十六話
続きです。
同時刻――大帝都近郊、四天平原。
アインス大帝国の首都はクライノート。
世界で最も古い都市の一つであり、千二百年という永い年月が経とうとも栄華を誇っている。
決して朽ちることのない城壁、時代と共に拡張されるも計画的な都市計画に基づいて行われた為に整った形をしている。
そんな大帝都の周辺にはザオバー河が流れており、豊富な水源を利用した農業が盛んである。
永い歴史の中でもほとんど外敵の侵攻を受けなかったが故の光景――四方に伸びる街道から外れれば牧歌的な風景を楽しむことができる。
けれども現在の季節は冬――故に広がっている光景は閑散としたものだ。
農作物の収穫はとうに終わっており、農地には何も生えていない土があるのみで、次の暖かな季節を待ち望んでいる。
〝人族〟の神であり、アインス大帝国では三大神の一角として崇められている〝月光王〟の象徴――月が見守る大地を人目を忍びながら進む者がいた。
間宮夜光――こちらの世界の住人からはヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァーとして知られている少年である。
彼は警戒厳重な大帝都内を慎重に数日かけて脱出し、夜間になると同時に農地を進んでいた。
目指す先は南西――三つの属州が広がる混沌とした場所だ。
(蓮から貰った地図には南端のグラナート属州からエルミナに向けて船が出ていると記載があった。だからそこを目指しつつルフト属州、アルカディア属州の様子を見ていこう)
南大陸南部ヴァルム地方――そこにはアインス現皇帝が征服するまで三つの国家が存在していた。
ルフト公国、アルカディア共和国、グラナート公国である。
この内、グラナート公国はノトス海に面しており、そこでは〝大絶壁〟によって陸路では限られた経路でしか向かえない南大陸西部ネーベル地方――すなわちエルミナ王国へ往ける船が出ていた。
(元々国家が介入していない海路での通商が行われていた場所――だからこそ戦争が終わった今でもアインス大帝国の監視が緩い)
加えて現在の南大陸は全土がアインス大帝国の国土であり、その認識が帝国人に油断を齎していた。
そこに戦後の混乱期であるという事実が加わることでアインス本国の眼が届いていない空間でもあるという。
(各属州の様子――叛乱の気運がどうなっているのかを確かめ、抵抗勢力が存在しているなら接触しておきたいところだけど……あまり拘泥はしない。最優先はエルミナに戻ることだ)
エルミナ王国が反旗を翻した際に〝大絶壁〟の東側に存在している複数の属州でも連動して叛乱が起きるのが望ましい。その為には各属州の状況をじかに見ておいた方が良いという判断だ。
けれどもそれに固執しすぎて帝国の追手に捕まることだけは避けなければならない。故にその辺りの塩梅はしっかりしていこうと夜光は考えていた。
(その為にもまずは大帝都から離れないと)
ここは敵国の中心地――首都の近郊である。発見されれば逃走は困難を極めることだろう。
故に見つからないように慎重に立ち回ったわけだが、結果として大帝都から脱出するのに数日要してしまっていた。敵が追撃部隊を編成し終えるのに十分な時間が経過している。
(っていうか追撃してくるよな?大帝都内だと俺を探している兵士が沢山いたから全くないってことはないはずだけど……)
大帝都周辺に広がる平原は見渡す限り平らな大地が広がっている。
僅かに丘陵地帯も存在してはいるが、それでも大帝都の城壁から見回すことができる程度。
要は身を隠す場所が少ないのだ。だからこそ夜光は陽が落ちた夜間に移動することを決めたのだ。
夜の暗闇はこちらの身を隠す利点がある。勿論、それは敵側にも言えることではあるが、向こうは複数人の部隊規模で動いてくるはず。そうであれば、たとえ姿が見えなくとも足音や気配でこちらが一方的に相手の居場所を把握することができる。それ故の決断であった。
(でも今のところ人の気配は全くないんだよな。……諦めたのか?)
もしくは未だこちらが大帝都内に潜伏していると判断しているかだが……だとしても大帝都周辺に兵を配置しないのは愚策と言えよう。
(蓮が手を回してくれてるとかかな?あり得ないわけじゃないだろうけど……)
仮にそうだとしても蓮一人の権限では難しいように感じる。彼は現在大帝国における武官の頂点〝護国五天将〟の一人であり、皇族の一員でもあるが、それでも脱走者が出たばかりの首都近辺に兵を配置しないようにするのは困難だろう。
普通に不自然だし、最悪大将軍としての判断を疑われるはずだ。そうなれば彼を良く思わない政敵に付け入る隙を与えることになりかねない。いくら彼にとって夜光が親友だとしても手を貸せる範囲には限りがあることだろう。そこまでの危険を冒すとは思えなかった。
(それにしても蓮、か……)
帝城で思わぬ形で再会した親友の姿を思い浮かべる。
天喰蓮――夜光と一緒にこちらの世界に召喚された天喰陽和の兄であり、行方不明になっていた人物だ。
彼とは幼少期からの付き合いであり、小学校、中学校と一緒だった。
家が近かったこともあり高校も同じ場所を受験し合格。物腰柔らかく穏やかな性格をしている蓮はすぐに友人関係が広がったが、頑固で生真面目すぎる夜光はそうではなかった。
故に親友とも言える間柄であった蓮とばかり関わっていた。だからこそ蓮が突然失踪してからの生活はつまらないの一言であったし、学校生活以外の時間は全て蓮の捜索に当てていた。
(でもまさか異世界にいるだなんてな。通りでいくら探しても見つからないわけだ)
おそらく夜光達と同じくこちらの世界の住人に召喚されたのだろう。その時期や召喚された場所が違っただけというわけだ。
(だが、それだけでは説明がつかない点が多すぎる)
何故、彼は英雄王の末裔と呼ばれているのか。何故、彼はアインス皇族の一員なのか。何故、彼はあそこまで強大な力を有しているのか。何故、彼は仮面で素顔を隠しているのか。
他にも色々と聞きたいことがあったが、再開は突然で、何より状況がそれを許さなかった。
(所属する陣営が違うのが厄介だけど……お互い生きていればその内また会えるだろ)
今はそれで良いと思う。互いにやるべきことがあり、立場があり、背負うべき責任がある。
それら全てを放り出して自分たちの都合ばかり優先させるほど子供ではないし、再開の約束もしている。ならば再び会える、と信じれるくらいの関係性が二人の間にはあった。
だからこそまずは生きてこの地から去る、と改めて決意した夜光が歩く速度を速めた時だった。
――天雷が上空から降り落ちてきた。
唐突に出現した膨大な力の気配に、夜光は左腕に装備していた〝王盾〟を起動させ頭上に翳す。
直後、轟音と共に凄まじい衝撃が左腕を襲った。咄嗟に残る右腕でも〝王盾〟を支えるも、あまりに強力な雷撃に膝をついてしまう。
感覚的には数分、実際には数秒であったその一撃を受け切った夜光の視界に、空中に浮かぶ一人の青年の姿が映りこんだ。
「ほう、余の雷を受け切るか。神剣を使用しなかった一撃であったとはいえ、中々やるではないか」
「っ、お前は……!?」
「アウルム・ルクス・レオンハルト・フォン・アインスだ。そなたにはアインス大帝国現皇帝と言った方が分かりやすいかな?」
隠すことなく名を明かした青年は月明りを背に空からゆっくりと降りてくる。
徐々に見えてくるのは若獅子の如き金髪金眼の精悍な顔つきの男の姿であった。
超大国の皇帝のみが羽織ることを許された外套を身に纏い、腰には見覚えのある剣を佩いている。
他の皇位継承者を打ち倒し、即位してからは周辺諸国に侵攻し、遂には南大陸全土を征服するという覇業を成し遂げた人物であり、彼が有する固有魔法と合わせてこう呼ばれている。
――〝雷帝〟と。
「へぇ……お前が皇帝か。随分と若いんだな」
「そういうそなたもその若さで王国の大将軍位に就いたではないか。お互い様だろう?」
「……なるほど、こちらの正体はバレてるってわけか。皇帝がわざわざ敵国の一武官の顔を把握しているとは思わなかったぜ」
「そなたはあまりにも有名だからな。当然、余も把握している」
如何なる御業か、レオンハルトはゆっくりと空中から舞い降りてきた。風魔法の気配はしなかったことからどうやって空を駆けてここまでやってきたのかが分からない。
「っていうかどうやって気配を消していたんだ?攻撃されるまで分からなかったぞ」
「そなたが察知できなかったのも無理はない。余は大帝都の中心、帝城から一条の雷となって一気に接近したのでな」
「は……?」
意味が分からなかった。雷になる?まさか人体を変換したとでも言うのだろうか。いくら何でもそのような無茶苦茶なこと――。
「各属性の魔法を極めた先にある秘儀のようなものだ。知らぬのも当然――本来であれば純粋な魔力体である〝精霊族〟くらいしかたどり着けぬ境地である」
まぁそのようなことは今は良いか、と呟いたレオンハルトはその黄金の瞳に興味深げな色を湛えてこちらを見やってくる。
「魔導省地下に囚われていたそなたがどうやってここまでたどり着いたかは気になる所だが……今はそれよりも気になることがある」
「……なんだよ。生憎、俺は忙しいんだ。お前に構っている暇はない」
と気丈に言い換えずが、夜光の思考は現状が極めて悪いことを悟りどうやって逃げ出すかを必死に考えていた。
(クソッ、追手がくるかもしれないとは予想していたが、それが皇帝自身だなんて予想外だぞ!っていうかなんで国家元首が護衛なしに出張ってくるんだよ!?)
それだけ実力に自信があるということなのだろうが、それにしても供回り抜きの単騎で来るなど馬鹿げている。自分の命の価値の高さを理解してないのだろうか。
(だが、これは好機でもある。ここで奴を討ち取るか、そうでなくても手傷を負わせられれば、大帝国に混乱を齎すことができる。そうなればエルミナ王国にとって有利になるはずだ)
ただし危険性もある。皇帝を襲ったのが夜光だと知られれば、大帝国が報復としてエルミナ王国に制裁を下す可能性があった。
加えてこうして居場所が露呈した以上、皇帝以外の追手がやってくることだろう。つまり時間がない。
それらを考慮し、ここはやはり逃げの一手だと夜光は判断を下した。
「それにしても皇帝ってのは気軽に夜の散歩に出歩ける立場なんだな。ちゃんと臣下に許可取ってるのかよ」
「許可などいらぬ。余は皇帝――故に誰の指図も受けぬ」
「あっそ。流石は皇帝陛下……傲慢だな」
軽口を叩きながら周囲を探れば、近くに水の気配を感じ取ることができた。気配の大きさから恐らく四天平原を流れるザオバー河の支流の一つだろうと判断する。
(……やるしかないか)
咄嗟に逃げる算段を立てた夜光は〝王盾〟を構えたまま右手に相棒を喚び出した。
水晶の如き透明な剣――月明りに照らされることで幻想的な光を放っている。
それを見つめたレオンハルトは目を細めて呟いた。
「……ほぅ、気配から察するに只の剣ではないが、〝月光王〟の神剣ではない。となれば他種族の神剣かあるいは魔剣、と考えるのが自然だが……かの〝王〟の言葉もあることだ。ここは一つ、確かめてみるとしよう」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだよ」
「そう急くな。夜はまだ長い」
そう言って笑ったレオンハルトは全身から魔力を迸らせた。
隠すことのない覇気が空間を歪ませ、彼の身体からは雷電が放たれ始める。
圧倒的な力を解放した黄金の皇帝はその端正な顔に好戦的な笑みを浮かべた。
「ヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァー……〝王の盾〟にして〝不屈〟の異名を持つ者よ。そなたの力を見せてみよ。余の〝力〟に抗ってみるが良い」
さもなくば死あるのみだ、と告げてくる〝雷帝〟を前に、夜光は覚悟を決めた。
未だ完治には程遠いし〝覚醒〟にも至っていない。おまけにここは敵地であり、これほどの魔力を放出されれば大帝都に居る者たちにも感づかれていることだろう。時間は相手の味方でありこちらの敵である。
ないないづくしの現状だが――それでもやるしかない。ならばやるだけだ。
「はっ、ぬかせよ皇帝。そのスカした顔――すぐに歪ませてやる!」
月夜に吼えた夜光は地を蹴って皇帝に向かった。




