、よい。そなたと共にあることはその子自身が望んでおることだ」
そなたも難儀な想い人がいるようだな、と微笑む〝竜帝〟に、シャルロットは赤面した。心当たりがありすぎたからである。
それからさて、と仕切り直すかのように呟いた〝竜帝〟はシャルロットたちを見やる。そこには先ほどまでの弱々しさはなく、一種族の長としての覇気のみがあった。
「そなたたちは我が〝竜王族〟に助力を求めてこの地にやってきたのだったな。だが、現代において〝魔族〟の脅威はなく、魔物の大侵攻もない。そのような状況で尚、助力を乞う理由を述べよ」




